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世界中の本好きのために

小山龍介

Profile

1975年福岡県生まれ。京都大学文学部哲学科美術史卒業。卒業後、大手広告代理店を経て、サンダーバード国際経営大学院でMBAを取得。在学中から、さまざまな新規事業を立ち上げ、またシリコンバレーではインターンとして、日本企業の米国進出支援を行う。卒業後は、大手企業のキャンペーンサイトや海外Webサイトプロジェクトを統括。執筆家としての顔も持ち、その代表作である『IDEA HACKS!』を始めとするハックシリーズは、多くのビジネスパーソンに支持され、ベストセラー作家として数多くの著作を生み出し続けている。またその経 験を活かし、執筆家へ可能性の扉を開く出版プロデュースを行っている。

Book Information

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読書のアクチュアリティを追求する



小山龍介さんは、新規事業プロデューサー、コンセプトクリエーターとして活躍するかたわら、仕事の効率や生産性を高めるライフハックの著書『IDEA HACKS!』『整理HACKS!』などを出版しています。電子書籍の刊行物も多数出版し、自らもスキャン作業をして本の電子化を行っているそうです。新しい時代の読書について、「哲学」や「能」などとの関連を交えながら、お話を伺いました。

既成概念を壊すことが仕事


――普段、お仕事ではどんなことをされているのですか?


小山龍介氏: 新商品のコンセプト作りや、新規事業を立ち上げるサポートをしています。コンセプトを提案することもありますし、ワークショップを通じて一緒に作っていくことも多いです。その場合は、ファシリテーターという立場で関わります。

――小山さんが関わられた商品をお伺いしてもよろしいですか?


小山龍介氏: コクヨS&Tさんとハック手帳やハックノート、サッポロビールさんでは青いワイン「ブルージュエル」やワインシャーベット、健康系のワイン「お酢とカシスで甘酸っぱいスパークリングワイン」などを開発しました。

新商品開発で重要なことは、これまで当然だと思っていた既成概念を壊すことです。たとえば、青いワインや、ワインとお酢を混ぜるというのは、ありえないとされていたことだったのですが、そうした禁止事項をあえて破ったところに、新しい製品が生まれました。

書籍のハックシリーズも、仕事のやり方について、既成概念を壊す目的で始めました。「当たり前」と思われているところにこそ、イノベーションの可能性がある。ライフハックは、仕事のプロセスイノベーションなんです。

電子書籍用デバイスは、iPad miniが最適


――小山さんと電子書籍の関わりについて伺いたいと思います。現在、電子書籍は利用されていますか?


小山龍介氏: よく使っています。日本のAmazonでもKindleサービスが始まり、できる限りKindle版を買うようにしています。紙の本は、ドキュメントスキャナーScanSnapでスキャンして、そのデータを持ち歩いています。

――ご自身で本をデータ化するためのスキャン作業をされているんですか! 今まで、どのくらい自炊されましたか?


小山龍介氏: 900冊ぐらいです。でもやっぱり自分で作業するのは手間ですよね。スムーズに行けば全然問題ないのですが、スキャンをしていて紙を吸い込んだりとか、2枚重なってしまったりすると、すごい時間がかかります。

――本を電子化することに関しては、どんな印象をお持ちですか?


小山龍介氏: 電子化によって紙の本が売れなくなる心配をしている人も多いですが、実際には、紙の本であっても、売れ行きを促進する面が大きいと思います。
読書好きの人は、本棚のスペースがボトルネックとなって、本を買えずにいます。電子化することで、そうしたボトルネックを取り除くことができるからです。紙の本のスキャンも許可して、読者にどんどん電子化してもらえば、それだけ本棚のスペースが空き、さらに本を買ってもらえる様になると思います。

――小山さん自身の著作に関して、ユーザーがスキャンをすることはどう思われますか?


小山龍介氏: もう僕自身は、どんどんやってもらって構わないと思っています。しかし、出版社の方では、また別の意見をお持ちだろうし、その辺はややこしいですね。でも、時代には逆らえないですよ。

――スキャンしたデータをご覧になるときや、販売されている電子書籍をご覧になるときは何の端末でご覧になりますか?


小山龍介氏: iPad miniがベストですね。大きさ、軽さ、バッテリーの持ち、すべてにおいて最適だと思っています。

――今後デバイスに期待することはどういったことですか?


小山龍介氏: 軽くというのが一番大きいです。今のiPad miniの大きさで、さらに軽くなっていくといいですね。

出版社に今後も求められる二つの機能


――電子書籍では得られない紙のメリットは、どのようなことだと思われますか?


小山龍介氏: 読書体験で言うなら、紙の本は電子デバイスで読んでいるときと全然違うんです。マクルーハンは、透過光と反射光の違いだと指摘しています。画面から光がやってくる透過光は、脳が映像やイメージとして捉えるので、細かなところに注意が向きません。紙などの反射光は逆に、細部にまで注意が行きます。

パソコンの画面では気づかなかった間違いに、プリントアウトすると気づくという経験は誰もがあると思いますが、それは透過光と反射光の違いによるものです。

だから哲学書などの難しい本は、間違いなく紙でないと読めないですね。集中力が必要だからです。

――そういった中で電子書籍として発売されることを想定しての、書き手側の変化というのはありますか?


小山龍介氏: 手書きで書くメモ、Twitterへのつぶやき、ブログへの投稿、本にすることを前提にした執筆、媒体によって書く感覚ってまったく違うんです。

電子書籍の場合、執筆がTwitter的なものに置き換わってくるかもしれません。より即興性のあるリアルタイムなものが、電子書籍として受け入れられる可能性は高いと思っています。

ただ、これを「本」と呼ぶのか、疑問です。本来、本とは束ねて1冊にしたものです。「冊」として綴じられたものを指すわけです。つまり、時間を止めることなのです。Twitterのように、即興的に紡がれて、それがさらに永遠に続いていくようなものとはちょっと趣が違いますよね。

綴じるということで、そこで一旦時間も綴じてしまう「本」の感覚というのは、執筆にも大きく影響していきます。電子書籍であれば、簡単にアップデートできるという点で、綴じるというよりも、区切りをつける感覚に近くなるんじゃないでしょうか。

――今後電子書籍が出ることによって、出版社の果たす役割や目指すべきことは、どういったところだと思いますか?


小山龍介氏: それはドラッカーが言ったように、究極は新しい顧客を創造するということだと思います。「イノベーション」と「マーケティング」です。このふたつの機能は、外注されずに企業内に残ります。同じことが出版社でも言えて、新しいコンテンツを生み出すイノベーティブな編集機能と、その本を世の中に伝えるマーケティング機能は、出版社が提供することになるでしょう。

「競争から共創へ」というパラダイムシフト


――編集力、マーケティングがますます重要になってきたとき、出版社はどう対応していけばいいのでしょうか?


小山龍介氏: マーケティングのパラダイムというのは、時代に応じにて随分変わってきています。1980年代ぐらいには、顧客のニーズを捉えることがマーケティングだと言われていました。しかし、この方法は、スペック競争になっていきます。機能は追加されることはあっても、取り除かれることはなく、かえって使いづらい製品が出来上がります。

例えば速度が速いパソコンのニーズがあると言われていたけれど、実際には性能は低いけど軽い方がいいと、ウルトラブックみたいなものが人気を集めたりします。ニーズを後追いしていくマーケティングは、実はニーズを無視した競争になりやすい。それが、80年代でした。

そして90年代はブランディング。企業が持っているブランドイメージによって、機能は全く同じでも、消費者は価値を感じて対価を払うという現象が注目されます。これは、いわゆるM&Aなどにおける買収価格の計算に欠かせないという理由から、ブランドが資産として認識されるようになったという背景があります。

ただいずれにしても、2000年以前は競争パラダイムという、いわゆる競争=コンペティションのパラダイムのマーケティング。他社との競争に勝ち抜くためのもの、という認識が主流でした。



それが2000年以降、「ユーザーと共に創っていこう」という流れに変わっていきます。商品の提供側と消費側とで区別するのではなく、ともに創りあげていくアプローチです。商品への反応を見ながら、変更し、改善していく。また、サービスを一社で提供するのではなく、複数の企業が協力し合いながら価値を創りだしていく。たとえば、スマートフォンは、アプリ制作会社がいなければ、その価値を半減させてしまうでしょう。それが、共に作り上げるという意味での共創パラダイムです。

電子書籍時代を迎え、出版社もこうした共創のアプローチが求められるじゃないかなと思います。

3日で手に入れた情報は3日で陳腐化する


――多忙な毎日を過ごされているかと思いますが、月に何冊位本を読まれていますか?


小山龍介氏: 数としてはそんなに読まないですよ。10冊前後でしょうか。最近は哲学書をよく読むようにしているので、必然的に一冊の本をじっくり向き合って読むことになります。また、情報を取るためにパッと読む本であれば、最初から最後までを読むのではなく、必要な部分だけ読んでいます。

読書には、二種類あります。ひとつは情報を取り入れる読書、もうひとつは著者の思考に向き合う読書。思考に向き合う本は、じっくり取り組む必要があります。著者側が何十年とかけた思考を一冊の本にまとめていますから、本質的には、何十年もかけないと分からないような内容が書かれているわけですよね。そういった本は、一、二週間かけて読んでいますね。

――直近でお読みになられた本には、どのような本がありますか?


小山龍介氏: 最近、木田元さんの『反哲学史』を読み直しています。哲学の歴史を、哲学者の木田さん独自の軸で解説していく本です。哲学は、2千年3千年かけた蓄積があります。だからと言って、いきなりその起源に遡って、プラトンやアリストテレスから勉強し始めても、ちんぷんかんぷんになることが多い。その時代の状況を理解した上で読まないといけませんから。

だから、こうした古典を勉強して理解しようとするときに一番いいのは、現在から過去へという勉強の方法。例えば、ハイデガーを読むためにはニーチェにつながる。ニーチェを読むと、今度はカントにつながっていくように、現在から過去に遡っていくわけです。ある思想や哲学は、必ず前の時代の影響を受けていて、それを批判して展開させたりしているんですよね。だから、遡っていくことができる。

――なるほど。分かるところから少しずつ遡っていった方が、つながりを理解しやすそうですね。小山さんは学生時代、何か転機になって、今でも何かしらの影響を与えている本というのはありますか?


小山龍介氏: 橋本治さんの一連の著作というのは、思考を鍛える上でとても勉強になりました。大学時代に愛読したんですが、彼の本というのは、簡単な言葉を使っていても、そこで展開されている論理というのは、ものすごく複雑で、力強い。強度があるんです。大学時代にそれを理解するのは非常に大変だったけど、あえてそこに向き合って、ひとつひとつ、どういうことを言っているんだろうと思って読んだ、という時期がありました。

――大学時代からじっくり本と向かい合っていたんですね。


小山龍介氏: そうですね。3日で手に入れた情報は3日で陳腐化するんですよ。10年かけた知識というのは10年間陳腐化しないんです。じっくり時間をかけて考えるという事をやらないと、本当に有効に使える知識にはならないんです。

そういった意味で、速読というのは問題が多い気がします。自分が理解できたことしか理解できなくなる。そして理解できないまま、理解できなかったものはなかったことになってしまう。

橋本治の本を読んでいると、理解できないことが膨大であり、そこに向き合うという時間が求められます。分からないことに向き合っていたらすごく手間がかかるし、効率の面では悪いことですよね。でも、悪い所に取り組んで登っていかないと、決して自分の力はついていかないのです。

――一冊の本とじっくり向き合うから非効率になるのではないかという不安がありますが、そうではないんですね。




小山龍介氏: 例えば筋トレを例にすると、簡単に軽々と上げられる1kgのダンベルを上げ続けたって、何の力にもならない。負荷がかかるような10kgのダンベルを持つと、「ああ…きつい」と感じますよね。でも、そういった負荷のかかったダンベルを上げないと本当の筋力はつかないんです。

筋力がつくということは、筋肉が一回破壊されて、再生されるということなんですね。その一回破壊されるということは、大事なことなんです。速読では、そういったことをほとんど経験しない。それは、勿体ないですよね。時間をいくら効率化できても、自分の筋肉にならない無意味なことに時間をかけているなら、それは無駄なんですよね。

伝統芸能「能」から学ぶリアリティとアクチュアリティ


――お仕事でお忙しくされている小山さんですが、最近、「能」のお稽古を始めたと伺いました。どうして能を始めようと思われたんですか?


小山龍介氏: 能は、謡と仕舞の両方をやっています。能は、自分の中で大きなテーマのひとつです。著者と向き合う読書と同じように、10年、20年かけて体得する古典として、能は非常に魅力的です。

能は古い言葉で書かれているので、読んでも最初は意味が分からない。でも謡を通じて、音の響きとして理解が深まっていく。文字に向かう意味合いが、大きく変わっていくのを感じるんです。じっくり文字に向かうということができるようになってくるんです。

哲学で言うと、リアリティとアクチュアリティという問題があります。この本の中に書かれている文字は、客観的に存在するリアリティです。しかしそれを謡として体を通して音にしたときには、主観的な経験としてのアクチュアリティが立ち上がります。このアクチュアリティは、一人一人全然違うのです。

――そのアクチュアリティが、読書体験につながっていくんですね。


小山龍介氏: そうです。僕らは、速読でも何でも、リアリティばかり追求してしまう。300ページの本を2時間で読んだとか。それはリアリティという意味では客観的に証明できますけど、そこで起こったアクチュアリティーは問われていない。

能は、そういう意味で、動きが最小限で、非常にミニマムな型を取りますが、その分アクチュアリティを立ち上げる芸能なのです。そういうものを経験すると、現代の3D映像も含め、リアリティというものの薄っぺらさを改めて、ひしひしと感じるところはありますね。

――ずっと続いているという理由は、リアリティよりもアクチュアリティの方に重きを置いていることにあるのでしょうか。


小山龍介氏: 哲学の歴史で言うと、昔は客観的「存在」があるかどうかっていうのを問うたわけです。そして17世紀には、「存在は発明であり、神様に依らない客観的な存在がある」ということをデカルトが言った。それが大きな影響を与え、科学の進歩に結びついたんです。

でも19世紀には、ヘーゲルによって、時代によって移り変わる「精神」と呼ばれるようになり、さらに20世紀には入ってからは「構造」、さらには「現象」と言われるようになったんです。

――「現象」ですか。


小山龍介氏: ロウソクが燃えているとき、その炎は存在しているのでしょうか? たしかに、ロウが激しく酸化して炎となっているわけです。そういったことを考えると、存在というよりも現象として捉えたほうが正確です。また光という現象は、あるときは粒子に、あるときは波に見えたりする。その光は、波なのか、粒子なのか、などという存在の定義は、無意味なんですよね。結局、どういうつもりで見るかによって、波に見えたり粒子に見えたりするわけですから。現象とはそういうもので、客観的にどうだって言えなくなってくるわけです。

――物体の、理屈的な説明ではなく、対象物への感じ方に意味があるということでしょうか?


小山龍介氏: 客観的な「存在」なんてものを追求してもしょうがないということです。アクチュアリティのような現象が、どのように自分の中で起こったのかということの方が、よっぽど重要なんです。

能が残った理由というのは、リアリティとしての型が守られてきたからというのは、正しくありません。当時の謡を、昔の人と同じように謡ったら、それが現代の人の心の中にも、悲しいとか、切ないとかの感情が確かに起こった。そうしたアクチュアリティの裏付けがある節回しだから、この型は残しておこうということで、今に残ったんです。

――型ありきのリアリティではなく、そこにアクチュアリティとしての心情があるから残ったという結果ですね。


有機農法的な読書を


――豊かなアクチュアリティを呼び起こす読書とは、どんな読書でしょうか?


小山龍介氏: 今や薄っぺらい読書に侵されて、どんな本でも15分で読んじゃうというようなことが多いので、アクチュアリティに乏しい。能は15分じゃ絶対に読めないし、読んだところで意味が分からないんですよ。節回しがあって、『土蜘蛛』という1冊の謡をやると20分かかる。20分かけて、節回しを加えて、謡い上げるということでようやく分かる意味、アクチュアリティがある。そういったものは残るんですよ。歴史としても、個人の経験としても。

――そう考えると、残らない本というものが、現代にはたくさんあるのではないかと、そんな危険性も感じますね。


小山龍介氏: いかにアクチュアリティを伴ったものを作っていくかというのは、アートも、本も、表現の世界では重要なことです。それは目に見える表面的なものだけを見ていたらまったく理解できなくて、多分、より身体的なものになるんだろうなと思います。それはフランスの哲学者メルロ=ポンティも指摘するとおりです。僕は能をやって、踊りもやろうとするのは、身体性をもう一回取り戻していきたいなということからなんです。

――小山さんにとって「読書」とは何でしょう?また、どうあるべきだと思いますか?




小山龍介氏: 読書は、時間をかければかけるほど、後からジワッと戻ってくるんですね。時間は、使った分だけが戻ってくるもので、農業に例えると、時間をかけて手塩にかけたら、それだけの収穫が後で戻ってくるということだと思います。

今、読書の世界でも化学肥料などで促成栽培をしているので、頭でっかちで、何を言っているのかな…みたいな人が大量生産されている(笑)。僕らはそこに抵抗しなくちゃいけないので、有機農法的な読書をどこかでしないといけないですよね。

――それは、どんな分野でも共通することですね。


小山龍介氏: もちろんそうです。それぞれの専門分野でも、やっぱり深く井戸を掘っていくようにするべきですね。表層的なものじゃない深い井戸の底に感じられる鉱脈、いわゆるアクチュアリティに辿り着くと、そこから色々な水が湧き出てくるわけです。その中で、初めてアイデアや思考が現象として生まれるということを考えると、もはや情報をパッと取り込むような方法は読書とは呼べません。真剣に時間をかけて取り組むことだけを「読書」と呼んだほうが、いいんじゃないかと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 小山龍介

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