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井堀利宏

Profile

1952年岡山県生まれ、東京大学経済学部卒業。1981年、ジョンズ・ホプキンス大学大学院経済学博士課程修了(Ph.D.取得)。東京都立大学経済学部助教授、大阪大学経済学部助教授、東京大学経済学部助教授、同教授を経て、1997年、東京大学大学院経済研究科教授、現在に至る。主な著書に『「小さな政府」の落とし穴―痛みなき財政再建路線は危険だ』、『「歳出の無駄」の研究 』(共に日本経済新聞出版社)、『要説:日本の財政・税制』(税務経理協会)、『財政再建は先送りできない』(岩波書店)、ゼミナール公共経済学入門』(日本経済新聞社)などがある。

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社会的な興味と、理数系の要素を併せ持った学問「経済学」


――そもそも先生が経済学というものを選んだ理由を、お伺いしたいと思います。


井堀利宏氏: 高校のころですかね。経済学って言ってもわれわれの分野っていうのは、文系というよりは、理工系から入ってきている人が多いんですね。私も高校のときは最初は理系で、好きだったのは数学と理科でした。でも、私はどうも手先が不器用なものだから実験が苦手で、実験するのが嫌だなと思って。あと1つ、それとは別に、やっぱり社会的な問題に関心がありました。われわれが高校のころは、1970年の安保の後なんですよね。ちょうど東大の安田講堂でチャンバラが起きて、入試がなくなりまして。あのときが私の1年上なんですよ。だから1年上の学年がいなかった。だから高校のころは大学紛争で非常に世の中がざわざわしていました。

――社会的な不安を感じられたんですね。


井堀利宏氏: そう。だからあのころは新宿で夜になるとデモとかをやっていてね。すごい動乱した状況だったんですよ。もう40年くらい前ですよね。だからある程度社会的な問題にも関心がありました。そのとき、数学的なものと、それから社会的な関心と、両方をうまくやるとなると経済学が1番良いかなと思ったんです。そのころはマルクス経済学が非常にポピュラーだったんですよ。まだ社会主義のソ連とか中国に人気があって、ベトナム戦争も起きて、アメリカがどちらかと言うと悪者でした。

そういう時代だったので、経済学の中でもその当時はマルクス経済学の方が主流だったんですよ。東大でもほとんどの先生がマルクス経済学だったので、私も最初は高校のときに、マルクスの本を読んで、マルクス経済学はメッセージとしては悪くないなと思ったんですが、いかんせん論理的に読めなかったんですよね。

――論理的に読めないとは?


井堀利宏氏: 要するにマルクス経済学っていうのは、ある意味で訓詁学なんですよね。マルクスがどう言った、エンゲルスがどう言った、レーニンがどう言ったっていうことの紹介で。ある意味キリスト教でイエスキリストがどう言ったとかそういう話なんですよ。だから私も東大に入ってですね、マルクス経済学と近代経済学の両方を模擬ゼミみたいに、本郷の先生に全部習ったんですけど。マルクス経済学もメッセージは理想的に面白いんだけど、やっていることはこれは学問としてはちょっと自分には無理かなと思いました。

浜田宏一先生の入門ゼミに入って現代経済学に目覚める



井堀利宏氏: そのときに近代経済学の入門ゼミにいて、そのときの先生が浜田宏一先生といって、今ちょうど安倍内閣で話題になっている先生ですよね。内閣参与か何か今度なられて、金融政策でじゃんじゃんプレッシャーを掛けると。当時先生はまだ30代で、東大の近代経済学で1番若かったんです。しかも専門はマクロ経済学。教養学部のときに浜田先生の入門ゼミに入って、「現代経済学って面白いな」というのでそっちの方にいこうという感じになりましたね。

――ではそこで1つの大きな転換があったんですね。


井堀利宏氏: そうですね。やっぱりマルクスは学問としてはちょっと無理かなと。要するに過去の遺産の解釈だなというのがあったんです。それで本郷へ来てから近代経済のゼミに入って、ケインズの方面へ向かったという感じですね。昔はケインズっていうのは学生の中で影響力があった。例えばこの向こうの部屋の伊藤元重先生とかね、吉川先生とか、皆同期なんですよ。同じ時期に学部から大学院に入ったんですよね。皆同期で彼らと一緒に学部の終わりから大学院の始めごろにケインズを読んでいた。だからその当時の院生っていうのは、本も読んでいたんですよ。まだそういう意味で考えるとのどかな時代ですね。今の院生は、多分本は読んでいないと思う。読んでいる本っていうのは、いわゆる大学院生用のテキストブックですよね、昔は大学院生のテキストブックってそんなにちゃんとしたのがなかったんですよ、日本語も含めてね。

もうそれが最近、日本も含めて大学院できちんとアドバンスドなツールでミクロとかマクロを教える様になってですね、テキストが非常に充実していっぱい出ている。それをまず院生が学習するとなると、ケインズとか、シャルとかね、昔のアダムスミスとかね、そういう本は普通は読まない。読んでいると時間がなくなっちゃうという、そういう感じになってきましたね。

――では先生の院生時代のころっていうのは、まずそういったところから読まれていらっしゃったんですね。


井堀利宏氏: あとヒックスとかね、シュンペーターとか、論文と同時にそういう本も読んでいた時代でしたね。

普通のサラリーマンにはなりたくなかったわけ


――そのころから研究者としてやっていこうと、道筋は立てられていたんですか?




井堀利宏氏: そうですね。もちろん就職も多少考えたんですけど、普通の会社に入ると朝早く起きなきゃいけない(笑)。その当時からどっちかって言うと朝起きるのが苦手ですから。朝早く起きて通勤列車で会社へ行くのもなって感じで(笑)。院生は時間的に自由裁量ありますからね、どこでも。好きな時間に起きて、好きな時間に寝て、好きに研究出来ればそれにこしたことないなって(笑)。多少所属の面で就職のリスクとかはあるけれど。やっぱり当時だったら東大を卒業して大企業とか、銀行に入ればそれなりに高い給料もらえるわけだけど、院生に行くとほとんど生活スタイルが学部時代と変わらないんです。大学院を出ても就職できないかもしれないリスクがありますけど、自由が良いなと思って(笑)

――色々な選択肢の中で研究生活を選ばれたんですね。


井堀利宏氏: そうですね。当時は今と違ってね、大企業って本当にしっかりしていた時代だった。だからわれわれの学部時代のゼミで1番できた人っていうのは国鉄とか東京電力に行った。あとは生保ですね。そういうとこっていうのは1番優雅な生活ができた。それが今は変わっちゃったからね。われわれが就職するときはちょうど、1974年の石油ショックの直前だったので、皆内定をばんばんもらっていました。昼食会、夕食会とか、企業から接待が来た時代でした。でもそれが石油ショックで一転して、その1年後はもう変わっちゃってた。だからそのときに、就職しても時間も制約されるし、大学院生の方が気が楽でしたね(笑)。

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この著者のタグ: 『大学教授』 『研究』 『経済学』 『選挙』 『ジャーナル』 『紫綬勲章』

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