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世界中の本好きのために

本川達雄

Profile

1948年、仙台生まれ。東京大学理学部生物学科卒業。東京大学助手、琉球大学助教授を経て、1991年より東京工業大学教授。生命理工学研究科所属。ナマコやウニの研究をしている。著書に『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)、『生物学的文明論』(新潮新書)、『「長生き」が地球を滅ぼす』(文芸社文庫)、『サンゴとサンゴ礁のはなし』(中公新書)、『ナマコガイドブック』(共著、阪急コミュニケーションズ)、『ウニ学』(東海大学出版会)など。歌う生物学者としても知られ、CDや、CD付き受験参考書『歌う生物学 必修編』(阪急コミュニケーションズ)もある。
【本川達雄ホームページ】

Book Information

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いつもと違う立ち位置で〈世界〉を眺めれば、
いつもと違った風景が見えてくる



1948年、宮城県仙台市で生まれ。仙台第一高校を経て、71年東京大学理学部生物学科(動物学)卒業。東京大学助手、琉球大学助教授、デューク大学客員助教授を経て、91年より東京工業大学教授。ナマコなど棘皮動物の「キャッチ結合組織」の研究では世界的権威。歌う生物学者としても有名で、生物学の知識を歌で覚える学習法を提唱、『歌う生物学 必修編』(2002年、阪急コミュニケーションズ)などを出している。サイズの生物学(アロメトリー)を平易に解説しベストセラーになった『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)をはじめ、著書多数。独自の視点で新しい世界観を見せてくれる本川達雄さんに、生物学に進んだきっかけや電子書籍について、お聞きしました。

書きたいものを、書きたいときに・・・


――早速ですが、近況をうかがえますか?


本川達雄氏: この年になりますと自分で実験はしなくなりましたから、パソコンの前に座っていることが多いですね。今年は専攻長になっていますので、会議だとかに時間は取られます。結構忙しいんです、大学の先生って。学生の指導もありますし、論文も書かなきゃいけない。来年いっぱいで定年ですから、現役の間にやった仕事はきちんと英語の論文にしないという気持ちで、今書いていますね。

――書かなければいけない論文は、どれぐらいあるんですか?


本川達雄氏: 5つか6つかなぁ(笑)。引退しちゃったら、すっかり気力が抜けてボケるかもしれないから(笑)。それまでに、きちんと締め切りを作ってやらないとね。

――お忙しい毎日ですね。


本川達雄氏: 論文は自分のペースで書けますから。やはり、締め切りに追われるのはキツイですよね。でも僕は、本を書くときも自分で書きたいものを書くから、あまり編集者に振り回されない。編集者が書けっていってくる本なんて書きゃしない(笑)。だって僕の本は書くたびに全然違う。だから、前代未聞の本なんかも出てくるわけでしょう。同じ本は書きたくないね(笑)

――なるほど。前代未聞とおっしゃいましたが、ベストセラーとなった『ゾウの時間ネズミの時間』(1992年、中公新書)も、今までにない視点の本でした。


本川達雄氏: あれもね、動物の運動について書き始めたんだけど、途中で動物の大きさのほうがよっぽど面白いって思って勝手に変えて、編集者に見せたら「わぁ面白い」って。中央公論の編集部以外の人に見せたら「これを絵本にしたい」と言い出して、中央公論の新書が出る前に絵本を出すわけにはいかないけど、実は絵本の校正刷りの方が先にできていたりしました(笑)。

生物の時間には、生物を歌えばいい


――「歌う生物学者」ということですが、講義で歌うのですか?


本川達雄氏: 教育っていうのは親切運動なんですね。講義や授業をして、生徒が全く分からなければ、話にならない。生物学って覚えなきゃいけないことが色々とある。ところがね、「科学は丸暗記ではいけない、頭で考えなくては」ってよくいうわけです。でも、覚えている部分がなかったら考えることだってできない。たいていの勉強嫌いは、まずとっかかりがない。考えようと思ったって、覚えているものが少なかったら何にもできないですよね。それでも試験は通らなきゃいけない。おぼれる者にワラを提供するのが親切な人でしょう。歌にすれば覚えやすい。この分野は最低限これだけ覚えればというキーワードを歌詞にして、それに音楽をつける。ゴロだってあっているわけだから。

今の子どもたちは、赤ん坊のときからテレビを見せられて育っている。すると15分ごとにコマーシャルが来る。ということは、15分ごとに音楽を聴かなかったら体が不満に思うように育っているわけですよ。それが学校に行ったら45分間音楽なしで座っている。学級崩壊だとかいうけれど、15分音楽が流れなかったら体がいうことをきかないっていう風に育てておいて、45分教室に閉じこめて音楽を聴かせないっていうのは拷問と同じじゃないですか。だからといって、算数や理科の時間に、関係のない音楽をやっても困るでしょう。だったら、生物の時間に生物を歌えばいいじゃないか、という非常に素直な発想なんですね。夏の午後の講義は、みんな必ず寝ますよ(笑)。寝るなっていうほうが酷じゃないですか?寝始めたら歌えばパッと目が覚める。手拍子して体を動かしていれば眠気もふっとぶ。

――ライブのような講義ですね。


本川達雄氏: 講義っていうのは、そもそもライブなんです。何で教科書があるのに、黒板にわざわざ書くのか。教科書を読んでいるだけでは話にならない。でも、ライブ感覚の多い先生ってあんまりいないんですね。もちろんライブをやれば疲れるんです。講義1時間やると、本当に疲れる。

――そういう意味でも親切ですね。


本川達雄氏: 「講義は分からないほうがいい。難しくて分からない講義についてこられる学生じゃなきゃ学問をするに値しない」っていう偉い先生もいらっしゃいますけどね。僕は偉くないので(笑)。一般向けの本をたくさん書いて、遊んでいる。もちろん学問もやっているんですけどね。学問だけに専念していないと、この業界では遊び人とみなされて評判が悪い。

〈素粒子〉と〈心〉の真ん中


――幼少期は、どんなお子さんだったんですか?


本川達雄氏: まあ、変わった子どもでしょうね。本は好きでよく読んでいましたよ。バイオリンも一生懸命弾いていました。音楽も好きでしたね。

――ご出身は仙台ですか?


本川達雄氏: 高校まで仙台にいて、その後東京に出てきました。僕は昭和23年生まれ、団塊の世代ですからね、高校1年のときが東京オリンピック。子どものころにはまだ空襲の焼け跡があって、おやつなんておふくろが作ったものぐらいしかない。成長するうちに、世の中がうゎ~って豊かになっていった。高度経済成長期で就職は引く手あまたでした。ものをたくさん作って売ろうという時代でしたから、工学部なんて学生定員が倍増しました。どんどん生活が豊かになって、行け行けどんどん!でしたよね。そのころは将来に何の心配もなかったんですが、その辺が僕は少し変わった子で。「これ以上豊かにならなくてもいいんじゃないの?」という気がしていたんです。だから、僕一人ぐらい、お役に立たないことをやってもいいのではないかと思ったわけ。

数学の得意な子はみんな物理や工学系に行き、物作りをめざしましたが、僕は行かなかった。お役に立たない学問を学ぶのは文学部か理学部しかない。僕は、本はたくさん読んでいました。でもね、あの当時、文学部っていうとどこか自己破滅型じゃなければいけないような気がして。僕はもう少しまっとうな人間だからって文学部はやめました(笑)。そうしたら理学部しかない。理学っていっても、数学・物理・科学・生物・地学とあるわけですよ。数学は、どう考えても僕にはできない。理科系で頭のいい子は、みんな素粒子に行ったんです。湯川秀樹さんや坂田昌一さん、ああいう人にあこがれて。でも、あれはやはり天才か大秀才が行くところ。僕はそんな天才でも大秀才でもなかった。それに、素粒子なんていうのは、イメージがわかないんですよね。だって目に見えないし。原子や分子や素粒子で全てのものができていますっていわれて、じゃあ、自分のことを理解しようと思ったときに、素粒子や分子で自分が理解できる気がしなかった。「自分とは何か」と、そういうのが好きだったから(笑)。そういう人はだいたい文学部に行くんだけど、じゃあ文学部で何をやっているかといえば、「心」とかそんなことばっかりいっている。それはそれで、「心だけ見ていて世界が分かるのかなぁ」と思ったんです。

世の中、素粒子の世界と、心の中ばっかり見ている人たちと・・・。基礎的な科学として真ん中がないんですよね。生物や、もっと目に見える世界のことから世界を眺めたら、自分のことも分かってくるのかなぁという気がして。なら生物学かなと考えて、理学部の生物学科に行っちゃったわけです。動物学教室に入ったんだけど、僕、動物好きではないんです。特定の動物を好きというわけではないから、何かの動物にのめり込むということも全然なかった。でもやっぱり動物の世界にどっぷりと一度は浸かってみないと、まともな動物学者になれないだろうなって思いはあったんです。それで、30歳のときに沖縄に行きました。海の動物で一番多様な生物がいるのはサンゴ礁なんです。色々な動物がいるところでどっぷり浸かったら、動物が好きでなくても、それなりの動物学者になれるのではないかと。とにかく世界を理解することに役立つようなことをしたかった。物質的な豊かさはもういいから、みんながそっちばかり見ているから、そうではない世界をやれたらいいなと思ったんです。

――どんな世界が見えましたか?


本川達雄氏: ほかの人とは違う立場に立つ。世の辺境に立って、そこから世の中の動きを見る。すると違った見方ができる。理想の科学だと物理学者がいうのは、数式一つで書き表せるようなものですよ。ところが生物なんて、百万、千万種といて、全部違うでしょう。その一つひとつの種が彼ら独自の世界を作っているわけです。僕は、それはすごく大事なことだと思うけれども、そんなゴチャゴチャしているものは科学ではない。科学とは、その中に共通する大原理を見つけること。その共通の大原理が、生物の場合は遺伝子なんです。物理でいう素粒子に対応するものは、生物では遺伝子という分子。もしくは細胞。そういう細胞生物学や分子生物学を研究するのが、偉い生物学者だということになっています。

――本川さんもナマコの研究では世界的権威です。


本川達雄氏: 「ナマコの仲間しか持っていないキャッチ結合組織というものを理解すると、ナマコ独自の世界が見えてくる」、これが、僕の研究。でも、そんなのナマコだけの話でしょう。普遍性なんて何もない。そういう科学は三流の科学で、評価されないんです。僕はナマコの世界の研究者としては大変偉いと思いますよ。でも、それで終わってはいけない。ナマコの世界に身を置いて人間の世界を見るとどう見えるか。そこまで行かなければ人間とのつながりが出て来ないし、公務員としてお金をもらうわけにはいかない。単なるナマコフリークでおしまいになっちゃうでしょう(笑)。

――そういうお気持ちでナマコの研究を始めたんですね。




本川達雄氏: ナマコが好きだったわけではないんです。ほかの人とは全く違った立ち位置を持ちたかった。沖縄へ行ったのにも理由があります。沖縄は、日本の中ではある意味で辺境なんです。沖縄にいると、日本国が見えてくる。日本は世界から見れば、辺境なわけです。『ゾウの時間ネズミの時間』にも書きましたが、島というのはどういうところか。島に対比するものは大陸です。今の文明は大陸の文明です。中国もアングロサクソンもみんなそう。対して、僕たちの発想は、ちまちまとした島の発想。日本が非常に島的だなというのは、もっと小さい島である沖縄に行くとよく分かる。それを元に今度は世界の大陸と、島の違いを見ると、文明の形の違いが見えてくる。ナマコなんて脳みそがない、特別な感覚器官もないんです。そういう動物の世界から見ると、脳みそがこんなに発達している人間の世界が対比できる。少し違った世界の見方ができるわけです。

普遍性がないといわれますが、特殊な立場に立ってもう一度普遍を見直すと、少し違うものが見えてくる。普遍性、共通性、グローバリズムがいいって、みんなそういう。それが、少し行きすぎているような気がして・・・。僕たちは遺伝子で生きているわけじゃない。普遍性で生きているわけじゃない。個別のものとして、個人として存在するわけですね。同じ人間という種だって顔つきはみんな違うんですから。具体的なものは全部個別なんです。個別のものこそが、僕たちが手に触れ、感じられるものなんですよ。普遍なんて、感じられないんです。遺伝子も素粒子も目には見えない。普遍というのは、僕たちの実感にはないものなんです。そういう実感できないものを正しい正しいといって、個別のものを軽く見て共通性ばっかり重要視している。個別のものを大事にしながら、それをちゃんと普遍につながるようにする、そういう立場が大切じゃないのかなっていうのが、僕がずっとやってきたことです。

電子書籍を年寄りお助けグッズに


――本を書かれるうえで大事にしていることはありますか?


本川達雄氏: とにかく、読みやすいこと。特に科学者の書く文章って、読んでも分からないのが多いんですね。読んだとき読み手がどう思って、次にどんな言葉が来るのを期待するか。そういう意識の流れみたいなものに沿って書くと、すごく読みやすくなるんです。主役は読み手なんですよ。読み手が期待したことがずっと来て、あるところで突然パッと、「実は…」とやるからこそ眠り込まない。そうやって、読者の意識の流れを意識して書くことを、いつも気にかけています。だから僕は、授業でも本でも、全て相手が主役の親切主義ですね。

――先生の著作は読者を限定しないですよね。


本川達雄氏: 小学生からお年寄りまでですね。『ゾウの時間ネズミの時間』は相当難しい本ですけれども、小学校で必読図書になっていたりする(笑)。あれは実は、何も生物学だけの話ではないんですよ。もちろん、生物学としても大変面白い本ですよ、分かる人が読めば。だけど、あれを読むと、社会のことに思いがいくようにできているんです。単なる生物学だけじゃ、生物学者しか読まない(笑)。新書を書くならやはり、誰でも興味を持てるようなものじゃなきゃいけない。

――電子書籍は読まれますか?




本川達雄氏: 全然読まないんです。こんなのは若者文化でいらないって、ついこの間まで思っていたんですが・・・。実はけんしょう炎になってしまってね。原因は、世界の名著、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』を、電車で立ったまま読んだこと。2週間読み続けたら、けんしょう炎になっちゃった。そんなに重くないんだよ、中央公論世界の名著、それすら持っていられなくなった。これはけんしょう炎防止に電子書籍にしたほうがいいかもって(笑)。そしたらさらに五十肩になって、小さい字を読むと肩こりがひどい。電子書籍なら字も拡大できる。これは年寄りのお助けグッズだ! そろそろ買おうかなと思っています。

――若者文化に見える電子書籍も、違う目線で見たらもっと可能性が広がりそうですね。


本川達雄氏: もう少し年寄り向けに作ればいい。僕はマックユーザーなんですが、OS10になるときに大幅にシステムが変わった。キーボードの操作から変わってしまうなんてひどいよね。いったん覚えたキー操作は財産なんだから、OSやソフトのバージョンアップごとに、ころころとかえられたんではたまりません。覚えの悪い老人にとっては酷です。日本はこれから年寄りの世界です。電子書籍だって、老眼になった人でも読める文字にしなきゃ、話にならない(笑)。持てる大きさ、重さにしなきゃいけないし。

――そういう意味では電子書籍の可能性というのは大いにあるということですね。


本川達雄氏: あると思いますね。ただ、紙の良さはありますよ。読んだものは財産ですから。それはね、何が書かれているかだけじゃない。読みたいときに、この辺の厚さのこのあたりを開けば、それが書いてあるっていうのが財産ですね。電子書籍は検索すれば出るっていうけど、そういう空間的財産はないですよね。やっぱり体で覚えている空間や手触りは重要だと思う。背表紙を見ているっていうのは悪くはない。買っても、こんなに読んでいないのが積んであるっていうのも悪くない(笑)だから、両方あればいいじゃないかって思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

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この著者のタグ: 『大学教授』 『紙』 『生物学』 『学問』 『講義』 『ライブ』 『財産』

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