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世界中の本好きのために

はせがわみやび

Profile

1963年6月30日生まれ。埼玉県浦和在住。物語とゲームがあれば、他に娯楽はいらないという人。著書は『ティアリングサーガ ユトナ英雄戦記』(全3巻/ファミ通文庫)、『ファイナルファンタジーXI』シリーズ(ファミ通文庫)、『新フォーチュン・クエストリプレイ』シリーズ(深沢美潮と共著/電撃文庫)。浦和レッズの熱烈なサポーター。最近の活動では「英雄伝説 空の軌跡」を電子書籍の月刊ファルコムマガジン(毎月末頃配信)で連載中。
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電子書籍は「知の海」への新たな入り口



はせがわみやびさんは、テーブルトークRPGのリプレイや、『ファイナルファンタジーXI』シリーズ、『ティアリングサーガ』シリーズ等ゲームのノベライズ、ファンタジー小説などで人気を博す作家です。書店を営む両親のもとに育ち、本や出版、流通についても深い造詣を持つはせがわさんに、ライトノベルの執筆方法、書店の役割、電子書籍の未来などについて伺いました。

ゲームのプレーヤーの感覚を作品に取り込む


――はせがわ先生が作家活動を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?


はせがわみやび氏: 私はもともと小説家志望ではなかったんです。大学が理科系で、東北大で岩石鉱物鉱床学、地学をやっていて、学者になりたかったのですが、大学院に進めずプログラマーとして就職しました。本や漫画が小さいころから好きで、それと一緒にゲームも好きだったんですが、仕事が忙しくて体を壊して入院したとき、当時からはやり始めていたテーブルトークというゲームの縁で知り合った師匠の深沢美潮先生に、「そんなに大変ならうちで働いてみないか」と誘われて、弟子入りしたんです。最初はテーブルトークRPGのリプレイやPlayStationなどのゲームのテキストを書いていたんですけれども、2000年くらいからゲームをノベライズする仕事を始めまして、いまに至ります。深沢先生に拾われなければどうなっていたか、って感じですね。

――作品の斬新な手法やアイデアに驚かされるのですが、執筆はどのような過程で行われているのですか?


はせがわみやび氏: ゲームのノベライズは基本的に、ゲームを遊んだ人が読むのが前提だと思うんですね。だから、ゲームで与えられる体験と同じものを与えても、それならゲームをすればいいということになると思うんです。テーブルトークのノベライズのときもそうだったんですが、あれはもともと原作の小説があるものをRPGにして、それをさらにリプレイしたものですので、最も避けようと思っていたのが、小説を読んだときと同じ感覚になることです。そうすると師匠の小説にかなうはずがない(笑)。なので、ゲームで遊んでる人が、「そうだよね」ってうなずける部分が半分。あと半分で、小説じゃないとできないことを入れようとしました。例えば、ゲームだとにおいって出てこないですよね。海の町だったら港町の潮風ですとか、干した魚のにおい、あと、砂浜をはだしで歩いたときの熱さとか、温度の情報とかを入れる。でも情報だけだと今度は小説に勝てない。それであえて、ゲームを遊んでるときの状況を取り込むんです。

――ゲームをプレイしている感覚を文章にするために、どのような工夫をされているのですか?


はせがわみやび氏: 例えば、テーブルトークの場合は実際にサイコロを振っているところを入れます。サイコロの目に一喜一憂してるところとか、マップを描くのに悪戦苦闘してるところとかは、小説には出ない。ゲームならではのところですから。キャラクターの情報じゃなくてプレーヤーの情報ですね。登場人物の情報だけ書くと、小説と同じになる。でも入れてあげないと、小説のファンには同じと思ってもらえないので入れなきゃいけない。例えば、テーブルトークの「フォーチュン・クエスト」にはパステルっていうキャラクターが出てくるんですが、パステルがどう感じたかとか、どう見えたかっていうのはもちろん入れますが、その上でパステルのプレーヤーが何を感じたのかっていうのを入れる。小説を読んだときはその小説のキャラになってみたいって思うものですが、パステルになることプラス、パステルの役のプレーヤーになっていると思わせられるかどうかです。カードゲームをやってみたくなるかどうか、MMOをやってみたくなるかどうかっていうことですよね。

「ゲームあるあるネタ」をさりげなく入れる方法


――テーブルトークとMMOではプレーヤーの感覚も異なってきますね。


はせがわみやび氏: MMOとか、『ティアリングサーガ』というPlayStationのゲームをやってたときもそうなんですけど、キャラクターじゃなくてプレーヤーが引っ掛かるところってあるんですよ。例えば、いつもここの樽で引っ掛かる、樽さえなければというのがあるとすると、それをキャラクターの情報、またプレーヤーの情報でもあるように書くんです。もう1歩進めると、ゲームだとできないことを入れることもあります。例えば、樽を壊すとか(笑)。そうすると、「俺も常々それをやってみたいと思ってたんだよ」っていうプレーヤーの思いを入れられる。

ファイナルファンタジーだと、これは僕のアイデアではなくて友人のアイデアですが、巨人族が出てくる塔ではプログラム上絶対に巨人族って階段を落っこちないんです。それなら巨人を階段から転げ落とすっていうのを入れようと。ゲームではできないけどきっとやってみたいという、プレーヤーの思いを取り入れるんですね。本家の小説だけでは味わえないこととか、ゲームだけではできないことをする。もちろん、完全に物語の中に入ってしまうノベライズを書く方もいらっしゃるんですけど、僕が書くノベライズはそういうものかなと思います。

――はせがわ先生の作品を読んだ読者の感想は、どのようなものが多いですか?


はせがわみやび氏: このキャラが好きっていう感想が1番多いですね。あと、ゲームを再現してくれているっていう声が多いのですが、プレーヤーの感覚、コントローラーを操ってるときの感覚を再現されてるとはあまり思っていないようですね。感覚を盛り込み切れていないのか、自然すぎてわかってもらえてないのかはわかりませんけれども。

――今回のインタビューを読んで初めて気付く人もいるかもしれないですね。


はせがわみやび氏: そうですね。ただ気付かせたいわけではなくて、「あるある」と思ってくれればいいことなので、ゲームをやるときにありがちなこと、あるあるネタを入れて、二重に、メタに読める様にしています。でも、やりすぎるとパロディー小説になってしまいます。あんまりプレーヤーを実感させすぎると話がそれてしまうので、基本は作品の中に入ってもらって、キャラクターと一緒に楽しんでもらって、読み終わってしばらくしたときに、「ひょっとしたら、これ、あるあるネタなのかな」ってくらいでいいかなと思います。

ゲームの世界に入り、綿密な「取材」を行う


――やはり、執筆する際にはゲームを何回もやり込んでいるのですか?


はせがわみやび氏: ものによるんですよ。TCGのものは、実は映画のノベライズなので、ゲームをやり直すってことができなかったのと、あと、どうしても時間的制約でできないこともあるんですけど、ファイナルファンタジーの場合は、まずプロットを作ってOKが出ると、実際にゲームの中に取材に行きます(笑)。イラストレーターさんもイラストを描かなきゃいけないので、実際にあちこち行ってみるんです。だから、全種族作ってあるんですよ。



何で全種族で作ってあるかって言うと、FFの場合は、見える視野が違うからなんですね。ある酒場のシーンを書くときに、体が小さいキャラクター、例えばタルタルの視点では、テーブルの上に頭が出るか出ないかっていうのを確かめなきゃいけません。サルタバルタでは、タルタルは草むらに全部隠れてしまう。草の中に隠れるって、よっぽど背の高い草じゃないとならないですよね。それを確かめるために、タルタルでサルタバルタを走ってみたりします。また、巨人が人間の何倍くらいあるか確かめるために、戦っているときにスクリーンショットを撮って身長を見てみるとか、ゲームの中に取材に行くんですね。もちろん誇張されている部分もあって、例えばMMOですと町の数とか家の数は減らしてあるんですね。そうじゃないと要らない扉がいっぱい出てきてしまうので。ですからそれは考慮しますが、基本的な情報はゲームにあります。攻略本だけで調べられる場合もあれば、実際に入って確かめる場合もありますね。

――そのような取材、作業はノベライズの作家さんは皆されているのでしょうか?


はせがわみやび氏: それは人によると思いますね。私が参考にしている先輩の篠崎砂美さんは、ゲームをやるときに全部、画面をビデオにとって、必要とあればそのビデオを巻き戻して知りたいものを見るということをされています。私は、ティアリングサーガをやったときは、ビデオも撮ったんですけれども、せりふの主要なとこだけ書き写すということもやって、あれは大変だったですね。いまはさすがにその手間は取れないので、テキストは必要なとこだけメモるか、メーカーさんに聞いてしまうとかするんですけど、当時はわざわざ止めて書き起こしていました。ファイナルファンタジーは必要なせりふだけ抜き出す感じですね。

ただ、定型でしゃべってくれるキャラクターは良いのですが、イベントキャラが1番大変でして(笑)、イベントで1回しか出てきませんから。キャラクターのせりふが拾い切れなくて、「せりふが違う」って言われたりするんですよ。どうしてだろうってあとになって色々資料を調べると、読んでなかった言い回しもしていたりします。さすがに全部のキャラのイベントを見るのは物理的に無理なのと、ある国でゲームを始めてしまうと別の国の資料が取れなかったりするので、メーカーさんに一応見せて設定とせりふの特徴の確認は取ってるんですけど、そこでフォローし切れない部分がどうしても出てしまいますね。そこは全部自分で作ったわけではないので、致し方ないというか、痛恨のところではあるんですけど。

実家は書店、広範な読書と父親との「激論」で成長


――ゲームだけではなく、ほかのジャンルの本などにインスパイアされることもあるのではないかと思いますが、普段はどのような本を読まれていますか?


はせがわみやび氏: 本は何でも読みます。参考にしているものは、あらゆる漫画、小説、映画ですよね。学生時代に読んでいたのは、ノンフィクション半分、小説半分くらいですね。ノンフィクションは、学者志望だったので、サイエンス関係の本が多かったです。そこからもネタを引っ張ってきているというのがありますね。あとは、ファンタジーの世界で殺人事件をやるというテーマは、辻真先さんが、『アリスの国の殺人』(徳間文庫)とかでやっていますよね。ファンタジーだったらSFから持ってくるとか、ラブコメディーから持ってくるとか、いかにそのジャンルに近いものから取って来ないかがポイントかなと思います。全然関係無いところから取ってくると、皆さん驚いてくれる。



ノベライズを書くには、ノベライズを読むなということですよね。もちろんノベライズも読まなきゃいけないんですけど、読んだ上で、ネタはそこから拾わないっていうのがポイントじゃないかなって思っています。あとは実体験もあります。キャラクターが山を歩くときの経験は、大学時代のフィールドワークをそのまま生かしてます。地学系はフィールドワークのときにマッピングをするんですよ。歩数を計って手帳に書いてということをするんですね。『フォーチュン・クエスト』とか『ファイナルファンタジー』のシリーズを書くのに役立っています。

――読書体験についてさらにお聞きしたいのですが、色々なジャンルの本を読む習慣は幼少時からあったものですか?


はせがわみやび氏: 私は実家が本屋なんですよ。親が浦和の駅前で書店経営をしておりました。いまパルコがあるところにあったんですけれども、父が亡くなってしまったので店は閉じてしまいました。でも、そのために本はたくさん読む、漫画もたくさん読む子どもではありました。

――普通の読書人とは異なった形で本と深くかかわられていたご家庭なんですね。一般家庭でよくあるように、漫画を読むのを禁止されたりはしませんでしたか?


はせがわみやび氏: うちの親は全然それがなかったんです。親も漫画は読んでいましたし(笑)。何を読むかじゃなくてどう読むかということなんですね。この漫画を読んで、こういう風に考えたというように、ちゃんとした意見が言えれば、読んでいることに反対はしないんです。私はおやじと、高校時代は毎日のように議論していたんです。おやじはインテリだったから大抵負けるんですけど(笑)。

――どのようなテーマで議論をされていたのですか?


はせがわみやび氏: そのときに見ていたニュースのネタなんかが多かったでしょうか。30年以上前になるんで、ネタはあまり覚えてないですね。要するに、相手が未熟であることを知らせようという意図があったと思うんです。だから原則、僕の言うことには賛成しないような議論だったと思うんですよ。しかも向こうは酒が入ってるものだから、酔っぱらい相手にしても勝てないやみたいとこがあるんですが(笑)。

書店は巨大な図書館の「窓」である


――ご実家での貴重な体験を踏まえて、本屋さんとはどのような存在だとお考えでしょうか?


はせがわみやび氏: 出版された全ての本がある巨大な図書館があるとすると、本屋はその知の財産の窓だと思っています。だから本屋は定期的に本を入れ替えなきゃいけないと思ってるんです。返品制度がいいのかどうかっていう議論がありますが、もし返品制度がありだとするならば、大きな知の財産を見せるのが使命だと思うんですね。ウィンドウに何を映すかっていうのを変えるために返品制度があるんだっていう風に考えれば、ありだと思っているんです。

例えば小さい本屋で1万冊しか入らないとしますよね。でもその1万冊を、1年に1回入れ替えれば、10年間に10万冊の本をウィンドウに並べられる。もちろん本当は知の財産はもっと大きいものですが、完全に固定のものしか並ばなかったら、人類が持ってる知の財産のごくごく一部しか与えることはできないですよね。小さな本屋は色んな見方で知の財産の紹介をしてくれる場所っていう考え方もあると思います。ただ、現実にはうまく返品させることはできていないので、Amazonさんがその役割を担っている。Amazonさんには「お勧め」で、自分の本棚ができるじゃないですか。それが僕の言っていることの現代版になっていると思うんですよ。小さい書店をいっぱい作る代わりに、Amazonの使用者のウィンドウに陳列して、背後に大きな知の財産があることを見せるということをしています。小さい本屋があれと同じことをできるんだったら生き残れたと思うんですが、実際には、そう行かなかったので、こういう現状になってるのかなという気はします。

――いまも書店に足を運ばれることはありますか?


はせがわみやび氏: ええ。私は本屋中毒なんです。大学に行っていたときは毎日3、4軒回って帰っていましたが、いまでも2日に1回くらいは行っています。なぜ本屋に行くのかと言うと、買うだけじゃなくて、どんなものがウィンドウに映ってるかを見るためです。地層を見る様なものですね。

――書店を回るときはやはり本の入れ替えなどを中心に見ているのでしょうか?


はせがわみやび氏: たまに本屋に対する文句で、何で3ヶ月とか半年で棚を変えるんだ、探しづらいじゃないかというのがありますが、あれは探しづらくしてるんですよ。動物の記憶って差分で行うと思うんです。初めて通る道は、周りを注意して見て歩くけれども、毎日通る道って見なくなりますよね。だけど、看板が変わってると気付くじゃないですか。前の日と違うところに注目するんですよ。動物が餌を取りに行って戻るときは、前に通った安全な道を歩きますよね。でも、何か違ってたら危険になっているかもしれないからそこは注意します。

本屋もたくさん本を並べていても、2、3回通って棚が変わらなかったら、見ないんですよ。良い本があっても、前の日と同じ位置に並んでると、見る方がよっぽど昨日と違う気分になってない限りは見ないんですよね。それを強引に棚を変えると「あれ?」と思って探す。もちろん頻繁にやりすぎると、危険ばっかりだからここは通らないようにしようってなっちゃうので、安心さを与えるレベルで変えないといけないんだと思うんですけど。だから1周して出るまでに、ぼんやり歩いてしまうということは棚が変わってない。そういう本屋は、大抵潰れてしまいます。チェーン店とか大きい本屋さんは定期的に棚を変えますよね。場合によってはフロアを変えたりもしています。あれは絶対必要ですね。Amazonもお勧め本がずっと同じだったら見なくなると思うんですよね。

電子書籍により「1冊の本」という概念がなくなる


――出版不況とも言われる中、電子書籍の出現が救世主としても、さらなる出版界の危機であるとも語られています。電子書籍にはどのようなお考えを持っていますか?


はせがわみやび氏: 知の海にさかのぼって行きやすくなるという点では、絶版がなくなるというのが1番大きいです。特に娯楽はそうなんですけれども、物理的に手に入らないとあきらめるものだと思うんです。実用書はあまり変わらないと思うんです。切羽詰まっていれば国会図書館に行けば良いので、何としてもということであればそこまでやるだろうと思うんです。娯楽は手に入れるためのハードルが低い方がいい。例えば本屋で注文しなければならないと買わなくなるんです。小さい本屋の最大のネックもここにあって、新刊が出て売れてる最中でも、その書店になかったらもう駄目なんですよ。書店員に「すいません、注文してください」って言うのは勇気の要ることで、普通の人は、「まぁいいや」ってなってしまう。電子書籍だとその場でダウンロードすればいいことですからね。

――本の形態が変わることで読み手、書き手にどのような変化が起こるでしょうか?


はせがわみやび氏: 例えば漫画の場合、電子書籍になった場合、巻っていう概念がなくなりますよね。30年前の漫画といまの漫画を比較したときの1番大きな差は、1つの作品の巻数が増えたことだと思うんです。昔は内容的に1冊だったのが、3冊とか5冊になってますよね。それは、いまの人たちはそれくらいでないと当時と同じ様に楽しめないからです。ストーリーを楽しむ人って、プロット重視でディテールはあんまり気にしなかったりするんです。いまは心理的な部分や、細かい描写があるので、同じプロットでもページ数がかさんでくる。読者が楽しんでる部分が違うんだと思います。



それで、いままでは本が先に出版されていたから、巻の概念に縛られてたけれど、電子書籍になってしまうと、例えば1冊500円の単行本3冊分を1500円で買っても、たくさんの本を買ってるというより1個の物語を買っている気分になります。それをあらためて本にすると、膨大な巻数になってしまいますよね。多分、電子書籍の数が多くなると、本に戻せないっていう場合が出てくるだろうと思います。デジタルネイティブの子どもたちは、最初からダウンロードされてくるものを読んでいるから、切れ目なく、だらだらと読んでる感じになりますよね。ウェブで連載した、

例えば、「となりのネネコさん」とか、「今日の早川さん」とかを読んでいる人は、多分、巻の概念がないですよね。更新されたから毎回読んでいる。あれに対して毎回お金を払うようになると大きく変わってくるでしょうね。

紙の本は手触りのある「直の経験」を提供し続ける


――本作り、編集という作業も大きな変革を迫られますね。


はせがわみやび氏: 1冊の本という概念がなくなると、例えば贈り物にしようと考えたときに、極端な話、自分でえり抜きしたっていいわけです。出版社、もしくは個人のウェブ連載してる人と提携して、えり抜きで本にしたり、電子版のIDを提供したり、そういうサービスもあり得ると思います。短編集というものがありますが、あれは一つ一つの短編の良さもありますが、収録した作品で編集者の意図というのも見えますよね。それを一人ひとりがエディターになって、クリックしていくだけでできる様になるサービスができるかもしれませんね。デジタル媒体の良さって、垣根がないことだと思うんですよ。

例えば、何種類か翻訳が出ている「不思議の国のアリス」を全部リンクして、「えり抜き不思議の国のアリス」を作るといったマーケットってあると思うんですね。実体のある本だとサイズがバラバラになっちゃうけれども、Kindleなんかだと全部同じサイズで読める。読み比べができます。そこに漫画も混ぜられますよね。いまのユーザーって、自分が欲しくないものが付いてると損したって考えるメンタルの方が多くて、だから短編集が売れないそうです。雑誌が売れなくなった理由もそうなんですけど、昔は週刊誌って3本お気に入りの連載があれば240円払って買う。で、残りはおまけのようなもので、付いているんだからお得っていう考え方だったんです。

だけどいまは、240円払って7割自分が読みたくない記事だったら損したって考える。その3本だけで売ってくれって考えるようです。そのような選び方になるということですね。

――逆に、紙の本の変わらない良さっていうものはあるでしょうか?


はせがわみやび氏: やっぱり実体があることだと思うんですね。いまは音楽が聴きたければ電子配信されてるもの落とすのが1番良いですよね。不法にっていう意味じゃないですよ、もちろん(笑)。CDのネックはバラ売りできないことだと思うんですよ。アルバムが10曲あっても全部聞きたいわけじゃない。いまだと自分の好きなものだけ買うとか、買う方に多様性を許す、選択の余地を許すのが、電子媒体の良さですよね。CDが売れる可能性としては、コレクターの気持ちを満たすことができるもの。実体がある利点を生かせるもの。所有欲を満たせるもの。あと、何らかの記念になってるものですね。

例えばライブをやって、その場でCDに落として売るというのがありますよね。あれなんかは経験を売ってるんですよね、音質で考えたら、もちろん録音したものを、あとでちゃんと調節して、いいとこだけ取った方がいいに決まってるんですけれども、あえて生でその場で落としたやつを売ってるのは経験を売っているからです。もちろん録画したものを電子配信しててもいいはずなんだけど、何でCDを買っちゃうかっていうと、実体があることによって思い出が強化されるからだと思うんですよね。本も、例えば、「不思議の国のアリス」だったら、装丁がかわいらしい本があったときに思い出が結びつくと思うんですよね。

本の内容だけじゃなくて、そのときの状況、風景や、本自身の装丁だとか、ページが茶色くなっていたとか、読んだ本の思い出と一緒になって記憶される。電子媒体では全部が並列に記憶されちゃうことになる。だからこそ純粋に本の内容だけを読めるとも言えるけど、本棚にある1冊を手に取ったときの直の経験とは結びつきにくいとは言えます。

あらゆる人に知のデータベースにアクセスする機会を


――世間では、紙対電子の対立関係という構図が描かれやすいのですが、それぞれ補完し合う良さがあるということですね。


はせがわみやび氏: そうですね。世の中の流れ的には、絶対量としては電子書籍にはまず勝てなくなるでしょう。でもあえて本にするっていうのも多分起きてくると思うんですね。最近だとアニメーションの「けいおん!」の音楽がレコードで出ましたよね。人間の記憶の仕組みで、特別の本とか特別の経験みたいなのをありがたがるっていうところがあるから、人間が電子化されない限りは多分、時々実体化するってことをすると思います。実体のあることに意味がある本だけが実体化して、そうじゃない本は全部電子化でいい。本の量自体はものすごく減るけど多分なくならないでしょう。

――自分の蔵書をスキャンして保存する人も増えてきましたが、いわゆる「自炊」についてはどう感じますか?


はせがわみやび氏: 恐らく、普通の人は本をたくさんは所有できないんだと思います。私の知り合いも本を置くスペースがなくて、もう売るか捨てるかしかないと言っています。で、何冊持ってるのって聞くと100越えた程度で、驚く程少ないんですよね。私もこのままだと家が壊れそうなのでついに書庫を作っちゃったんですけど、幸い私の家は本屋だったので、1階がもともと倉庫だったんですよ。なので倉庫に棚を作ったんです。鉄筋のコンクリ打ちで本を置いても沈まないので。そういう例外的な人を除いては、置くスペースがないから電子化する、っていうのが多いんじゃないでしょうか。

――いまはスキャンする際、どうしても裁断という作業が発生してしまうのですが、裁断という行為にわだかまりを感じたりはしますか?


はせがわみやび氏: あんまり考えたことなかったですね。自分の本が大切にされるって実体であれ電子化であれそれはうれしいです。ただ、自炊代行サービスがどこら辺までがOKなのかとか難しい部分もいっぱいあって、僕自身もよくわからないですが、自炊代行サービスは、全部書籍が電子化されたら理論上なくなるはずなんです。だから、いまなぜビデオをほかのビデオに転換してくれるサービスってほとんどないかって言うと、最初からハードディスクに入っちゃってれば要らないからですよね。もっと言うと、クラウド化されれば手元にさえ要らないと思うんですよね。個人が持ってるのはキーだけで、オンラインでクラウドにアクセスして、毎回それをダウンして読む。高速通信が可能になれば、どんな媒体でも一瞬なので、別にそれで困らない。



そうなると、さっき言った様な知の図書館がクラウドの中に存在することになります。もしそうなったら蔵書の電子化は、そもそも考えてもしょうがない。それはそれほど遠くないかもしれない。だから重要なのは、作者の利益をとりあえず置いとくと、あらゆる人間が、人類が持っている知のデータベースにアクセスする窓を持てるのかっていうことだと思うんですよ。その機会が十分にあるんであれば、接するチャンスが電子媒体であれブックオフであれ、究極的には構わないんですね。

――個人で電子化された場合、著作者への金銭的な還元がないという問題はどのように考えていますか?


はせがわみやび氏: リアルな話をするとそこですよね。小説を書いても食えない時代が来るのかどうかっていうことも含めて未来のことはわからないですね。要するに、人が何かやったら、やった分の対価がどうやって払われるかっていう話になってしまうんだと思うんですよ。でもそういう価値がどう決まるのかっていうのが難しい問題で、いま正当なのかどうかもわからないし、将来的にもっと減るということも、増えるということも、どっちもありそうな気もします。『日経トレンディ』で、電子書籍が待ったなしの状況で、書籍業界への提言を書かれた方がいらっしゃって、電子化をするときに、安くなるって考えないことが肝心だみたいなことを言っていまして、500円で買える本は500円で買えるままにしておかないと、誰も幸せにならないみたいな理屈なんですね。だから、本を買うときに、例えば自動的に電子版のIDがくっついてくるっていう様にすれば、お得感は増しますが値段は下げなくて済む。

で、流通なんかも生き残ることができるって言うんですが、ただ、世の中が、中間を省くという風潮になってるので、「本も省いて値段を下げようぜ」っていう流れになると思うんですね。そうなったときに、著者に入る金が増えるのかって言うと、多分増えないと思うんです。変わらないか、下手したら下げられるか。いまは何万部売れるという見込みでお金をくれるけれども、売れた数だけ払うという風になれば、現実的にもらえる量は減りかねない。でもある程度以上のコストをもらわないと次が書けないっていう問題点もあります。本を書いてすぐお金にならないということは、一種の借金で暮らしてることになるわけです。出来高制になっちゃうと、最終的にもらえる金額がたとえ一緒だったとしても、次の半年が生き延びられないという話だと思うんですよね。

――文化を発信するクリエイターを保護することが必要になってくるのでしょうか?


はせがわみやび氏: どうですかね。娯楽ですからね(笑)。でもそれがコンテンツとして世界に対して売れる娯楽であるってなれば、最近はハリウッドで映画化されるライトノベルがあるらしいんですが、そういう著者に対して、美味しい卵を産む鶏さんなんだからもうちょっと保護しようと考えるかどうかだと思うんですよね。でも鶏がいっぱいいるから、次の鶏を探すよっていう考え方もあるので。普通の人がライトノベルなり、ノベライズができないのかって言うと、僕にもよくわからないところはありますよ。なにしろ私は努力した記憶がないので(笑)。才能じゃないと思うんですよ。要するに経験。子どものときから、1000冊以上読めば何とかなるんじゃないかって気がするんですが、問題はそこまで読まないっていうだけの話だと思うんですよね。子どものときから本漬けにして、娯楽を本しか与えなければ、文章が下手でもいいんならこれくらいはできる。

あとは、モチベーションです。小説家に1番大事なのって、モチベーションで、書く気になるかどうか。一見、大金が入ると書きそうな気がするんですけど、意外と小説家ってお金が入るってわかってても書かない人種なので(笑)。ほんとに金のために書くんだって言ってる人って、あんまり見たことないですね。あまりにも退屈な仕事なので、割に合わないと感じるんじゃないですかね(笑)。

ライトノベルのレーベルは「チーム」である


――書き手が継続して作品を発表できなくなるのは非常に問題ですね。何か解決策はあるのでしょうか?


はせがわみやび氏: 著者が金額を上げようと思うと、もうほかのところを通さずに個人で売るしかなくなります。それができる人は生き残れる可能性がある。漫画家は個人でやれる可能性は出てくると思うんですけど、小説は、特にラノベは、恐らく装丁やイラストが付きますからね。もちろんイラストで売れてるということではなくて、すごいイラストレーターを使っても必ずしも売れるわけではありませんが、本の中身に何があるかを知るために、タイトルだけだと追っ付かないっていうのがイラストが必要とされる理由なんだと思います。だから個人でイラストレーターを捕まえられるか、自分が絵が描ける作家じゃないといけないので、若者向けの小説を書く人は、どうしてもエージェントなりに頼らざるを得ない。個人でやるのは不可能とは言わないけれども、ハードルは高いと思います。

――ライトノベルの業界では、今後出版社の役割はどのように変わっていくでしょうか?


はせがわみやび氏: 多分、レーベル単位で流通していくことになるだろうって思っています。ライトノベルは、出版元をたどるとほとんどひとつになってしまいますけど、同じ出版社でも、レーベルが違うとコンセプトが違います。もちろんどの作家も出版社が違っても自分の色を出さないと個人の客が逃げてしまうっていうのは考えるんですけど、その一方で、レーベルごとにそのレーベルに合ったものを書くことになります。

――レーベルごとの特徴の違いは相当大きいのでしょうか?


はせがわみやび氏: 私はサッカーファンなので、チームがレーベルって考えるとわかりやすいかなと思うんですね。選手は作者。編集長が監督ですよね。チームの色を決めるのは監督で、編集者は、監督の下にいるコーチだと思うんですよ。そして、レッズのファンとか、アルディージャのファンとか、アントラーズのファンとかっていうのと同じ様に、そのレーベルに対するファン、読者がいて、レーベルで買う人がいる。

一方で、個人に付く客もいて、例えば中田だったら中田、香川だったら香川のファンがいて、どのチームに行っても香川を応援するっていうのがいる。そういう観点で見たときに、ライトノベルが生き残ろうとすると、まずレーベルに付くファンを大事にすることが必要で、そのためにはそのチームにファンが付くような魅力的なコンセプトがなきゃいけない。そして、コンセプトを守っている限りは、一番売れる人だけを大事にしていたのでは足りない。どんなに香川が良くても、香川にだけお金を払ってほかの選手にお金を払わないと、チームとしては弱くなりますよね。それと同じです。

――あらゆる業界で売れるものと売れないものが二極化していると言われますが、それは業界を弱くするとお考えでしょうか?


はせがわみやび氏: こんな話を聞きました。コンビニで売れるおにぎりと売れないおにぎりがあったときに、売れないものを全部切ると、売れるおにぎりも売れなくなる。それは選択の余地を奪うから。最初から買わないとわかっていても、2つあったうち、俺はこっちを選んだ、っていう感覚があるのが大事なんですよ、と。

――面白いお話ですね。


はせがわみやび氏: 恐らく、レーベルにおける本もそれと一緒で、あまり売れない本も出さなきゃいけない。もちろん、大赤字をこしらえてしまう様な本を作っては駄目だけれども、1番売れる本だけ残して、あと全部切ってしまえば、そのレーベルの色が全部1色になって、選んだっていう感じがなくなってしまいます。読者に選択した感じを与えるのもレーベルの役目だから、レーベルのコンセプトを守りつつ、色々なものを置かないと、結局そのレーベル自体の人気がなくなるんじゃないかな。

あまりにもレーベルに合わないことをしていると、レンタルでほかのチームに行ってしまったり、J2に行ってしまったりしますが(笑)。でも、別に悪いことではなくて、読者にとってもそういう選択が必要ですし、たとえマイナーでもコンセプト次第で固定ファンが付きますし。

未来を考えたときに、各レーベルがちゃんとそのレーベルなりのコンセプトを持っていることが大事だと思います。いま見るとそうじゃなくて、よそのコンセプトをまねしようとするところも見受けられて、それは僕は正しくないだろうと思っています。J1残留を保ちつつチームの中に様々な色があるというのが理想です。流行りって、移り変わりますからね。そのとき1番売れたものは次の時代には売れないんですよ。1番売れたものって、1番飽きますから。

――最後に、今後どのような執筆活動に取り組んでいきたいとお考えですか?


はせがわみやび氏: とりあえず経済的には、オリジナル小説を書かないと食っていけないという事情はあります(笑)。私は、もともと自分がいいなって思ったものを人に紹介するのが好きだから、ノベライズとかリプレイとかができるんだろうなと思っているんです。例えばテーブルトークであればテーブルトークの面白さを伝えたい。MMOだったらMMOの、もしくはファイナルファンタジーの良さ、面白さを紹介する仕事は嫌いじゃないんですよ。ただ、ノベライズだと、既に別のジャンルがあるものを持ってくるしかないので、それに限らず、例えば大学時代の面白い経験でもいいですし、過去に読んだ漫画の面白さのエッセンスでもいいんですけれども、自分の中にあるもので、ノベライズだと紹介し切れないものを提供してみたいです。それをやるにはオリジナルを書くしかないので、自分で1から10まで作って見せたいなっていうのはあります。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 はせがわみやび

この著者のタグ: 『ゲーム』 『考え方』 『紙』 『作家』 『雑誌』 『本屋』 『経験』 『ノベライズ』 『レーベル』

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