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世界中の本好きのために

橘木俊詔

Profile

1943年兵庫県生まれ。67年小樽商科大学商学部卒業、69年大阪大学大学院経済学研究科修士課程修了。73年ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。79年京都大学経済研究所助教授に就任。86年同大学同研究所教授。2003年同大学経済学研究科教授。この間INSEE、OECD、大阪大学、スタンフォード大学、London School of Economics等で教職と研究職を、経企庁、日銀、郵政省、大蔵省、通産省の各研究所特別研究官で研究職を歴任。2007年同志社大学経済学部教授、現在に至る。元日本経済学会会長。近著に『スポーツの世界は学歴社会 』(PHP新書、斉藤隆志との共著)など。

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インパクトのある本は、社会に『風』を巻き起こす



経済学者の橘木俊詔さんは、多くの著作で、経済学の観点から読者に様々な社会的イシューを提示し続けています。特に、2006年に出版した『格差社会 何が問題なのか』では格差社会に警鐘を鳴らし、広範な議論を生みました。そんな橘木さんに、学者になるきっかけとなったアメリカ、フランスへの留学体験、執筆スタイル、書籍、出版の未来、日本経済の行方などについて伺いました。

ゼミ合宿で論戦に備える。『飲み』交流も楽しみ


――まずは先生の普段のお仕事や、近況についてお聞かせいただけますか?


橘木俊詔氏: 基本的には研究と、大学の教員ですから教育が2大イベントです。研究という方面では私の研究を色々な形で書物や論文として出版すること。教育に関しては、大学教育はやっぱりゼミが非常に大事ですので、ゼミの学生と滋賀県の北で合宿をやります。合宿の目的は慶応義塾大学とインターゼミをやっておりまして、そのインゼミで発表する論文をこちらでたたいて、それをもって慶応のゼミと一日戦うということです。

――今は最後の準備期間といったところでしょうか?


橘木俊詔氏: そうですね。学生は一番忙しいと思います。でも非常に楽しんでいましてね、京都の学生だから東京を知らない。だからそのインゼミが終わった後は翌日ディズニーランドに行くとかね。そういう計画をしているようです。学生20人位で行くみたいです。私はディズニーランドには行かず、夜に慶応の学生さんと飲み会をやりますので、皆とても楽しみにしています。

思考回路は手書きとリンク。橘木式執筆法


――お仕事のスタイルについてお伺いしたいんですが、普段、執筆はどのように行われていますか?


橘木俊詔氏: 私は基本的には研究室か自宅が執筆の場所です。原稿はやや特殊な形式を取っております。自分でもメールやインターネットもやりますし、入力もできるんですけれど、まず手書きで書きます。その原稿に矢印で「ここに何を入れる」とかを指示して、秘書の方がばっと打ってくれる。これはもうびっくりする位速いスピードで打ってくれますからね。その入力した草稿を私が徹底的に修正するという方法にしています。その方が私にとっては効率的なんです。私の世代は若い時からずっと手書きなので、ここ10年20年インターネットが出てきて皆キーボード入力になりましたけれど、それをいきなりパソコンに変えるのはなかなかしんどい。出版社も手書きで送られると困るでしょうから、秘書の方に入力をお願いしていますね。

――最終的な入稿まで手書きではないと駄目だという作家さんもいらっしゃいます。


橘木俊詔氏: 小説家はそうかもしれませんけどね。われわれは経済の本ですから、そんな小説家のような色々な言い回しで複雑に書くことはない。手書きのままで出版社に出すのは失礼だと思うから、送る時はもうデータで送ってます。

――先生が最初に手書きで書かれているのは、原稿用紙でしょうか?


橘木俊詔氏: お見せしましょうか。これ今ちょうど私が終えたものです。一つの原稿がこんな分厚い。これ今一生懸命打ってもらっているんですけどね。これは自伝なんです。ある出版社から自伝を書きませんかと言われていて。自伝となると昔のことを色々思い出しながら書きますからね。

――鹿児島県のご出身なんですね。


橘木俊詔氏: そう。薩摩隼人。でも生まれは兵庫。おやじとおふくろが鹿児島出身で、関西で生活していましたから。そこで私が生まれたという訳で。

――橘木という名字は、鹿児島の方の名字なんでしょうか?


橘木俊詔氏: 鹿児島って変わった名字が多いでしょう。橘(たちばな)ならまだいいけどね。木が余分じゃないですか。「気」が多いって言ってるんですよ(笑)。だから私は時々外国に行った時は、「私の名前は非常に高貴な名前で、しかも京都出身だから公家だ」という冗談を言ってですね、最初びっくりさせたりするんです。

――自伝はいつごろ出版されるんですか?


橘木俊詔氏: 来年だと思いますね。

――やはり実際に書かれているものを見ると迫力がありますね。手書きの方が思ったことがすらすら出てきたりするのでしょうか?


橘木俊詔氏: そうなんです。自分の本はもうこういう形でしか書けない。思考回路があるからそれを突如として変えるのは不可能ですね。

――執筆に入る時はガッと一気にお書きになるのですか?


橘木俊詔氏: ガッといく方ですね。私は割合書くのは早い方です。もう思いつくままに書いていくっていう感じです。

アメリカ、フランス。学究の道は「世界放浪」


――先生がなぜ学問を志したのかを、学生時代くらいからお聞きしたいと思います。


橘木俊詔氏: 私は神戸の灘高校出身なんですが、落ちこぼれなんですよ。灘高では駄目で、北海道の小樽商大というところまで逃げていった。だから放浪ですよ。でも勉強はもともと嫌いじゃなかった。やっぱり灘高へ行こうというから、そうそう成績は悪くなかった。勉強に向いているという訳で学者を目指したというのが私の人生です。それから世界の放浪が始まってアメリカに行った訳です。

――ジョンズ・ホプキンス大学ですね。


橘木俊詔氏: ジョンズ・ホプキンス大学でPh.D(博士号)を取ってまた放浪が始まって、フランスへ行ったんですよ。フランスに4年いて、日本に帰ってきてずっと大学にいるというのが私のキャリアです。

――放浪という言葉を使われましたが、フランスやアメリカへ渡ろうと思ったのは、どのようなきっかけでしたか?


橘木俊詔氏: 放浪というと、ポジティブな意味とネガティブな意味がありますね。小樽商大へ行ったのはもう完全に「逃げたい」という感じだった。ただフランスやアメリカはへはやっぱり行きたかったですね。これは自分で行きたいと思ったから必死になって英語をやったりフランス語をやったりしたんです。フランス語は行った時はできなかったですけどね。フランスという国はフランス語ができなかったらもう生活できないところなんです。英語をしゃべってくれないんですよ。彼らはフランス語が世界一きれいだと思っているからね。英語なんか野蛮人のしゃべる言葉だと思っていますからね。

――今でもフランスへはよく行かれているのですか?


橘木俊詔氏: 今は外国は行きません。30代、40代、50代の時は毎年行っていましたけどね。

人生は学問だけじゃない。私の「ふらんす物語」


――フランスに行かれる前は、書物等でフランスに関する知識を得ていたのでしょうか?


橘木俊詔氏: なんでフランスへ行ったかというと、正直に言って、フランスに憧れていましたね。フランスの小説は高校や大学の時に読んでいてね。「フランスというのはすごい小説家がいっぱいいるな」と。画家とか音楽家とか。そういう体験というのがやっぱりフランスに私を行かしめた最大の理由だと思いますね。

――外国に住んでいると、土地になじむというか雰囲気を醸し出すっていうのがあると思いますが、先生はフランスに行って立ち居振る舞いが変わったりということはありますか?


橘木俊詔氏: 私はどう見てもイケメンじゃないからそんな感じはないですが。でもフランス文化にはやっぱりかぶれていましたね。

――当時日本にはアメリカ礼賛というところもあったと思うんですが。


橘木俊詔氏: 学問するのはやっぱりアメリカですよ。だから大学院はアメリカに行きましたからね。学問はアメリカに行って研究した方が良いと思って行ったんだけど、人生学問だけじゃないですよ。色んなことを楽しまないと。そうなるとヨーロッパっていうのはもう対極ですから。最初は勉強でアメリカへ行ったけども、勉強よりも人生を楽しもうという訳でヨーロッパに行ったっていうのがありますね。

――向こうでもたくさんご本は読まれましたか?


橘木俊詔氏: フランス語も読めましたから、フランスでも本は読んでいました。4年いれば誰でもできると思いますよ。でも帰ってきたらもう駄目ですね。当時はフランス語でセミナーなんかもできる実力があったけれど、日本に帰ってきたらフランス語を使う機会がない。どこの世界でも今や英語が主流でしょ。象徴的に言うんだけど、例えば20人の会議でフランス人18人と私がいると、私フランス語ができるからフランス語でも会議が成立するんですよ。ところが1人アメリカ人がいてね、彼がフランス語ができなかったらもう英語になっちゃうんですよ。それ位に英語が世界中を席巻していますからね。今でもレストランに行って料理を頼むとか、日常会話はできるけど、討論はできませんね。

――日本での学生時代や、留学時代も含めて、影響を受けた本や印象に残った本を挙げると何でしょうか?


橘木俊詔氏: 私は永井荷風が好きなんですよ。永井荷風というのは第一高等学校を受験で失敗していてね。おやじが官僚で東大に行けと言われていた。彼は勉強が大嫌いで、ご存じのように遊び人で、色々江戸の文化を遊んでいた男じゃないですか。彼はもう日本では駄目だと思ってアメリカに行って『あめりか物語』という本を書いたんですよ。ところがアメリカにもやっぱりなじめなかった。彼もフランスかぶれなんですよ。『ふらんす物語』って、もうフランスに恋憧れるような文章を書いていたでしょう。

――先生と共通点があるようですね。


橘木俊詔氏: 私も「自分は永井荷風とよう似とるな」と思いますね。文才は全くないですけれど。アメリカへ行ってもなじめたのは野球くらいですよ。どう考えても私もフランスへ行きたかった。永井荷風がやったようにアメリカからフランスに行ったんです。だからやっぱり永井荷風が「人生の恩師」という感じがしますね。

――先生にはいわゆる荷風のような「江戸趣味」はないのでしょうか?


橘木俊詔氏: それは全く違いますね。荷風はすごい遊び人でしたよ。彼は慶応の文学部の教授をやっていたけど、女とばっかり遊んでる奴はいかんという訳で首になってるんですよ。私はそんなにモテるタイプじゃないです(笑)。

――先生のゼミは、板書をされないなど独特のスタイルで行っているとお聞きしました。




橘木俊詔氏: 全部対話型です。私が問題提起して学生何人かに意見を言わせて、学生同士で討論させたり。それをいつまでもやっていたら時間がいくらあっても足りませんから、議論収束という形で、ひとつのテーマを10分か15分議論するということでやっています。

――ゼミ生は常に本を読んだり、勉強しておかないと意見が言えないでしょうね。


橘木俊詔氏: だからゼミに来る前にちゃんと読んどけと言ってますね。その知識を得た上で議論するっていうのであればお互いに確かめ合えるし、他人がどんなことを考えているかということを知るのは、彼らにとってもすごく良いことなので、討論型にしているんです。

――今まで多くのゼミ生、若い人に接して来ていると思うんですけども、学生は昔と比べてどのように変わってきていると思いますか?


橘木俊詔氏: 今の学生の方がまじめですね。昔は授業出てこない学生がいっぱいいましたからね。私は京大に30年位いましたけど、京大なんて自由な大学の代表ですからね。まあゼミは来ますけど板書をやる時の授業なんてのはあんまり来ない。ところが今は京大でも同志社でも学生はかなり来ますね。

――それはなぜなのでしょうか?


橘木俊詔氏: 就職が難しいから。やっぱり勉強しとかんとあかんという意識があるんじゃないですかね。バブルのころなんてうらやましい時代じゃないですか。今とは段違いですからね。そういう意味では学生はかわいそうですよ。

――よく今の若い人は本を読まないと言われていますけど、先生が教える学生に関してはそれは感じませんか?


橘木俊詔氏: 私は京大、同志社しか知りませんけどね。割合皆まじめに読んでいますよ。

紙のにおいに幸せを感じる。電子との選択の時代


――電子書籍の話をさせていただきますが、学生が読書をするということが大前提となる大学教育において、電子書籍が何か大きな変化をもたらすと思いますか?


橘木俊詔氏: 例えばですね、300人の授業の時に教科書で電子書籍っていうのを使えますかね?一人ひとりスマートフォンでできますかね?

――スマートフォンじゃ無理ですかね。iPad位の大きさがあればできるかもしれません。


橘木俊詔氏: やっぱりスクリーンが大きくないと。となると300人の集落ですからね。やっぱり大教室の授業もある訳ですよ。大教室の授業で全員机の前にスクリーンを置いてやるにはどうなんですかね。お金の面でも。

――例えば、先生が学生に何か意見を求める時に、タッチパネルなどを使って反応できるかもしれませんね。


橘木俊詔氏: それをやっている先生もいるんですよ。300人っていうのはとてもできないから、ちっちゃなクラスでやっていて。その反応で学生の出席を取るっていうんですよ。私の授業は全く出席を取らないんだけど、出席を大事にする先生もいる訳ですよ。そういう人は先生が何か発信して、それにリアクションしないといけない。彼に聞いたら彼はそういうマシンにものすごく強くてね。私は技術に弱いけど、そこまでいっているんですね、今の時代は。電子書籍は今後やっぱり発展していくんじゃないですか。でも電子書籍になじめない人もやっぱりいる。紙開けた時のにおいとね、やっぱりめくりながらというのに生きがいを感じる人もいるからね。電子書籍好きな人は電子でいけばいいし、紙媒体が好きな人は紙でいけばいいっていう選択の社会になるんじゃないでしょうかね。

――すぐに紙の本がなくなるっていうことはないでしょうか?


橘木俊詔氏: ないと思いますね。紙はもう1000年以上歴史のある媒体じゃないですか。ここ10年20年で紙がなくなるっていうことはないと思うわな。やっぱり紙のにおいで何か幸せを感じるじゃないですか。書き込んだりもできるし。だから私はやっぱり選択だと思いますよね。

――先生は電子書籍を読まれることはありますか?また先生が今まで出されたご本を電子化して、電子書籍として読みたいというユーザーがたくさんいるのですが、それについてはどう思われますか。


橘木俊詔氏: 私は電子化された本は読んでいません。専ら紙媒体ですけど、私の本を読まれる方は、どういう形でも、読んでくれればありがたいと思っています。

教科書から漱石、鴎外が消えるのは残念


――昔読んでいた本と今読んでいる本で、変わったと感じられる部分はありますか?


橘木俊詔氏: やっぱり昔の文書を読むのが非常につらいというかね。明治時代、例えばさきほど出た永井荷風の本なんか読むとね、ちょっと日本語が違うじゃないですか。だからわれわれは昔の人の書いたのを読むのは苦労するなっていうのを感じます。江戸時代の本なんかもなかなか読みにくいですね。隔世の感がある。基本的な私の仕事のためには今の本さえ読めればいいんだけどね。時々古い本なんかを読むこともあると、スピードが完全に遅れてしまうっていうデメリットを感じる。これは古文の教育がおろそかになっていたのが理由かもしれませんけどね。中学校高校の時にもうちょっと古い言葉の古文を読む訓練をもっとしておけば良かったなと思います。段々今高等学校でも古文の比率が落ちているみたいですね。夏目漱石と森鴎外すらもう教科書にないといいますからね。今や文豪の小説が教科書から消えたというのは、古い人の作品を読まなくなったというのは残念ですけどね。

――確かに古文や旧仮名遣いの文章を読む機会はありませんね。


橘木俊詔氏: 現代語訳したものを読むか、もともとの彼らの書いた文章で読むかでやっぱり違いますよね。われわれが小学校中学校のころは、昔の文章で読めたから。今の生徒さんには無理でしょう。われわれのころは、まだ先生が教えてくれた。ただ明治時代の彼らが最初に書いた書体かどうかは分かりません。小学生にも分かるように書き直した書体だったかもしれませんけどね。そこはちょっと記憶がないですけどね。もうひとつ言えば、昔は文章にカタカナが多かったじゃないですか。明治時代とか。今やカタカナは外来語だけですね。ベースボールとかバスケットボールとかね。大正時代、戦争前の日本語もカタカナが多いですよね。ひらがなよりもカタカナの方が多かった。これやっぱり日々言語というのは変わるなっていうのを痛感しますね。

編集者は新しい書き手を発掘せよ


――本を買う時は、書店へ行かれたりするんですか?


橘木俊詔氏: やっぱり本屋で買いますね。新聞の宣伝を見て自分の欲しいと思った本は中身を見ずにもうタイトルから買います。タイトルが大事ですよね。

――先生の本のタイトルっていうのはどのようにして決められるんですか?


橘木俊詔氏: やっぱり編集者の方が慣れていますから、われわれ執筆者の方がタイトルを作るっていうことはあんまりないですね。中身は全部私が書きますけどね。タイトルは編集者の方が発言権があります。やっぱり彼らは営業のことを考えるからでしょう。私みたいにタイトルだけで買う読者もいるとなると、タイトルは大事ですよね。失敗することもありますけれど。編集者が、後で「この本はなんで売れなかったのか」という反省会をやった時、「私のタイトルが失敗でした」と、ちゃんと認める編集者もいますよ。

――編集者の役割っていうのはすごく大きいですね。出版不況といわれる中、これからの書籍や、編集者の役割はどのようなところにあると思いますか?


橘木俊詔氏: 編集者は、書き手をどうやって探すかということ。今は出版社の場合は、売れる本っていうのがプライオリティーになっているから、特定のベストセラー作家に集中する傾向があると思います。だから逆に言えば、あんまり名前は知られてないけれど皆に注目してもらえるような書き手をいかに見つけてくるかは、編集者の一番の腕前だと私は見ていますね。ベストセラー作家ってもう行列ができてるんじゃないですかね。

――さきほど自伝のお話もありましたが、先生にも様々な執筆の依頼があるようですね。


橘木俊詔氏: 私もたくさん本を出している方だと思います。幸か不幸か依頼が結構あるので書き続けていますけどね。でも基本的には学者ですから、何十万部とか百万部とかそんなのは絶対にありえない。発行部数は限られているけれど、社会に何らかのインパクトのある本を書ければわれわれの生きがいっていう感じはしますね。

貧困、格差社会。学術書が予想外のヒット


――先生の最近の著作で印象深いのは、格差や貧困の問題に言及された本です。2006年の『格差社会 何が問題なのか』(岩波新書)は幅広く議論を巻き起こしました。


橘木俊詔氏: 私の本の中で一番売れたのが『格差社会 何が問題なのか』なんですよ。もう20刷位いっていますからね。私は格差社会という言葉を言い出した1人です。もともと98年のころから言っていて、その後格差社会、格差社会といわれるようになって、小泉元首相が「格差社会で何が悪い」と言ったもんだから、『格差社会 何が問題なのか』で何が問題かいう答えを書いた感じなんです。小泉元首相がそういう発言をしてくれたから、格差社会とは何かということを一般の人も関心を持ったんじゃないですか。日本が格差社会になっていますよということを伝えたというメリットは多少なりともあったような気はしますね。もう一つ関連書として『日本の貧困研究』(東大出版会、浦川邦夫と共著)を同じ時期に出版しました。

――でも内容はかなり難しい本ですよね。いわゆる大衆向けではない。




橘木俊詔氏: これはもう大衆は狙ってはいないんですよね。学術書ですからね。中はものすごく難しいんですよ。もう数学だらけ。最初は日本語かもしれないけどもう後は数学やら統計やら。もうごりごりの専門書です。ところがこれは難しい本なのにかなり売れたんですよね。東大出版会もびっくりする程売れた。ごく最近の本でいえば同じ東大出版会から『働くための社会制度』(髙畑雄嗣と共著)というのを出して、学術書だから学者とか学生に読んでほしいんだけど、これはあんまり売れんかったですね。東大出版会は橘木は専門書を出しても売れるだろうと思ってたんだけれど駄目でした。柳の下にドジョウはいない。だから難しいですね。何が売れて、何が売れんかというのは。

――先生の著作から、格差社会や貧困といったテーマが一般にも知れ渡ることになりましたね。


橘木俊詔氏: 書いた当初はそんな意図は全くなかったですけどね。「日本は今貧富の格差が広がっているぞ」と、学者の仕事としてそういうことを世の中に問うたんですけどね。言ってみれば風が吹いたというかね。

成熟する日本。高度成長幻想を捨てよ


――先生ご自身の著作についてもう少し伺います。最近、先生は精神科医の香山リカさんと『ほどほどに豊かな社会』(ナカニシヤ出版)。先生と同じ同志社大学の浜矩子教授と『成熟ニッポン、もう経済成長はいらない』(朝日新聞出版)という本を出されました。両著とも、日本の経済状況の見立てと、経済成長という尺度の見直しが重要な論点となっていますが、そのあたりのお考えをあらためてお聞かせください。


橘木俊詔氏: 経済学は経済成長っていうのを第一に置くんですよ。非常に豊かさを強調するし、経済成長の高い方が良いという様なことをいうんだけど、私は日本みたいにある程度豊かになった社会であれば、がむしゃらに働いて経済成長を求めるよりも、自分の好きなことをやってね、そこそこ生きればいいんじゃないかいうのが信念ですね。もう経済成長はいいじゃないかと。ほどほどの生活ができて、自分の好きなことをやって、レジャーができる位のお金を稼いだらそれでいいじゃないかと。本が好きな人は本をじゃんじゃん読むし、スポーツ好きな人はスポーツをやるし。自分の好きなことに時間を費やしたらいいんじゃないかいう本を出版したんだけど、日本ではなかなかこの考えはまだ少数派ですね。やっぱり日本人は頑張れと。

中国にGDPが負けたから尖閣とか何とかであの国は日本に攻勢をかけてきている。日本も経済が強くならなければいかんというような方が多数派だと私は見ていますね。でも高度成長はもう無理だと思います。1%程度の経済成長率がやれれば日本は十分。なぜかというと少子高齢化じゃないですか。もう労働力が段々減ってくる社会で、人口が減っていけば購買力も減る。そうとなると、どうしても高い経済成長率は無理ですね。でも食えない経済だけは困ると。退歩は困る。要するにネガティブの成長率、マイナス1とか2っていう成長率はこれは生活水準が下がるということを意味するからね。これは困るけれど、まあプラス1%程度の経済成長率で十分ではないかっていうのがこの辺の私の意見なんですね。

新たなる執筆対象「スポーツと学歴」を探る


――今書かれている本や、これから取り上げたいテーマは何かありますか?


橘木俊詔氏: 私はもう経済学は十分にやったと思うんで、ひとつはスポーツですね。私、スポーツは好きなんですよ。フランス人はスポーツが大嫌いだけどね。スポーツに関する本を、最近書き終えました。

――スポーツですか。それは経済学的な観点から書かれているのですか?


橘木俊詔氏: そうですね。労働経済学が専攻ですからね。スポーツにおける学歴について書きました。学校というのは皆さんものすごい関心がある訳ですよ。だからスポーツの世界でどれだけ学歴が生きているか、なんで巨人に過去には慶応出身者、今では中央大出身者が多いかとかね。ラグビー、サッカーとか、どういう学校を出た人がどこに行っているかとか。例えば中日ドラゴンズは明治閥なんですよ。そういうことを一生懸命調べてきてね。

――そういえば先生は野球、特に阪神ファンとしても知られていますね。


橘木俊詔氏: 甲子園にもよく行きますよ。もう趣味だからね。趣味で本が書けるなんてありがたいと思ってね。でも半年くらいかかっています。やっぱり資料集めて調べなければいけないから。でも全然苦にならない。あっという間ですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 橘木俊詔

この著者のタグ: 『大学教授』 『スポーツ』 『海外』 『紙』 『研究』 『教育』 『本屋』 『書店』 『タイトル』 『放浪』 『文豪』 『教科書』 『格差社会』

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