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世界中の本好きのために

逢沢明

Profile

京都大学大学院博士課程修了。現在、京都大学准教授(情報学研究科)・工学博士、ニューヨーク科学アカデミー会員。知性学、マクロ情報学の気鋭の研究者であるとともに、教育費高騰の時代に完全無料の初等教育サイトの構築に向けて財団設立も目指す。子供たちを飽きさせない教育のために、パズルやクイズなども重視している。著書に、『ゲーム理論トレーニング』(かんき出版)、『実践・論理思考トレーニング』(サンマーク出版)、『複雑系は、いつも複雑』(現代書館)、『直観でわかるゲーム理論』(東洋経済新報社)、『大人のクイズ』、『頭がよくなる論理パズル』(以上、PHP研究所)など、ベストセラー多数。

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世の中を動かし、心を豊かにする「言葉の力」を追求したい



逢沢明さんは、京都大学工学部准教授として情報学の研究を行う傍ら、作家として先見性の高い文明批評を展開。ゲーム理論の解説書、パズルに関する本などでも人気を集め、このほどSF作家としてデビューも決定するなど、意欲的に表現の幅を広げています。逢沢さんに、研究対象である人間の「知性」について、SF作家としての意気込み、10年以上前から行っているという書籍の電子化等について伺いました。

生命の法則と知性の法則は一致する


――早速ですが、大学での研究内容について、ご紹介いただけますか?


逢沢明氏: 僕の研究は、ほかの人のやることは絶対やらないという、京大らしい独創精神でやっていまして(笑)。メインは「知性学」と呼んでいるもので、インテレクト、人間の知性を理論的に解明するというテーマでやってきました。そもそも生命がいなかった原始の地球、そこは物理学の支配している世界だったはずですね。その物理法則の世界から、生命が誕生して、その生命はやがて知性を持っていき、文明まで築き上げる。その一般法則を考えています。

――大変に壮大で、体系化するのは難しいテーマではないでしょうか?


逢沢明氏: そうなんです。以前ブームになりましたけど、複雑系の分野に近いです。宇宙の万物の法則は、従来の物理学だけでは説明しきれない部分があるんですね。僕はそこの部分を、自然界で自己組織化とか進化と言いますけれども、生命とか知性とかも含めて情報の自然法則で説明しています。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の「我思う」というのも、つまるところ自然法則によって思うようになったはずです。



ところが物理学とか、ニュートン力学の運動方程式では、なぜ考えているか説明できないでしょう。「我思う」という思考の領域、そこにある自然法則がどうして生まれたかを解明しようとしてきました。東京創元社の方が、「その研究はまさにSFですね」とおっしゃっていましたね(笑)。いや、本人は大まじめでやっているんですけどね。僕のメインのテーマは、物質の保存則のもとで生命の法則と知性の法則は一致するということです。それこそ創元社の方が、まさにSFだと大喜びでしたけど(笑)、それを数学的に必要十分条件で証明しているんです。電子情報通信学会という、会員数3万人規模の電子関係では日本で最大の学会で、数学定理が一言の文句もつけられずに問題なく通って掲載されています。いくつか論文を書いてきて、それは最終定理として与えたもので、文句がつきそうなところには「前の論文に書いておいたから今回は文句をつけるな」と言ったら、何にも文句をつけられずに通りました。

――それは学問的には非常に大きな達成なのではないですか?


逢沢明氏: 国際会議で発表したら、異様に反響がよかったので、恐れをなして論文を会議録に載せませんでした。僕は一人でやってますし、あまり注目されると海外でみんなやられてしまいますから。そんなわけで、万年准教授ですよ(笑)。周りの人と全然違う体系でやりたいというか、「え?そんな定理がなりたつの?」ということばっかり考えてきました。上の人から見ると、「あいつどんどん論文を出して来るから、文句つけて、しばらくはゆっくり考えとれ」と思ったら、翌朝には結果が出ているからちょっと煙たいでしょうね(笑)。上の人がちょっとぶつくさ言っていたら、周りも誰も味方をしないんですよね。

知性の本質を知るために、文明、芸術を分析する


――新しい学問体系で研究することにどのような苦労がありましたか。


逢沢明氏: 誰も解けないような知性の一番本質的な理論を考えるようになって、今までにないものなので、暗中模索、五里霧中、どこから攻めていいかわからない。だから色々な形で攻めていったんです。コンピューターなど機械の理論からいくと、かなり違う。ぼくの理論でわかってきたことでは、機械の理論よりも、生命進化の理論でできたもののほうが圧倒的に美しいんです。工場の機械はヤボだけど、自然界の生物はもっとずっと美しいでしょ。理論自体の枠組みが大きく異なります。それから、人間の知性の本質を考える時に、人間の知性が生み出したものの大きな枠組みが、文明なんですよね。文明の中に、一種その人間の知性・知能の本質にかかわる部分の手がかりがあるだろうということで、文明全体も見渡し始めたわけです。

ついでに言いますと、芸術も対象になると見渡して、芸術の構造分析、特にコンピューターでやる時に、文章が手軽なものですから、文学作品の構造分析をやりました。ただ、当時われわれの分野では、みんなコンピューターばっかりやっているんですよね。僕はコンピューターよりも情報産業というのは広いという見方をしていますから、文学も見るわけです。ほかの人とは全く違う。論文を書こうと思っても、3万人規模、2万人規模のところがなかなか受け入れてくれるとは思わないから、文学の構造分析は隠し通したんですけどね。それ、このごろになって非常に役立ってますよ(笑)。

――確かに、情報に関する学問というと、コンピューター関連のことなのかと思いますよね。


逢沢明氏: 日本の情報学では、梅棹忠夫先生が世界で最初に「情報産業」という言葉を使ったと主張しておられたんです。「ほんまかいな、もっと前からあるやろ」って思いまして(笑)、僕も学会関係の文献からSF作品まで、初期からずっと調べました。で、悔しいことに、ないんですよ。ほんとに梅棹先生が最初でした。その梅棹先生が名付けられたとする情報産業ですが、梅棹先生は新聞とか、テレビとかね、そういうメディアに関して情報という言葉を主にお使いだったんですね。コンピューターもその中に入ってくるんだけれども、メディア系が情報の中心的産業であるというとらえ方が日本でオリジナルの情報産業論だったと思うんです。ところが大学でやっている情報学といったら、ほぼコンピューター学になっています。オリジナルの情報の見方は、コンピューターに絞ったものじゃなくて、もっと立場は広かったと思いますが、日本の大学が井の中の蛙状態になってしまったんです。

なぜそうなったかというのは明らかで、コンピューターばっかり伸びていって、どんどん性能が向上したから、それに気をとられたからだと思います。ですから僕はメディアとともに、もっと大きく生命進化の問題までカバーしようと思っています。梅棹先生はもともと生物学の先生ですから、カバーしておられないことはないんです。ですから梅棹学の体系にかなり近いところで今やっています。

試験放送も見た「テレビっ子第0世代」


――逢沢さんの現在に至るまでの過程を探っていきたいのですが、幼少のころはどのようなお子さんでしたか?


逢沢明氏: ぼんぼん育ちなんですよ。物心ついたころには、大阪のミナミの帝王でして(笑)。育ったのは、難波の千日前。より絞り込むと、現在なんばグランド花月がありますね。あそこ、なぜ「グランド」がつくか知っています?あそこはもと映画館で、グランドというところだったんです。その斜め向かい、千日前で親が商売していました。袋物業といいまして、ハンドバッグとか、今で言うとルイヴィトンとか、あの手の系統のデザイン、ファッション的な系統のものを商っていました。テレビが昭和28年に放送開始されて、本放送が始まる前に試験電波を出していたんですが、そのころに、うちの親がテレビを買い込んできて、本放送前からテレビを見ていましたね。

――もちろんテレビは高価だったでしょうし、かなり裕福であったということですよね。


逢沢明氏: あのあたりではよくそういう家があったんです。たいてい客寄せに店に置いていたんですが、うちはお客さんに見せずに、僕に見せてくれていまして(笑)。シャープがテレビの国産第一号を出してきまして、14型と17型がありました。14型が有名なんですけど、その上の17型で見ていましたね。今17型って言ったら小さいなあと思うでしょうけど、巨大な箱でしたね。だから僕は「テレビっ子第0世代」。日本流の日の丸メディア産業に色濃く染まって育ってきたんです。

――お家には、ほかにも珍しいものがありましたか?


逢沢明氏: 以前どこかの本に写真を載せたことがあるけど、小学校2年ぐらいの時に買ったブリキでできたラジコン自動車なんかですね。動くかどうかわからないけど、いまだに記念に残してありますよ。あのころに日本で作っているのは珍しいと思います。だからテレビも、ラジコン自動車も、昔で言えば、鉄人28号のロボットの世界ですね。父親も8ミリカメラやライカのカメラなんかで写しまくってたし、真向かいの映画館では「ゴジラ」の第1作のロードショー。その看板の前で写した写真が残ってますよ。そういうものも含めて情報という感じですね。

手塚治虫を追いかけ、マクルーハンに捕まった


――大学は京大の工学部電子工学科に進まれましたが、幼少時の原体験であるラジコンや、あるいは「鉄人28号」などの影響もありましたか?


逢沢明氏: 当時、感銘を受けたのは、鉄人28号じゃなくて、手塚治虫さん。鉄腕アトムの世界ですね。僕らの世代は、鉄腕アトムを見てコンピューターとかロボットに進んだ人がすごく多いですね。手塚さんにあこがれたから、子どものころはお医者さんになりたいと思って、手塚さんは阪大の医学部なので、その方向へ行こうと思っていました。手塚さんは、大阪教育大学の附属池田小学校に通っていました。だから手塚さんの後を追いかけるなら教育大附属だと、中学入試に合格しまして、その路線に乗ったんです。で、手塚さんは橋下徹さんと同じ大阪府立北野高等学校に行かれていた。阪急電車が分かれる十三と呼ばれるところにあって、歓楽街とラブホテルの前を通らないと行き着けない学校(笑)なんですが、僕もそこに合格しました。

――医学ではなく工学に路線変更をしたのはどういったきっかけからでしたか?


逢沢明氏: 医学部を目指していたはずなんですけどね。あのころ、マーシャル・マクルーハンのメディア理論がはやったんです。テレビはクールであるとか、ラジオはホットであるなんて言って、クールなメディアがいいんだとか、不思議なこじつけみたいなお話だったんですけど。つまりコンピューター時代、メディアというものが非常に重要になって、これからは情報の時代なんだという風なことを世界に先駆けて言って、体系づけた。日本では紹介者は主に竹村健一さんだったんですけどね。人によってトンデモ本だという見方もあるでしょうけれども、非常に独創的な見方をしておられたんですよね。



その先進性みたいなものに感銘を受けまして、京大の、当時コンピューター系、情報学科はなかったんですが、電子工学科に入学しまして、こちらに振れてしまったということなんです。マクルーハンがなぜブームになったかというと、要するにマスコミ論みたいなものですよね。だからテレビとか新聞とかが、自分たちを称賛してくれるものですから取り上げるわけですよ。それを見て流れてしまったんですね、僕らは(笑)。高校時代にマクルーハンの理論というのが出てこなかったら、医者になっていたと思いますね。

手塚の死で「何かをクリエイトしなければ」と考えた


――大学を卒業されて、そのまま大学院、そして研究者の道に進むわけですね。


逢沢明氏: 入学して2年後に京大に情報工学科というのができたんですよ。で、4年生で卒業研究する時に、コンピューター系を選びまして、大学院入学の時に、情報工学科の建物ができたんです。初代でそこに入りまして、今までずーっとそこにいることになります。

――約40年間、同じ建物にいらっしゃるわけですね?


逢沢明氏: そうなんです。主みたいな存在ですね。

――そして作家デビューされましたね。逢沢明のペンネームで最初に発表されたのが、『コンピューター社会が崩壊する日』(カッパ・サイエンス)でした。どのようなきっかけがあったのでしょうか?


逢沢明氏: 出版されたのが1990年の3月なんですけれど、なぜ書いたかというと、89年に手塚さんが亡くなられたんです。その時、「自分は何をやっているんだろう」と思いましてね。大学で、象牙の塔と言われるようなところでこもっているだけではいけない。やっぱり何かクリエイトして、社会との接点を持っていくべきだなと急に思い立ったんですね。

――人生の重要な決断にはいつも手塚治虫さんが登場してくるわけですね。


逢沢明氏: そういう人って多いと思いますよ、とくに大阪では。子どもの読むものって漫画が多いですけど、手塚さんはストーリーと絵の水準がまるで違いました。神様みたいな存在。しかも大人になってからいろいろな本を読んだけど、手塚スピリットというのかな、あの人を超える存在には出逢わない。ものすごい巨人だなと思って、強い影響を受けたんです。

――出版にこぎつけるために、例えば「持ち込み」などをされたのですか?


逢沢明氏: 若いころにカッパ・ブックスがブームになっていたので、カッパの編集長の新田雅一さんにお電話してみたんです。「書いてみたんですけれども」って(笑)。なかなかそんなんで通らないと思うんですけれども、原稿をご覧いただいたら、「明晰な文章ですね」みたいに言われて、即決で通りました。

――『コンピューター社会が崩壊する日』のテーマや狙いはどういったことでしたか?


逢沢明氏: この先の文明として、メディアなどソフト産業の到来をにらんでいたんです。ところが当時の日本はハードウエア一辺倒の電子立国。日本人は頭も機械もガチガチ。そこに強い危機を感じて執筆したんです。また『コンピューター社会が崩壊する日』を書き上げたのは89年の末で、バブル経済の頂点の時期だった。あの本はバブルの崩壊についても強い警告を書いてあるんです。日本の大転換点を予測したような本でしたね。

――ハードからソフト・情報へのシフト、日本のものづくりの衰退などは、今日的な問題でもありますね。


逢沢明氏: 四半世紀ぐらい前の本ですが、先見性があったみたいですね。科学技術庁などから委員としてひっぱりだこになりましたよ。今、日本のハードウエア系のデバイスとか、デジタル家電はやっていけなくなっています。日本の電子部品はいいと言っているけれど、僕は近年も、あと数年の寿命ですよと言ってきました。部品もよその国が作るようになっていたから、総崩れになるおそれがあると思っていたからです。一方、情報系、メディアの系統。ゲームとかアニメとか音楽とか、日本的なデザインなんかも含め、情報産業の一つとして、もっと発展させていかなければいけない。つまりクールジャパンですね。

大学もそういうことにもっと積極的にかかわらなければいけないんですけれど、京大の情報学にもそういう人は皆無なんですね。クールジャパンに口出しできるためには、やはりクールジャパン系のクリエイターが必要です。ハードは東アジア諸国などにどんどん追い越されていきますので、情報として残っているのは日本的文化的背景で何かクリエイトすること。機械ではなく、情報、コンテンツでどれだけ日本が世界に貢献できるか、世界から受け入れてもらえるかを真剣に考えていきたいですね。

20年前の作品でこのたびSF作家デビュー


――その後もご本名での学術書のほか、実用書なども幅広く出版されました。特にゲーム理論の解説書はベストセラーになりましたね。


逢沢明氏: よく売れたのは10年ぐらい前の『ゲーム理論トレーニング』(かんき出版)ですね。ゲーム理論というと冷たい、権謀術数みたいな感じでみられることが多いんですけど、もうちょっと人間味を考えようとしています。ハートのあるゲーム理論というかね。本当のことを言うと、今度は「日本的なゲーム理論の使い方」みたいな形で書いてみたいかなとか、数学的な立場より、フィクションの形で読ませるほうが、ひょっとしたらもっと受け入れてくれるかもしれないなんて考えています。日本人って「こうしよう」という考え方はできるけど、「こうしたら、こうなる」って先の影響を考えるのがひどく苦手なんです。政府だってそうですが、先の影響を考えないで借金漬けでやっていると、取り返しのつかない危機を招きます。だからゲーム理論や論理思考力を重視しているんです。情報という考え方だけで世の中や世界の見方が変わりします。

――これからまだまだアイデアが出てきそうですね。ところで、逢沢さんはこのほど、SF小説家としてデビューを果たしたそうですね。そのことをぜひお聞かせください。


逢沢明氏: 20年ほど前に書いた小説を東京創元社さんの短編賞に応募してみたんです。年代だけ今よりもうちょっと先に移して。中国の深圳を舞台にした小説なんですけど、それが候補作に残って、今回アンソロジーに収録されることになったんです。

――20年前の作品が古くならず評価されたというのは驚きですね。特に、深圳は経済的に大発展を遂げましたが、大きく書き直す必要はなかったのでしょうか?


逢沢明氏: 冒頭で深圳の駅の様子を書いているんですけど、深圳から留学して来た女性に読んでもらって、20年前に書いたものであることは気がつきませんでした。何にも違和感がなかったと。だから年代だけずらせば、ほぼいける。やっぱりフィクションというのは、単なるエンターテインメントじゃなくって、何か普遍的なもの。人間に関する普遍とか、文明に関する普遍とかそういうものを含んでいるのでしょうね。審査員さんたちも気付かないですから。ただ、この作品で入選しないわけがないと思ったら落とされたんですが(笑)。

長編は3ヶ月で書ける!「知的腕力」なら負けない


――やはりその短編は、相当な自信作だったわけですね。


逢沢明氏: 創元社の編集者の方は、「この作品は、応募者の中で一番完成度が高かった」とおっしゃっていました。たまたま研究した文学の構造理論が役立って、それを元に書いていますからね(笑)。でもなぜ落とされたかは言ってくださらない。まあ、だいたい見当がつくのは、一つには年齢が高い(笑)。小説は商業性が重要でしょ。若い年代でデビューしたら何十冊書くだろうけど、僕の年代では、あと5冊も書くのかなというのがあるから(笑)、審査員の方は若い人を選びたがるという傾向があると思うんですね。

創元社さんは、今年で第3回のコンテストで、その前に2回、だいたい若い方を入選とか佳作に選んでいますよね。ところが編集者の方が、「2作目が書けない」って言って悩んでいました(笑)。コンテストをやるのに何百万も毎年かかっているのに2作目が書けない。僕は腕力で書きますよ(笑)。見かけは腕力がなさそうだけど、知的腕力で書く。長編の結末はこうと漠然と持っているだけで、おそらく3ヶ月で書ける。

――まさしく「鉄腕」ですね。


逢沢明氏: いやいや(笑)。僕が若いころ、小松左京さんとか、日の丸SFの方たちがおられて、小松さんは「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれていましたが、その流儀の書き方が大事なんじゃないかなと。今は審査員の方、文芸評論家だったりして、選ぶのも今風なんです。ミステリーなんかでも大した事件が起こらないとか、等身大の日常だけを書いている感じで。ヤングアダルト向けですよね。それだと、自分の身の回りで大したことが起こらないから、数冊書いたらネタ切れおこすはずなんです。僕は1冊書いているうちに、長編アイデアを6つ思いついていますもんね(笑)。今、編集者の方に、「長編ないですか?」って言われて、何かデビューさせていただけそうになっているんですよ。

――それはぜひ読んでみたいですね。長編を書く際はどのようなことを心がけていますか?


逢沢明氏: 僕、ストーリーテリングを重視するんですね。読者との一種のゲームなんです。例えばここでこうなったら、次はこう進むだろうというのが大抵ありますが、スプラッタームービーとかホラー映画もそうですけど、いい意味で読者の期待を裏切る。センスオブワンダーといってSFでもよく使う言葉ですが、ビックリさせるわけです。あとは、現代は文章を読まない人たちがかなり増えて、本を読むといっても漫画ぐらいしか読まない人たちがいますが、やっぱり文章の力といいますか、文章で表現できるものを追求しています。骨格は映画化が可能なエンターテインメントなわけですが、映像で表現できない細部にこだわりまくった描き方をしているんですね。

――長編小説のテーマをあえて一言で言うとどのようなことでしょうか?


逢沢明氏: 当面「文明崩壊クロニクル(年代記)」といったテーマにしようかと思っています。それとフィクションの場合、「愛と死」というのが最大のテーマになりますね。ただ僕も期待を裏切る形で書かないといけないから、今回の長編は「愛が壊れた世界」にしています、表向きはそれははっきり書かないけど、サブテーマとして、主要登場人物たち、みんなが不完全な愛の形しかない世界です。

自炊歴10年以上、リーダーも開発するヘビーユーザー


――逢沢さんは電子書籍のご利用はされていますか?


逢沢明氏: 僕の部屋、あんまり本がないでしょ?1万冊ぐらいスキャンしたんです。

――1万冊を、先生ご自身で?


逢沢明氏: はい。2000年ごろから始めたんですよね。自炊なんていう言葉が出るもっと前です。ハードディスクの容量がどんどん大きくなるから、それにつれて全部入るようになるだろうという想定でやってきました。そしてこれは自分でスキャンしたものを読むために、僕らで自作したソフトなんです(と、ディスプレイに電子書籍リーダーを表示する)。開発に時間をかけている余裕がなかったので、2、3人で半月で作ったソフトですが、ずっと愛用しています。



――ご自分でリーダーを作られたんですか?


逢沢明氏: はい。線を引いたり、マウスでも書き込みもできます。しおりをはさんでどんどん飛んでいったり、同じ本をいくつでも開けられるので目次を見ながら本文を読むとか、ほかのページを参照するとか、無限に何冊でも同時に開いておけます。

――これはすごいですね。商品化する予定はないのですか?


逢沢明氏: それはありません(笑)。ただ、このソフトはPDFに対応していないんです。JPEGですね。そのうちPDFに対応しないといけないかなと思うんですけれども。

――電子化したものはパソコンで読まれることが多いですか?


逢沢明氏: 僕は本を買ってすぐに、バサッと裁断してスキャナーに放り込んで、パソコンで読むんです。なぜかと言いますと、年寄りの事情で、老眼です(笑)。小さい文字が読めない。パソコンだったら見えますからね。最初は嫌がっていた人も、やり始めると、慣れで「いいなぁ」と言っていますね。

――今はハードディスクはどのくらいの容量でしょうか?


逢沢明氏: 今は2テラバイトで持ち歩いていますね。暗号化ディスクにしています。電子化したものが、ほかの人に流れたら大変ですから。数年前、サイエンティフィックアメリカンという有名なアメリカの科学雑誌にMicrosoftの人が、持っている情報全部をコンピューターに放り込むんだというような論文を載せていましたけど、その人は、150ギガバイトしか入れていませんでしたね。僕は本だけで1テラを超えています(笑)。ビデオとかも含めると、何テラあるかわからない。まだ40箱ぐらいゴミみたいな資料が残っていますよ。ほとんど捨てていますけれども、古い雑誌のスクラップとかがあって、時間があったらスキャンしています。最後は捨てるでしょうけど、どこまでスキャンできるか(笑)。

著作権は、心を貧しくするものであってはならない


――自炊といえば、最近では著作権問題とともに語られることが多くなりましたが、逢沢さんは著作権についてお考えはありますか?


逢沢明氏: 最初のころは、アルバイトを雇ってポケットマネーで自炊をやっていたんですけど、それさえ、法律上問題があると勝手に言う人がいるんですね。なんの判例もないのに。しかも著作権法なんていうのはひどくずさんです。アメリカでは、映画の著作権とか延ばしたけど、ミッキーマウス著作権法って呼ばれていますからね。日本の法律はもっとずさんで、ついうっかり「ローマの休日」などの著作権が切れてしまった(笑)。僕は著作権法に関する論文も書いていますけど、ダウンロード違法化にも不備があります。著作権のあるのに違法にアップロードしたものを、ダウンロードしてはいけないと。それしか書いていないんですね。

そうすると、違法の著作物だと思っても、著作権者自身がダウンロードできないんです。著作権者はOKだという例外規定は何にもないんです。それから警察が捜査で証拠物件を押さえるためにダウンロードしようとしても、それも違法です。戦後の法律は、警察権力に対して、結構厳しくなっていて、そういう例外をほとんど認めませんので。警察がどうやって逮捕しているのかよくはわからないが、違法のおそれがあるということで、踏み込んだらハードディスクの中にあったという形にしているんでしょうけど、違法捜査しているおそれは相当ありますね。そういう法律上の不備、アンバランスが色々ある。また、私的複製権というのは相当しっかり守られてきたはずなのに、そこが浸食されましたね。

僕らは例えば、昔のビデオとかは、みんなハードディスクに入れていたけれども、ブルーレイのデジタル放送の時代になって、ブルーレイメディアに入れるしかなくて、ハードディスクに入れられない。かさばってしかたないですね。

――著作権の問題では、利害関係者が複雑に存在していますが、どのような点を重視して考えればよいのでしょうか?


逢沢明氏: 例えば公共図書館の年間貸出冊数は、書籍の販売冊数とほぼ同じです。それでも出版社が許容してきたのが、従来の文化としての著作権の世界なんです。本来著作権法というのは、著作者の権利や芸術作品を守るとか、著作者人格権と密接だったはずが、それが切り離されて最近は映画会社や音楽会社の権利とか、商業主義一辺倒になってしまっています。みんなの創作・創造力を伸ばすというよりも、マネー絶対主義みたいなものがある。僕はパソコン一つ持っていれば、どこへ行っても蔵書はみんな見られるんです。旅行先でもOKだし、海外でも見られて、どこでも仕事ができるんですよね。それはわれわれの知的活力の源であるはずなのに、制約がきつくなりすぎているんです。もうかっているごく一部の著者の方々が(笑)、「スキャンしてけしからん」とおっしゃるけれど、多くの著者の方々は、自分の本が書店にも並ばない、あるいは絶版にされて、できたらタダでもいいからたくさんの人に読んでほしいと思っているんですよね。それが手軽に読めないということにもなりますよね。



僕は、年とってくると、若いころに聴いた音楽をまた聞きたいなと思うんだけど、手に入りにくいわけですよね。だからもっとパブリックドメインと言いますかね、無料でいいからみんな聞いてくださいとか、そういう風な形になっていけば、心の面でリッチになれるのに、心がとてもプアになるような社会になってしまう。もっとバランスを考えていかなきゃいけませんよね。

定年後は趣味と仕事を入れ替えたい


――今後取り組みたい活動についてお聞かせください。


逢沢明氏: 3月で僕、定年なんですよね。定年後は趣味と仕事をそっくり入れ替えようと思います(笑)。今まで趣味だったものを仕事にしていく。それは本というものの読者を取り戻したいといいますかね。特に理科系は本をあんまり読んでない。読んでいますよって言う人も、漫画なんですよね。漫画もいいけど、人類がここまで高度な文明に到達することができたのは、言語、言葉を発明して、文字で表現するようになって、それを後生のたくさんの人たちに伝えられるようになったからであって、言葉の力というのは、非常に大きいんですね。

理科系の人たちは言葉じゃなくて道具だとか、そういう風に思ってしまうかもしれませんけど、世の中を動かしたのは、多くは言葉だったと思うんです。言葉にどれだけの力、あるいは魔力が秘められているかとともに、言葉の罪深さとか負の側面も、インターネットで情報がものすごくたくさん発信される時代、どこまで掘り下げ、えぐり出していけるかという問題に挑戦してみたいと思います。ここ10年ほど、僕のメインのパートナーとして年間何百通ものメールのやりとりしているのは、天野真家さんという日本語ワープロを最初に作った人で、まさに言葉の問題を扱っている人です。一人や二人でできるものは限度がありますけど、「言葉で開く未来」ということを考えていきたいですね。やっぱり生活基盤を、ものづくりだけでやっていけるのかどうかということが非常に心配なんです。われわれの暮らしと心を豊かにするにはどうすべきか。ペンの力、言葉の力を最大限に発揮して、どれだけ貢献できるかなということを考えてみたいと思います。

――SFについて今後の構想をお聞きしてよろしいでしょうか?


逢沢明氏: 長編第1作は、2039年と設定していて、人工知性によって文明が危機に直面するというテーマにしています。2作目は2050年ぐらいで、2049年に火星から戻ってくる宇宙船があったという設定で始まるかなと思っています。文明の大崩壊劇です。このテーマで書いた人がいるかなと思ったら、誰に聞いても知らないという。そんな構想の崩壊劇です。それでどうなっていくんだというのは今は言いませんけど(笑)。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 逢沢明

この著者のタグ: 『大学教授』 『コンピュータ』 『研究』 『小説』 『情報』 『趣味』 『著作権』 『知性学』 『ゲーム理論』 『SF』

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