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世界中の本好きのために

石野雄一

Profile

三菱東京UFJ銀行(旧三菱銀行)に入行。2002年5月米国インディアナ大学(MBA課程)修了。帰国後、日産自動車株式会社に入社。財務部にてキャッシュ・マネジメント、リスクマネジメント業務を担当。2007年2月より戦略系コンサルティング会社であるブーズ・アンド・カンパニーにて企業戦略立案、実行支援等に携わる。2009年5月同社を退職後、社長専門のコンサルティング会社である株式会社オントラックを設立し現在に至る。中央大学大学院 国際会計研究科 非常勤講師。著書に『道具としてのファイナンス』(日本実業出版社)、『ざっくり分かるファイナンス』(光文社新書)がある。

Book Information

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「日出る国」のマネジメントを世界に発信したい



石野雄一さんは、気鋭の企業財務コンサルタント。経営者に直接意識変革を促すスタイルで、高い成果を上げています。また、難解なファイナンス理論をわかりやすく解説する手腕には定評があり、執筆したファイナンス入門書はロングセラーとなっています。石野さんに、銀行員時代、アメリカに留学しMBAを目指した際のエピソード、本の執筆法などについて伺いました。

会社はトップが変わらなければ絶対に変わらない


――早速ですが、石野さんのコンサルティングの内容について伺えますか?


石野雄一氏: 私のコンサルティングは「社長専門」という風に銘打っています。ただ、中小企業、上場していない会社の場合ですと社長を相手にコンサルティングをするということになるんですが、上場企業になりますとちょっと難しくて、経営担当常務などの役員が窓口になってしまいます。ただ基本的には、社長が変わらないと会社は変わらないという考えを持っておりますので、できるだけ社長さんと近いところでコンサルティングをさせていただく「社長専門」という路線でやっていきたいと思っています。

――社長には、どのような面で変わらなければいけないとアドバイスされているのでしょうか?


石野雄一氏: 私の専門は企業財務ですが、どういうコンサルティングをやっているかというと、いくらのお金を設備投資に使うかとか、投資判断の基準を作ります。例えば、5千万かけて機械を導入する時に、それが結果的に経済合理性にかなった判断なのかというところですよね。そこにはどういう考えがあるかというと、これはわれわれの個人のレベルでもそうなんですが「価格」と「価値」の違いをまずは認識することが重要なんです。



これは実は私が最初にいい始めたことじゃなくて、『社長失格』(日経BP社)の著者の板倉雄一郎さんが私に教えてくれたことなんです。価格は今財布から出すもので、価値というのは、それの代わりに手に入れるものです。つまり、差し出すものよりも、価値のあるものを手に入れ続けることが、金持ちになる方法なんだという風に板倉さんがいったわけです。私は「それめちゃくちゃ難しいじゃないですか」って聞いたんです。そうしたら板倉さんは、「イッシー、そんなことは皆やってるよ」と。私イッシーって呼ばれていたんですけど(笑)。「例えば、スーパーで1本100円のにんじんを手にとって、見てから買うでしょ。あれは、100円の価格に見合った価値があるかどうかを判断して買っているんだよね。それを全ての経済活動においてやり続けるということが重要なんだよ」っていう風にいったわけですね。これがファイナンスで一番重要な考え方なんです。

――問題は、その価値をどうやって計算するかということになりますね。


石野雄一氏: それをファイナンスでどう考えるかというと、その機械設備が将来生み出す利益じゃなくてキャッシュなんです。現金を将来のものも含め合計したものですね。ただし、将来になればなるほど、価値を割り引いて考える。その合計と今差し出したものとを比べるんです。私の仕事は、その基準を会社の中にきっちり入れていくことですね。ただ結局、一番重要なのは社長プラス役員にこの考え方を浸透させるっていうことなんです。昔だったら社長が「売り上げを上げろ」っていうわけじゃないですか。最近では、「営業利益を上げろ」という話になる。

でも、営業利益を上げるために、どういう資源をインプットしているのかが問題です。経営資源って人、物、金、情報、時間ってよくいわれますけども。それらをインプットして、営業利益ってアウトプットがあるわけです。「昨年より営業利益が1.5倍になった。すごいね」っていうのが、今までの時代だったわけですが、人、物、金、情報、時間を2倍、3倍、10倍かけていたらどうなるんですかってことなんですよ。

アウトプットばかりではなくて、インプットも見ていかないというのも、私がファイナンスでお伝えしていることなんです。でも、相変わらず社長が「売り上げだろう」といっていたら、いくら社員の方々に研修をやっても全然変わらないじゃないですか。だから結局、偉い人たちが変わらないと変わらない。偉い人たちはルールを入れれば変わると思っていて、「皆やる気がないから、会社を変えてほしいんだよ」といわれるのですが「いやいや、あなたが変わってください」っていうことも多いですね。

預金集めと「宴会芸」の銀行員時代


――現在は独立したコンサルタントとして活躍されていますが、銀行員からキャリアをスタートされていますね。


石野雄一氏: 私は大学が理系、化学なんですが、しょうがなく行っている感じがありました。理系は好きで行く人が多いイメージですが、私の場合一番入りやすいところが上智の化学だったんです。大体、理系で上智というのも何か中途半端感がありますよね。今はどうだかわからないですよ。当時、上智大学っていうのはどちらかというと、文系の外国語っていうイメージがありましたから。就職時はちょうどバブル入社といわれている時代です。

91年にバブルがはじけて、一気に厳しくなったのですが、その前年に就職活動していたので、今の若い人たちからすれば信じられない位、希望すれば簡単に入れたんですよ。それで、文系就職っていうのがはやったんですよね。理系の人間がいわゆるメーカー、研究所じゃなくて文系の会社に入るのがはやった時期で、もともと、研究室で仕事をするよりも人と接した方がいいなというのがあって、縁があって旧三菱銀行に入社しました。

――銀行ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?


石野雄一氏: 就職の時は、銀行の人に、M&Aとかプロジェクトファイナンスとか「横文字系」のことや、海外留学とかもできるっていわれたので入ったんですけど、現実は、そんなことはない。自転車転がして預金集めをする時代が10年間続きまして、その時はファイナンスのファの字も知らなかったですね。

――ご著書の中で、数字が得意ではなかったと書かれていますね。


石野雄一氏: 得意じゃないですね。苦手意識が今でもあります。だから、私が唯一自慢できるのは難しいことをわかりやすく伝えることで、自分が数字を理解するのに、時間がかかるから、数字ができないっていう人の気持ちがわかるんですよ。だからわかりやすく説明できるんです。

――銀行員時代、石野さんはどのような行員でしたか?


石野雄一氏: 新人の時に、隠し芸みたいなものをやらされるんですが、それで大ウケしていましたね(笑)。例えば、「合併シリーズ」というネタがあって、例えば三菱銀行とパチンコ屋が合併したらとか。皆さん知らないかもしれないですけど、銀行はシャッターが閉まったあとに、伝票を計算して合わせるんです。入金伝票のこと赤、出金伝票は青と呼んで、出金と入金をぱしっと合わせる。その時に例えば入金が多ければ「赤大1万跳んで456円です」とかアナウンスが入るんですよ。これ、パチンコ屋みたいだなと思って、ネタにしたんです。当時は古き良き時代で、会社でクリスマスパーティーやら、上半期が終わった時に乾杯とかあったんですが、その都度芸をやらされて、目立っちゃったんです。私も笑かすのが大好きだったんですね。

そしたら3年目の時、三菱銀行から派遣されてMBA取ってきたばりばりエリート支店長が「石野、お前銀行員世の中に何十万いると思っているんだ。俺なんかMBA取っても単なる支店長だぞ。お前、鈴本演芸場紹介してやるから芸の道に行けよ」っていわれたんです。これから目きらきらさせてやる銀行員に向かってそういうことをいうわけです(笑)。

決意のアメリカ留学。「何かが背中を押していた」


――銀行をお辞めになってからアメリカに留学されていますが、おいくつの時でしたか?


石野雄一氏: 31歳です。課長代理で、役職がつく前ですね。銀行を辞めるという意志決定をしたのは、自分は海外に行きたいという気持ちがあったけど、留学したいっていっても行けないわけですよ。行内の選抜試験も全然通らないですし。それで30歳を越えて、このままやっていてもという焦りもありました。結局、将来のイメージが湧かなかったんですよね。自分が支店長の席に座っているとか、10年後、20年後に銀行員であるということが、全然イメージできなくて、辞めようという決意をしました。

――その時は既にご結婚されていたのですか?


石野雄一氏: 同期の女性と結婚して、2歳の子どももいました。辞めると聞いた時は驚いたでしょうね。全然相談しなかったんですよ。MBAのための予備校へ通うというのはいったけど、海外へ行くとか、辞めるとは思ってないわけです。かみさんはMBAもわかんないですもん。土日は学校で、子どもと遊んだ覚えがないですね。子どもを公園に連れていっても、自分は単語帳をめくっていたんですよ。

――銀行で安定もあり、ご家族もいらっしゃる状況で、そのような大きな決意ができたのはなぜだったのでしょうか?


石野雄一氏: その時は、勇気は必要なかったんです。ただ自分のやりたいことに正直になったということです。目標が明確にあったから、がんばっているつもりもありませんでした。必死というのとも違いますね。必死は、必ず死ぬって書きますからね(笑)。多分楽しかったんだと思うんですよね。あとはたまたま周りの状況が許したということです。妻も反対はしなかったし、両方の両親も病気をしていなかった。1年遅れたら私の母が具合が悪くなっちゃったんで、行けなかった可能性があるんです。だから、タイミングですね。何か周りの全てに背中を押される感じですよね。人との出会いもそうです。予備校で初めて銀行員とは違う世界の友達と会ったんです。



例えば、私が「仕事が忙しくて、残業ばっかり」って話したら、「石野さん、それは上司にいわなきゃいけないよ。自分の許容量を越えている仕事を受けることによって、出てくるものが遅くなったら組織全体に影響及ぼす可能性があるんだから。能力とアサインメントのバランスを考えてもらうようにいうべき」といわれたんです。上司にそんなこといっちゃって良いの?って思ったけど、あ、そうか、会社のためを思えばそういう考え方もあるなと、人と出会うことでどんどん世界観が広がりましたね。

失敗を開示することは人間関係を築くために重要


――アメリカには何年間いらっしゃいましたか?


石野雄一氏: 2年いました。あっという間で、面白かったですね。

――MBAの授業、アメリカでの生活はどのようなものでしたか?


石野雄一氏: まず、MBAって書いて「メイキングベイビーインアメリカ」。一人子どもを作りました(笑)。娘ができたんです。授業では、私はクラスに全く貢献できなかったですね(笑)。コールドコールというハーバードでよくやっているケーススタディがあるんです。事例に基づいて、正解がないようなディスカッションで、先生がバッと手を挙げていない生徒に当てていく。ディスカッションの最初の方は「この登場人物の社長の性格は」みたいな質問をされるから、その時だと思って「はーい」とかいっても、先に手を挙げる人が当てられるわけじゃなくて、隣の奴が当たっちゃって、「ネクスト雄一」。いやいや、俺さっきの質問が良いんだけど、みたいな。それで、そんな話を当時はまだブログじゃなくてホームページだったんですけど、赤裸々に書いたんです。それが好評で、結構ファンがつきました。

――リアルなアメリカのMBAの授業内容がわかって、しかも日本人が共感できる面白いエピソードが書いてあるホームページですから、楽しみに読んでいた人も多いでしょうね。


石野雄一氏: 当時はMBAの勉強をする人も、かっこいい発信をする人ばっかりだったんですよ。いかに自分たちはチームでディスカッションして、こういうプロジェクトをやってとか。あまりにも格好つけているなと思ったので、俺は赤裸々に書こうと。例えば、授業で日本企業のケースになったりして、「日本にはどうしてこういうものがあるんだろう」とかって皆でディスカッションした時に、皆の視線がこっちに来ても発言できない自分とか。チームの人間がけんかしていても、何でけんかしてるかわからなくて、「雄一どう思う?」って意見求められて、「イエース」みたいな(笑)、その情けなさとかを書いたんです。

――確かに、失敗談をお聞きすると、その人に引きつけられるものがありますね。


石野雄一氏: ただ、そのホームページを12年後にもう1回見たんですよ。そうしたら、まだ格好つけている(笑)。当時は赤裸々だと思っていたんですけど、本当はもっと情けないところがある。私は、自分はこういう人間で、こういう失敗をしてきたと自己開示するっていうことは、人間関係を築くことにおいてすごく重要だと思います。セミナーでも、私は失敗ばっかり話すから、どーん、どーんと笑うわけですね。だけど、結局それって自分が許容できる開示なんですよ。開示してもいいだろうというレベルでの開示なんですよね。開示をすることによって、メリットがあると思っているからやれる。計算は絶対していますよ。

1日ぶっ通しで書き続けられる執筆法


――コンサルタントとして独立後は作家としてもデビューされました。本を書くきっかけはどういったことでしたか?


石野雄一氏: MBAに行った時に、エクセルを使ってファイナンスを勉強するのは良いなと思ったんです。だけど、同級生にいっても今ひとつピンときていなくて、それなら絶対本にできるなと思っていました。それで、帰国後日産にいる時から原稿を書き始めていました。その時に「出版塾」っていう塾の畑田洋行さんが書いた『ビジネス書を書いて出版する法』(同文舘出版)を買いました。その本がすばらしかったんです。それが転機ですね。

出版塾に入って畑田さんに企画書を見てもらって、目次を書いて、サンプル原稿をつけて出版社に送ったんです。畑田さんが出版社のリストをくれて、あて名もダイレクトメールに間違えられるからワープロで書いちゃだめだとか、企画書在中って赤いマジックで太々と書けとか教えてくれる。それで50社に送ったら、5、6社から反応が来ました。その中で最初に来たのが、日本実業出版社さんで、『道具としてのファイナンス』を出しました。出版社が決まった時に会社を辞めて、一気に書きましたね。

――執筆はどのようなスタイル、方法で行うのですか?


石野雄一氏: 私、神田昌典さんのマーケティングの本がずっと好きだったんですが、神田さんには「魔法の文章講座」っていうDVDがあるんです。魔法の文章講座って何か心惹かれるじゃないであうか。ちょっと煮詰まっていた時に、5万円したんですけど買ってみて、それは良かったですね。一番良かったのは25分ルールっていうもので、タイマーを25分で鳴るようにセットして、書き始めて25分たったら絶対やめなきゃいけないんです。そして5分間運動してまた始めるんですよ。そしてそれを3クールくり返す。何が良いかっていうと、書き続けて書けなくなった時に休むと、また書き始めるのに時間がかかるわけです。ところが、25分間だといい感じで終わるんです。5分間運動すると、書きたい感が残っているから、グワーっと書いて、ピピピと鳴ると5分間運動。これをくり返すといつの間にかぶっ通しで1日書いていることもあります。それでも疲れていないんです。

あと神田さんはセックスを絶対するなっていっています。性的なエネルギーを書くエネルギーに転換するってことなんです。だから、早く終わらせたいって思って気合が入るわけです。あとはフォトリーディング。必ず書く前に簡単な瞑想をして、天とつながるような言葉をいうんです。天は私という媒体を通して、何を世の中に伝えようとしているのかっていう質問をしてから書き始めるということですね。だからあとから自分の本を見ると、「結構良いこと書いているな」っていうこともあります。自分でいうのもなんですけど。

――本を書く際に気をつけていることはありますか?


石野雄一氏: いつもやってるのは、自分がいったん書いたものを紙に出して、場所を移して読み返すってことですね。そうすると第三者の視点で読めるんですよね。『道具としてのファイナンス』と『ざっくりわかるファイナンス』(光文社)は出版塾の畑田さんにも見ていただいているんです。読んでもらって「ここがわからない」とかフィードバックしてくれて、自分でも何度も読んで、さらに編集者にも見てもらうわけですから、ここまですればわかりやすくなるだろうという感じです。

ふと手に取った本は、縁があるのでなるべく購入する


――石野さんはMBAの時も、コンサルタントとして絶えず勉強されてきたと思いますが、本はかなりの量をお読みになるのではないですか?


石野雄一氏: 本は好きですね。ジャンルは問わず、色んな本を読んできました。ビジネス系、自己啓発系も読みました。『7つの習慣』(キングベア-出版)とか、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』(きこ書房)とか。引っ越しで、本棚を整理した時は、ブックオフに450冊を持って行きました。残したものもありますけど、ブックオフでいいやっていうのが450冊もあったんです。結構高価な本もあったから、購入した価格でいうと5、60万円分位あって、売った時には2万円位になりました。

――書店で本を選ぶ時の基準はありますか?


石野雄一氏: Amazonがなかった時代は、本屋でぱっと手に取った本は極力買うようにしていましたね。ご縁みたいな出会いには意味があると思っているからです。人との出会いと同じように、その本を取ったっていうのは何かしら惹かれるものがあったからですから、それを結構大切にしています。だから本代は平気で月10万はオーバーしますね。最低でも、2、3万は絶対本に使っていました。だから何回も同じものを買っている時もありますし、ブックオフに売った本を数年たってから、もう1回買うこともありますが、それもご縁だからいいと思っています。最近は、むしろ昔買った本をもう一度手に取ることが多くて、あんまり新しい本を読まなくなっているかもしれません。読んだことがある本を、知り合いが良いよといっているのを聞いて、もう1回買って別の視点で読んでみようとかですね。

――電子書籍は利用されていますか?


石野雄一氏: 私Kindleでは新聞しか読んでないんです。やっぱり紙が好きなんですよ、新聞は毎日、毎日バーっと読むものですし、コストの問題もあります。例えば、私は「フィナンシャルタイムズ」と「インターナショナルヘラルトトリビューン」を購読しているんですけど、紙だと数万円もするので。雑誌とかも別に紙である必要はないので、電子でも良いのかなと思うんですけどね。

OSを変える資本主義と東洋思想との融合


――最後に、今後の活動、執筆されたい本のテーマなどをお聞かせください。


石野雄一氏: もうタイトルも決まっているんですが、『優雅な経営』っていう本を構想しています。現実問題としては直近でも違う本があるのですが、これは10年、20年後を見据えたものです。サブタイトルが「日出ずる国に学ぶマネジメント」です。今のいわゆる資本主義の世界は閉塞感というか、頭打ちの状況にあるような気がしているんですね。そのような時代に、今のアメリカ、ヨーロッパから発信された世界観と、東洋的な思想の融合が重要だと思っているんです。



「和を持って尊しとなす」というわれわれ日本人の調和の世界ですよね。私たちがMBAの勉強をしていた時もそうだったんですけど、ファイナンスとかマーケティング、オペレーション、人事とか、MBAの学ぶものっていうのは、結局やり方の世界で、アプリケーションソフトだったわけですよ。そうじゃなくて、重要なのはOSです。若い時は私も同じようにアプリケーションソフトのバージョンアップをとにかくやろうとしていたわけなんですけど、もうそれだけじゃだめなんですよね。先ほどお話しした、社長のコンサルティングでも、ルールを変えても絶対会社は変わらなくて、経営者のあり方だとか、会社のあり方、あるべき姿だとかのOSがあって初めて、世界のための企業になると思っているんです。でもOSって見えないんです。東洋思想では、

例えば中国では木が目の前にあって、見えないところに根っこがあるわけですね。大切な、「根本」っていわれている。この根本が大切で、見えるところっていうのは、「枝葉末節」で、われわれは枝葉末節ばっかり見ているわけです。これは全てに言えることで、人材採用で「私は英検何級です」とか、「私は何々ができます」なんていうのは全部アプリケーション。「あなたは、仕事に対して何を大切にしますか」っていうところを、社長なり人事担当者は説いていかなきゃいけないわけですよ。うつが多くなっているのもOSとアプリケーションで起こっていることがちぐはぐになっているからです。私がコンサルして、社長さんが実践している会社を事例として、世界に伝え込んで、日本発の世界貢献ができるんじゃないかと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 石野雄一

この著者のタグ: 『銀行』 『経済』 『コンサルティング』 『価値観』 『留学』 『MBA』 『書店』 『価値』 『ご縁』 『社長』 『価格』 『大切』

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