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世界中の本好きのために

若宮健

Profile

1940年、秋田県生まれ。トヨタ自動車のディーラーに19年勤務。メカニックから営業マン、営業所長を経験。営業マン13年間で新車を1200台販売。独立して自動車販売会社を設立するも、3年で撤退。その後、損保代理店、証券会社勤務を経験するも、一度体験したいと考えていたタクシードライバーを経験し、タクシードライバーをネタに『タクシードライバーほど素敵な商売はない』にて作家デビュー。選手として出場したスポーツは、スキー、ボクシングなど。ラリーにも出場。‘98年『夕刊フジ』に「ハマの流しの運転手」のタイトルで連載を執筆。近著に『パチンコに日本人は20年で540兆円使った』(幻冬舎新書)がある。

Book Information

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生き方もハードボイルド 前だけを見て物を書くノンフィクションライター



自動車業界のすご腕の営業マンからタクシードライバーに転身して、硬派なノンフィクションに挑む若宮健さん。物議をかもしながらも、『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』をはじめとする体を張ったパチンコ業界の取材で一躍有名になりました。「体は40歳、心は20歳」の若宮さんの鍛え抜かれた肉体の秘密や本にまつわるエピソード、仕事に対する熱い思いを伺いました。

最初の1冊目、持ち込み原稿がいきなり


――若宮さんの最初の『タクシードライバーほど素敵な商売はない』(エール出版社)という作品は、タクシー運転手をされていたときのご経験を書かれたんですか?


若宮健氏: タクシードライバーをやっていたので、タクシーをテーマにしたんですよ。最初の1冊目は8割、運ですね。だって、いきなり持ち込み原稿がすんなり、「じゃあやりましょう」と本になったんですから。ツイていましたね。普通は持ち込み原稿が一発で決まることは、まずないですね。たまたま紹介者がいたんですけどね。僕が昔、車の営業マンをやっていたころの知り合いで、ホンダの本社の開発部にいた男なんですが、社長と喧嘩して辞めちゃって、『告発自動車業界』(エール出版社)という本を出して、自動車業界を告発したんですよ。当時、輸出用の車は安全基準がうるさかった。そっちは完璧に作っていたのに、国内向けの車の品質を落としていたという内幕を書いちゃったんですよ。高岡章雄という人ですが。

――またすごいことをしましたね。


若宮健氏: 大企業ってとこは本当に怖いですよ。彼も探偵に尾行されたり、危ない思いもしたようで、結局退職の理由は「精神に異常を来したからだ」なんてでっちあげられたりね。僕が産経新聞の投稿のコーナーに3回採用されたのを、たまたま彼が読んでいて、「あんたも本を書けよと」と言うので、「いや、だけどネタをどうしよう」と言うと、「せっかくネタを取るためにタクシーに乗っているんだから、タクシーのネタで書けばいいんじゃないか」と。だから安易な発想ですよ。それで書きました。当時はWordもまだできなくて、手書きで250枚書きました。で、その高岡さんの紹介でエール出版社に原稿を持って行ったんですよ。

――飛び込みで持って行かれたんですか?


若宮健氏: いや、彼が社長に電話しておいてくれたんです。で、たまたま行ったら社長がいて、僕の原稿をパパパッと見て、「いいでしょう。いきましょう!」ということで、出してくれることになった。結局、僕は運が8割だったと思いますよ。

――その運をつかんだんですね。




若宮健氏: そうですね。運は、プラス思考の人間にしか来ないですよね。マイナス思考の人間には運が来ない。僕は今でも、電車に乗って座るところがなきゃ、「これは体を鍛えろということだ!」と思って、喜んで立っています(笑)。そのあと、パチンコネタで書いたのが2006年。『打ったらハマるパチンコの罠―ギャンブルで壊れるあなたのココロ』(社会批評社)という本ですが、そのときは、出版社を10社回りました。みんな、このテーマには驚いたと思いますね。

――これはちょっとネタにはできないって思いますよね。


若宮健氏: ええ。「これを出したらわが社もやばくなる」と。10社目で社会批評社っていう会社の社長が、「よし、やりましょう」と。それが始まりだったんですよ。そのあと、パチンコでパート1、パート2と出て、祥伝社で『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』という本も出しました。脅しのメールが来たりとか、これは、いやもう色々ありましたね。色々おつきあいする中で、出版社がどういう姿勢で本をつくっているかがわかってきました。著者を守るかどうかという点も含めて。業界の脅しに屈しない硬派の編集者もいれば、腰がひけている人もいます。

――危ない目にも遭われましたか?


若宮健氏: もちろん脅しのメールも来ますけど、関心ないですから、全て迷惑メールにぶち込んでしまいます。出版社は、きわどいテーマでも、いったん完成した以上は、度胸を据えて正面から向かうべきですよね。『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』では、韓国を徹底的に前面に出して書くべきだということで出版社も了解して書いた本だったんですけどね。変なブロガーみたいな人がネットに投稿したり、ずいぶんとたたかれました。その後僕は、『カジノ解禁が日本を滅ぼす』(祥伝社)も出したんですけど、それにも書き込みをされました。だから、僕は業界の人間とは絶対会わないんですよ。探偵事務所の取材も受けません。

カーディーラー、損保の代理店、そして物書きへ


――作家になられる前にも、色々なお仕事を経験されていらっしゃいますが、ジャーナリストになられたきっかけは、98年のフジの連載ごろからですか?


若宮健氏: 以前はトヨタのディーラーで新車1000台売らせてもらったんです。そのきっかけが、ヘミングウェイなんですよ。「飼いならされた羊として百日生きるよりも、1日をライオンとして生きなさい」という言葉を読んで、心をかき立てられた。「よし、1000台売ってやろう、売ってみせるぞ!」と。

――当時はお忙しかったんじゃないですか?


若宮健氏: もともと営業マンっていうのは、とにかく家に帰るのが遅いでしょう。当時は、手形の作成から不渡り回収から全て営業マンがやっていました。今のようなクレジット的なものもなかったので、「マル専手形」というものを銀行から発行してもらって、それに金額を入れお客様のところへ持参して印鑑をもらう。会社ではそれを割り引いて使うわけですよ。今の営業マンより仕事が倍くらい多かった。だいたい10時前に帰ることがなかったですね。それで、家に帰れば女房によく言われたのが、「風呂、飯、寝るしか言わないで、ただひたすらに本ばかり読んでいる」と。今、たまに営業マン向けの講演もやらせてもらっているんですけども、「営業の成績をあげたかったら本を読みなさい」って言うんですよ。「なんでもいい、ビジネスにこだわることはない。雑学でもなんでもいいから読みなさい。本を読む癖をつけなさい。」ってよく言うんですよ。だって、本を読むことによって自分が体験できないことを知ることができる。それだけでもいいですよね。

――忙しい中でも本は読まれていたんですか?


若宮健氏: はい、そのころからもう本だけは絶対に欠かさなかったです。いくら忙しくても、マージャンをやっても、酒を飲んでも、本だけは手放さなかったですね。そのあとは、損害保険の代理店をやったんですよ。車を売っていましたから嫌でも損保はつきもので、資格を持っていましたから。そうこうしているうちに、面白くなくなってしまって、結局撤退しました。

――そこから物書きの道に入っていかれたんですね。


若宮健氏: もともと本が好きでしたから、とにかく物書きになれればいいなと思っていたんですよ。どうせ事業は失敗したんだから、人生二毛作三毛作で、「よし、物書きに挑戦してみよう」思ったんです。「これは、神様が与えたチャンスだ」と。それでタクシードライバーに挑戦したんですよ。

――タクシードライバーを選ばれたのはなぜですか?


若宮健氏: あれがまたいい仕事なんです。ネタが入りますでしょ。しかもただです。そして色々な人と会えます。やくざから政治家まで、ただで会えますから。横浜で乗っていたころには、昔の社会党の代議士さんと2回会いました。偶然2回も僕の車に乗られたんですよ。いや、不思議でした。タクシードライバーっていうのは、一石三鳥くらいあるんですよ。だから物書きを目指す人はタクシードライバーをやるべきだと思いますね。ネタが入って、人に会えて、小遣いも入る。

ゲートボールの横でシャドーボクシング


――体を動かすことがお好きだと伺いました。


若宮健氏: ついこのあいだ船舶免許を取りました。5日間ぶっ通しで通いまして。この日曜日が実地試験だったんですよ。丸1日海へ出ましてね。いやぁ、あれは結構きつかったですね。海上をボートでスラロームさせられた。だけど、僕は体力が取り柄ですから。

――スキーやボクシングもなさるんですか?


若宮健氏: 本気でやったのはスキーです。骨折をしなければ、オリンピックも行けたかもしれません。中学生で滑降の前走をやりましたよ。スキー大会の場合必ず前走というのがあるんです。前走というゼッケンを着けて、選手が滑る前に、試しに1人滑るんですが、転んでコースに穴があくような下手な人ではダメなんです。ボクシングは、実際公式の試合にも出ました。で、今でもシャドーボクシングはやっていますよ。散歩の途中に運動公園へ寄って。同じ年くらいの人がゲートボールやっている横でシャドーボクシングをやると、獣を見るような目で見られますけど(笑)。僕はあんなチンタラしたことは日当100万もらってもやれないですよ。そんな暇があったら体を動かしたい。

――ほかにも何か運動をなさっていますか?


若宮健氏: だいたい1日1時間半歩くんですよ。それもたらたらじゃなくて早足。それで途中で運動公園へ寄る。汗びっしょりです。それからバック走行を500メートルやります。バック走っていうのは後ろ向きに走る。走ると言っても早足ですね。早足で500メートル。これが最高にいいんですよ。というのは、人間は前に歩くことしかしないでしょ。バック走は普段使わない筋肉を使う。慣れると、自然とばーっとバックに走れるようになります。シャドーボクシングは、女性にも薦めたいですね。体のバランスと心肺機能が高くなるんで、ダイエットにも最高ですよ。

――それだけ鍛えておられれば、多少の危ない場面も大丈夫でしょうか?


若宮健氏: 刃物くらいは防げるでしょうね。空手も1年ちょっと経験あるんですよ。

体験主義を生み出すきっかけ


――若宮さんが本を好きになったのは、いつごろからですか?


若宮健氏: 最初のきっかけは、小学校5・6年の担任の先生なんです。国語の時間になると、しょっちゅう、丸々本を読んで聞かせる人で。『次郎物語』(新潮文庫)とか、そういうのをじっと静かに読んで聞かせてくれたんですよ。いやぁ素晴らしい先生でした。「あなたたちは、これから大人になるまでに、本を読む癖をつけなさい」と。小学校の6年のときに教わった。「本を読んで聞かせてもらうのは、いいもんだな」と、そのとき思いましたね。だから僕は今でもその先生にすごく感謝していますよ。今の子どもがもう本を読まなくなったって言われますけど、小学生のころにそんなふうに読ませてくれる先生がいたら、本好きになれると思います。

――学生時代に好きだった本はありますか?


若宮健氏: パール・バックの『大地』(岩波文庫)。パール・バックには高校のとき衝撃を受けましたね。女性の作家で、なんというか、男気をよくあれだけ表現できるもんだと思ったんですよ。

――手に取るきっかけは何だったんですか?


若宮健氏: 姉に薦められたような気がするんです。そうしたらのめり込みましたね。高校のときは、パール・バックと太宰治にものめり込みましたね。中学のころは、文藝春秋と、リーダーズ・ダイジェストっていうのがものすごくはやって、何百万部も売れたんですよ。だからリーダーズ・ダイジェストと、あと石坂洋次郎。それと、武者小路実篤。

――いわゆる純文学ですね。どんなことを感じましたか?


若宮健氏: 武者小路実篤は、当時の若者に大うけだったんですよね。「純粋に生きなさい」というメッセージです。それが、僕の体験主義みたいなのにつながっていますね。会社を立ち上げてつぶしたこともありました。だけど今でも、とにかく後ろを振り向かないんですよ。

本は、僕なんか足元にも及ばないすごい人を知ることができる


――若宮さんは、月に何冊くらいお読みになりますか?


若宮健氏: 僕は、月に10冊本を買えるだけのお金があればいいんです。ノンフィクションから小説まで幅広いですよ。つい最近読んだもので、すごいノンフィクションがあるんですよ。『戦後史の正体』(創元社)という単行本。これはすごいですよ。孫崎享(まごさきわたる)という方が書いた本で、外務省に勤めていて情報局長をやった人なんです。だから裏の裏まで知っている。そしてイラクの大使もやっている。今のこの日本の現状を見ていられなくて、吉田茂のGHQのころからのことを全て書いちゃったんですよ。僕はあれを読んで、「10年前に書いてくれればよかったな」と。でも、10年前に書いたら消されたかもしれませんね。あの本は、正直、僕も目からうろこでした。吉田茂はみんなが持ち上げているでしょ、素晴らしい総理だったと。実際はアメリカの使い走りをしていたんですよね。

――知らなかったことを知るためにも本はやはり重要ですよね。ほかにお勧め本はありますか?


若宮健氏: もう1冊、NHK出版から出ている『ヤノマミ』っていう本があるんですよ。僕が読んだのはもう去年ですけど、これがお勧めの本なんです。南米アマゾンにヤノマミという部族がいるんですよ。電気も何もないところで、今でも狩猟したり、川の魚をとったりして生活している。そこに人間の原点があるんですよね。読んでいて、これはすごいと思いましたね。

――今でもそんな生活をしているんですか?


若宮健氏: そうなんです。NHKのスタッフがそこでその部族と一緒に半年以上暮らしているんですよ。よく半年以上もそこで生活したなと、本当に衝撃を受けましたよ。帰ってきてから病気になって、立ち治るまで何ヶ月もかかったそうです。世の中には、僕なんか足元にも及ばないすごい人がいますよ。あれはぜひ読んでみてください。でも、もしかすると、2014年がブラジルのワールドカップでしょ。そのときにそこを保護区にされてしまう恐れがあるんです。幸せに暮らしているのが破壊されるかもしれません。

運しかない。だから前を見るのみ


――最近の本にまつわる状況は、昔と比べて変わったと感じますか?


若宮健氏: 昔の本屋さんは、本が好きで好きでしょうがないという人が本屋さんをやっていましたね。よく、「こんな本が入りましたよ」って教えてくれたり。自分で本が好きでやっているものですから、目利きもできるし、店にも温かみがあった。これは書店だけじゃないですけどね。今は案外ビジネスとしてやっている人が多い。話は変わりますけど、意外と韓国に日本の昭和の面影が残っていたりしますよね。僕、カジノの取材とパチンコの取材合わせて6回行っているんですよ。昔行ったのと合わせたら8回。おばあちゃんが店先で店番をしていたり、そういうことがソウルでもいっぱいある。だから、パチンコ問題で、在日の人を目の敵にするのはちょっと違うと思います。パチンコ業界は北朝鮮と韓国系の経営者がほとんどなのは事実ですが、経営者が誰であろうとも、パチンコそのものが悪いのです。

――日本の出版業界についてはいかがですか?


若宮健氏: 最近大手も自費出版に力を入れるようになりました。書き手に負担させるわけですよね。売れたら丸もうけだと言うんでしょうけど、それでは書き手が育たないですよね。お金を儲けるために書くわけではなく、心を伝えるために書いているんです。

――それでは最後に、今後の展望と執筆のテーマをお聞かせください。


若宮健氏: 今は、健康問題と麻薬と2本取り組んでいるんですけど、麻薬は、パチンコより危ないですね。ボディガードの会社からダイレクトメールが来ましたから。都内に3社くらいあって。1日2万円で、VIP待遇になると3人でガードするんですよ。3人でガードして5万円ですって。

――そういうところからダイレクトメールが来るんですね。体を張ってお仕事されていらっしゃる証拠ですね。執筆以外では、挑戦したいことはありますか?


若宮健氏: 執筆以外には、とにかくもう1回海に戻りたいんですよね。たまたま友達から船を借りられることになっているので、乗りたいなと。「体は40歳、心は20歳」、というのが僕のモットーで、とにかく今まで痔以外の病気をしたことがないんです。怪我は数知れないくらいやりました。足は折るわ、腕は折るわ、まだ傷も残っている。これはラリーの傷なんですが、雨の日に山岳ラリーでスリップしたんですよ。で、スリップして横になったとこへ後続の車が突っ込んできた。皆、ああ死んだって思う状況ですよ。ラリーはナビゲーターが付きますから、僕の助手席にナビゲーターがいて。どーんと来たもんですから、僕がナビゲーターをかばうような感じになったんですよ。それで、あばら骨3本折りまして、膝もやられましたね。車を見た人は、これは多分死んだろうという事故でしたね。

――そこで九死に一生を得たのは、やはり体を鍛えていたからですかね?それとも運でしょうか?


若宮健氏: 運でしょ。運しかない。ナビゲーターも無事ですみました。とにかく僕は前しか見ない。それが何より大事です。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 若宮健

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