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世界中の本好きのために

仲正昌樹

Profile

1963年2月22日、広島県呉市生まれ。東京大学教養学部理科I類入学。84年に東京大学教育学部に進学する。その後、西ドイツに渡る。89年教育学部教育史・教育哲学コース卒業。大学時代は、教育思想史の堀尾輝久に師事、卒論はシュライエルマッハーとルソー。大学院入試を受けるが失敗し、90年から世界日報記者、92年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻地域文化研究専攻に入学。麻生建に学び、博士課程進学後、ドイツのマンハイム大学に留学、96年東京大学博士 (学術)取得。1998年から金沢大学法学部助教授、法学部共生社会論大講座教授。2008年法学類教授。金沢大就職以後、『情況』の編集に携わっていた。

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人気よりも本質を大事にする


――昔からそういうかたちでお仕事されてこられたのですか?


仲正昌樹氏: そんなに意識しているわけでありません。もっと、有名人になっていたら、結構、カメレオンみたいな人間になっていたかもしれません。私自身は、それほど有名ではなりませんが、人気が出て、マスコミに引っ張りだこになるようなタイプの人っていうのは、いわゆる「自分がない」っていうか、他人の意見がそのまま自分の意見になるようなタイプの人ですね。政治家なんかに多い。学者は、基本的には他人の気持ちをくみ取るのが下手な人の方が多いんですが、たまにうまい人間がいるんですよ。そういう人が有名になる。他人の気持ちを自然に読んで、カメレオンみたいに変化する人だと思います。カメレオンは、意識して色を変えるんじゃなくて、外界の情報を感じて自然と変わるわけでしょう。カメレオンみたいに自然と変身しながらも、表現力が安高いので、最初からそういう意見を持っていたように見える人がオピニオンリーダーとかになりやすいんだでしょうね。

――いまお話をお伺いすると、必ずしもテレビやマスコミで騒がれている人が、その学問の道の第一人者というわけではないのですよね。


仲正昌樹氏: ないですね。ノーベル賞をとった山中先生みたいな人ってほんとに少ない。あの先生は、理系の学者なので、自分でアピールしなくても、研究成果が認められて、マスコミで認められることもあるけど、文系で、基礎的な研究だけやっていて、認められるなんてことはまずない。理系は、考え方の筋道はちんぷんかんぷんだけど、その結果がすごいことは、実験や実用化で、素人にも分かるということがありますが、文系の場合、プロセスが分からないけど結果だけすごいって分かるというようなことまずない。強いて言えば、心理学と考古学くらいでしょう。哲学とか文学は、結論だけみても一体何がすごいか分からないでしょう。



歴史学も基本的にはそうです。テレビの二時間ドラマでやっているような、大発見なんてほとんどない。ほとんどの歴史学者は、素人にはどこが重要なのか分からない、無名の人が書いた古文書を読んで、こじんまりした仮説を立てて、厳密に証明しようと躍起になっています、なぜすごいのかって、アピールしないと通じないですよね。だから、研究能力がすぎている人ではなくて、アピール力がある人が目立つ。物理学者や医学者のような訳にはいかない

――素人にはなかなか分かりにくい研究成果ですか。


仲正昌樹氏: 文系全部がそうですね。特に哲学や文学、言葉で表現されたものを言葉で解釈するから、言葉を越えて、何か目に見えるかたちで示せるものがほぼない。

――ある意味学者の方は、一般向けの顔、メディアとか出されたりっていう様なもう1つ違った側面の顔も必要だったりするんでしょうか?


仲正昌樹氏: そうだと思います。しかし、そういう両面性を持つことは難しいですね。メディアに出て、発言したいと思っている人は、そんなにいないと思います。ちょっとした好奇心で、メディアに出て注目される自分を想像するような人はいるでしょうが、真剣に考えている人はそんなにいないんじゃないかと思います。大変そうですから。私自身、特にPR活動のようなことをしないでも、何かものすごく難しいのを書いたら、どこかの出版社が必ず出してくれるっていう状態になっていたら、面倒くさいことはやらなくなるかもしれないですね。少なくとも、本は専門的な堅いものしか書かなくなると思います。

当然、一般読者は想定せず、強い関心がある人が読んで下さいというスタンスになる。人文学系の学者にとって最大のジレンマは本を出すことなんですよ。理系と全然違います。理系は本を出すことに全然価値を置いていません。海外の、ネイチャーだとか権威ある学術誌に査読付き論文を載せられるかどうかが問題です。理系の学術雑誌のほとんどは電子ジャーナル化しているので、掲載されることが重要です。あとになって、まとめて本にするかどうかはどうでもいい。理系も、教科書は本として出しますど、理系の人たちは教科書を書いている人が偉いとは必ずしも思っていない。文系では、教科書を書くのが偉いっていう感覚がまだそれなりに残っていますよ。

どんな本をどこから出すのがステータスなのか


――そうなると本を出すことは色々なジレンマがあるんですね。


仲正昌樹氏: そうですね。法学の場合は司法試験があるんで、憲法のスタンダードな教科書っていうのを書いたら、それが法科大学院の標準的な教科書として使われるし、それに基づいて司法試験の問題も出たりするから、それで権威になるわけです。法学の特に六法関係は、文系の中でも、かなり特殊な世界なんですが、その人の就いているポストと出せる本が連動してる感じが多少ありますね。

――連動ですか。


仲正昌樹氏: 例えば、旧帝大とか、それに準ずる神戸とか一橋の六法の先生だったら、その分野の標準の教科書を書いてもらおうかとかって感じになるらしいですが、格下の大学の先生だと、個人的には有名として教科書を出して売れるかどうか微妙です。本を出すっていうのが、学者としてのステータスになっている。最近だと、公募に応募する時に、業績として単著の本を送る人も少なくないです。無論、審査する人は、中身をちゃんと見るので、形だけ本でも、中身は素人レベルで、自費出版専門の非学術系出版社ということになると、相手にされないと思いますですが、それでもやはり本を書いていると、インパクトがありますよね。

――ステータスの1つ。


仲正昌樹氏: どこがステータスが高い出版社かって相場もありますね。哲学系だったら、岩波書店とか勁草書房とかがステータスが高いことになっています。法学だったら、有斐閣とか。一応学術系でもちっちゃい出版社からの自費出版だったら、ぐっと価値が下がります。

いまは本を出すのも専門書は大変な時代である



仲正昌樹氏: 本を出したいっていう欲求は、多くの学者が持っている。学者として認められたいっていう欲求と、本は出すことが結び付いている。でも、いまの出版社は露骨に金のことを気にするから、知名度がないと、版元探しからやらないといけない。法経の権威があるポストの人はいいとして、ほとんどの人は苦労します。東大でも、駒場とかのあまり有名でない先生だったら、苦労すると思います。「先生、前に本を出されたことありますか。何冊売れますか?」って、聞かれるんじゃないかと思います。金沢大レベルの先生が、コネのない状態から、いろんな出版社を回ったら、ひどく失礼な扱いを受けて、出版社に対する不信感を募らせることになると思います。

――そうなんですね。いまは著書を出すっていうことの価値観の変化があるんでしょうか?


仲正昌樹氏: そうだと思います。若い内から、本を書かないと行けないという雰囲気になっている。出版業界の変化と、人文系の学者の世界の変化が連動して起こってる現象です。人文系の学者のポストが減っているのに院生の数が増えてあふれてきたから、論文3本じゃもう足りないって、感じになっている。同じ様な業績の人が多いから、特別なアピールポイントが欲しい。やたらにたくさん書くか、分野を広げるか、本にするか。本にできればいいんだけど、そのための努力がむちゃくちゃ大変なんです。場合によっては、自分である程度お金を出してとか、買い取り条件付きで引き受けてもらいとかいうことになる。

――名目上は自費出版ではなく、商業出版で出すけれども買い取ってくれということになるんですね。


仲正昌樹氏: そういうの、多いですよ。私も時々、出版社に若手の人を紹介しているんですけれど、その人の将来性とか、売れるかどうかを出版社が見極めて、条件をつけるんです。ちゃんと見極めているかどうか分かりませんが。私のような中途半端に名前だけ知られている人間ではなく、無条件にすごく偉い先生が、「これは私が育てた中で1番優秀な弟子だ」と言って、それで出版社が納得してくれて本を出すというのがベストです。ただそんな幸運なケースはほとんどないから、どうやって、コネを作ろうかと考える。出版社と仲良くしないといけない、ということになる。

著書一覧『 仲正昌樹

この著者のタグ: 『大学教授』 『こだわり』 『書き方』 『本屋』 『書店』 『活字』 『業績』 『専門家』

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