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世界中の本好きのために

福岡伸一

Profile

1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学研究員、京都大学助教授等を経て、現職。サントリー学芸賞を受賞しベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』,『動的平衡』など、「生命とは何か」を分かりやすく解説した著作を数多く著す。他に、『できそこないの男たち』,『世界は分けてもわからない』,『動的平衡2』,『せいめいのはなし』等。最新刊に『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』,『生命と記憶のパラドクス』。また、フェルメールの全作品を巡る旅を綴った『フェルメール 光の王国』を上梓するなど、フェルメール好きとしても知られ、「フェルメール・センター銀座」の館長もつとめる。

Book Information

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昆虫少年がフェルメールを愛するようになったワケ


――4年ほどのフェルメールをめぐる旅、フェルメールに対する想いをお聞きしたいと思います。どういった出会いでしたか。


福岡伸一氏: 私は生物学者になる前は、小さいころから虫が大好きな昆虫少年だったんです。きれいな蝶々とか珍しいカミキリムシなんかを追い求めていたんですけれども、そのうちおもちゃに毛が生えたような顕微鏡を買ってもらって、それで虫の卵とか蝶の羽根とかを見てたんです。

そうやって顕微鏡で遊んでいるうちに、顕微鏡を最初に作った人はどんな人なのかなと思って、調べてみたんですね。オタクの性質として、何かを知ると必ずその源流をたどりたくなるんです。そしたらレーウェンフックさんという人に行きついた。このレーウェンフックさんは今から350年も前の人で、オランダのデルフトという町に生まれた人なんですが、彼はプロの研究者ではなく、アマチュアの物好き。まぁ、オタクですよね(笑)。彼は、自分で工夫しながら手作りで顕微鏡を作って、手当たり次第いろんなものを観察して、細胞、白血球、赤血球。さらには精子まで見つけちゃったすごい人なんです。

アマチュアでそういうことを一生懸命研究していたっていうところに、またいたく感銘しまして、レーウェンフックのことを一生懸命調べていたんです。そしたら、彼が生まれた1632年。しかも、彼が生まれた街・デルフトにフェルメールという人が生まれていて、その人が今や世界的な有名画家になっていることを知りました。そこから興味が沸いて、今度は「フェルメールのことを調べてみようかな?」と思ったんですね。

――すごい偶然ですね。


福岡伸一氏: ええ。探求していくと、さまざまな水脈や鉱脈にぶつかっていくんですね。フェルメールの作品は全世界にたった37点しか残っていないということで、オタク少年としてはコンプリートしたくなる訳です。そこで、いつかフェルメールの作品を全部見てみようと思ったんですね。でも、なかなかそういう機会がなかった。



 その後、私は昆虫好きが高じて生物学者の道に入って、大学で勉強して博士号を取り、アメリカに研究修行に行ったのですが、最初に行った都市がニューヨークだったんですね。

 ある日ニューヨークの街をぶらぶらしていると、マンハッタンのビルの真ん中にお城みたいな建物があって、「これは一体何かな?」と思ったら、それはフリックコレクションっていう大金持ちが作った個人美術館だった。その中に入ってみるとフェルメールの作品が3つもあったんです。

そのフリックさんというのは、19世紀から20世紀にかけて炭鉱業などで財を成した人で、美術コレクターでもあったんです。彼が遺言で、ここに所蔵している自分の美術品は絶対外へ貸し出してはならないと。だからここにあるフェルメールはその美術館に行かないと観ることはできない訳です。

そこでフェルメールを観て、「あぁ、きれいだな」と思って、調べてみると同じニューヨークのメトロポリタン美術館にも5点フェルメールがあったので、それも観ました。そこで、「やっぱり、フェルメールは素晴らしいな」と。光の扱い方とか絵の描き方が芸術家というよりは、科学者的なマインドで探求的に描いていると感じたんです。

そして、ニューヨークで8点のフェルメールを観たんですね。そうすると、彼の作品のうち、37分の8は観たことになるので、これはコンプリートを目指してどんどん観て行こうと思って(笑)。そこから「フェルメール作品、全点踏破の旅」が始まったんですね。

最初はこんな風に趣味の一環として観ていたんですが、その後私は執筆の仕事をするようになって、ANAグループの機内誌でフェルメールを巡る旅について書かせていただけることになり。現在では、とうとう37点中、現在鑑賞可能な34点を見ることができました。

――残り3つは、まだご覧になっていないんですね。


福岡伸一氏: 盗難されてしまったもの1点と、個人が持っていて見せてくれないもの2点あるので、こちらはまだ観れていないですね。フェルメールは20歳から描き始めて43歳で亡くなっているので、たった20年間しか画家としてのキャリアがないんです。でも、その間に書いた作品のすべてを、今度はただ観るだけじゃなくて、時間の軸を持って観たらどうなるのかな、と思ったんです。つまりフェルメール自身の人生の軌跡と照らし合わせて絵を観てみたい、そのためにはフェルメールが描いた順番に絵を並べて、しかも一挙に観られたらどんなに素晴らしいことかと思ったんです。

「好き」が高じて作ってしまったフェルメール美術館


――そんなことできるんですか?


福岡伸一氏: もちろん現実にはできないんですが、非現実、ヴァーチャルでなら可能な訳です。特に現在ではデジタル技術がものすごく発達していて、絵なんかも精密に複製できるんですよね。
そこでとうとうこの度、絵が描かれた当時の色をコンピューターで解析し再現するという「リ・クリエイト」という新しい印刷技術を使って、リ・クリエイトしたフェルメールの全作品を展示する夢の美術館「フェルメール・センター銀座」をつくってしまいました。

――最初は少年時代の昆虫採集から始まったものが、いつしかフェルメールの美術館を作ってしまうことになった…ということですか!


福岡伸一氏: そうなんですね。私が監修・館長をつとめています。ですから昆虫少年・顕微鏡・レーウェンフック・フェルメールという風に、私の中で自分の好きなもの、きれいだなと思ったものをずっと追及していった過程で、フェルメールについての本を書くことができたし、美術館を作って館長にもなりました、ということなんですね。

という訳で、「フェルメール・センター銀座」も言ってみれば、私の趣味が高じてつくってしまった美術館なのですが、おかげさまで連日たくさんのお客様が来てくださってですね。大変賑わっていて、とうとう先日来場者数が10万人を突破しました。

フェルメールファンの層が厚いというのにも驚かされますけども、やっぱりきれいなものを追求したい、あるいはフェルメールが問いかけた謎を深読みしたいと思う人がたくさんいるんだなと感じています。

――オランダで有名な画家というとレンブラントなどもいますが、そういった画家の中で、フェルメールに対してどういった印象をお持ちですか。




福岡伸一氏: おっしゃる通りで同時代のオランダにもたくさんの画家がいて、レンブラントのような大作家もいた訳ですよね。ふた昔ぐらい前は、オランダの絵画っていったらレンブラントしか注目されていなかった。レンブラントの特徴を上げると、まずとにかく絵が大きいこと。それから、主人公にピカーッとスポットライトが当たるような構図を作ったりと、絵の中に演出があるんです。

もちろん、それはそれですばらしいんですけど、一方のフェルメールはまず絵がかなり小ぶりです。そして絵の中において、極力演出を排除してるんですよ。できるだけ画額の中に映ったものをありのまま公平に描こうとする。美化とか強調とか演出とかそういうものをやめて、まだカメラのなかった17世紀に虚心坦懐なフォトグラファーとして現実の一瞬を切り取っている。「時間を止めて見せました」という観察者としての公平な態度があって、それは科学者が対象物へ抱く気持ちに似ているんじゃないかと思います。

私は、フェルメールの、そういう押しつけがましくなくて、過度な演出をしないところが好きなんです。そこに描かれている全てのものを公平に捉えて、色んな細部を描くので、じっくりとよく見れば見るほど発見がある楽しさがあるんです。そういった面白さが、フェルメール人気の1つのカギになっていると思うんですよね。

――フェルメールの絵画は、何らかの事前知識や情報を持たずに観ても楽しめるんですね。


福岡伸一氏: そうそう。前提となる知識を必要としてない訳ですよね。ちょっと想像してみてください。たとえば、日常のごく一瞬の出来事。小さな部屋で、光が挿し込んだところに女の人がたたずんで手紙を読んでいたり、楽器を奏でている……。そんな本当に日常の一瞬は、この21世紀にもいくらだって起こり得ることですよね。

もちろん、絵画は難しく見ようと思えば、宗教的なバックグラウンドや神話の知識がないとわからないものもたくさんあります。もちろん、フェルメールの作品でもそうした解釈が必要とされることもありますが、大概の場合、フェルメールの絵を理解するのであれば、特に込み入った文脈はいらないんです。ここがまた世界中の人がフェルメールをすぐに愛するようになる理由じゃないかな、と思いますけどね。

17世紀に起こった文化的パラダイムシフトの時代に、フェルメールは生きていた


――日常を切り取っているから身近に感じられるということですね。芸術と科学にもいろいろと共通点があるんですね。


福岡伸一氏: 科学も芸術も基本的には同じことを求めていて、「世界がどうなっているのかを解き明かそう」、「書き記そう」としている訳ですよね。特に17世紀頃は、顕微鏡や望遠鏡が作られたり、天動説が地動説になったり、デカルトやパスカルやニュートンが現れて科学が非常に発展していった時期なんです。

とても豊かな時代で、フェルメール自身もその真っ只中にいた人物。パラダイムシフトが起きる、そういう時に居合わせた人だと思って見ると、また違った形でフェルメールを評価できるんじゃないでしょうか。

――17世紀のヨーロッパは文化的にも飛躍的に進歩を遂げたころだったのですね。


福岡伸一氏: ちょうどそのころ、人間の世界認識の大きなうねりが曲がり角に来ていたということですよね。それは大きく言うと、「宗教vs.知的好奇心」の戦いだったと思います。

それ以前の時代は、『この世界はすべて神様が作りました。だからみなさんそれを信じましょう』という宗教的な見方が信じられてきた時代でした。でも、世界をよく観察してみると、世界は絶え間なく変化しているし、流転している。また、生命も少しずつ進化しているということが、認識されるようになってきた。

それで宗教もそれまでのカトリックが支配するルールと規則の時代からプロテスタントという宗教革命が起きていくんです。

もちろん、当時はみんなまだ神を信じていました。でも、世界の在り方が単に神話や聖書のなかで語られてきたものより、もっと動的なものだということに人々が気が付いた時期だったんですね。

新聞の書評委員VS.インターネットの書評ブログ


――なるほど。ありがとうございます。では、次に福岡さんの書籍との関わりについて伺いたいと思います。福岡さんの平均的な読書量はお仕事の資料なども含めてどのくらいですか。


福岡伸一氏: 今、私は新聞の書評委員をやっているんです。以前は読売新聞で、今は朝日新聞の書評委員をやっています。それもあって、量で言えば1週間に3冊くらいは読んでいますね。

書評っていうのは、みなさんご存知の通り、新聞の読者に「こんな面白い本がありました」と紹介する欄のことです。そこに携わる書評委員というのは色んな本と触れる楽しさもありますが、とにかくものすごい量の本を読まないといけない。読んだだけでは済まなくて、さらにそこから書評というものを書かなくてはならない。これはなかなか大変な読書との付き合い方で、いろいろと鍛え直されることになりました。

――なにが一番大変なのでしょうか?


福岡伸一氏: 当たり前ですが、書評は読書感想文じゃダメなんですよね。『何々が面白かったです』『主人公がこんな目にあって、あんな目にあってかわいそうでハラハラしました』とか。「面白い」「かわいそう」「素晴らしかった」という風な単なる感想だけではなく、そういう言葉の内容を説明しなければいけないんですよ。「なぜ、どのようにして面白かったのか?」「なんでかわいそうだったのか?」。そこを明確にしなければならないわけです。

また、ある程度要約しないと内容が伝わらないので、あらすじの要約も必要です。でも、単なるあらすじの紹介に陥ってしまってもダメなんですね。

要は、「私はこの本を、こういう風に面白がりました」と、読者に伝えないといけないんですよ。一般的に書評っていうのは面白さを伝えて、「こんなに面白い本があるので皆さんも読みましょう」と、読書自体を応援していかないといけないんですよね。だから、批判とか批評とか、「この本はくだらない」とか「ここはダメ」といった書評もできるだけ避けるべき。そういう読み方ももちろんあるんですけども、そういう本はそもそも取り上げるべきではないんですよね。

――福岡さんの本の選び方を教えて下さい。


福岡伸一氏: まず、売れている本は必ず目を通しますね。あと、書評委員会という会合が2週間に1回あって、その2週間に出た新刊が広い会議室に並べてあるんですよ。それを見ながらパラパラと手に取って本を選びます。そこで、新しく出た本で売れている本、話題になっている本、面白そうな本などは、一応自分のなかのフィルターにかかってくる訳ですよ。

世の中の本の流行というものは、私も物書きの一員として一応知っておくべきだと思っていますから。

――書評委員の方が1回に選ぶ本の数は何冊くらいですか。


福岡伸一氏: 現在、朝日新聞の書評委員は全部で21名です。その人たちが、その委員会のなかから毎週5~6冊ずつ持っていきます。だから、結果的に、100冊くらいは読まれることになりますよね。でも、そこから実際の書評欄に出るのは10冊ぐらい。

―― 読む本はご自分で決めるんですか?


福岡伸一氏: まずは自分の読みたい本へ投票します。そこで、高い得点を入れた人の元に、その本が行くわけですね。もしも同じ得点を入れた人がいたら、話し合いで決めます。

ただ最近は新聞の書評欄の機能っていうのはなかなか難しい局面にあるんです。例えば朝日新聞の書評欄は、昔からそれなりに影響力はあって、そこに出ると本が売れたりしますし、今でも丸善とか紀伊國屋書店なら「この本は、この新聞の書評に出ました」などと貼ってあるんです。やっぱりそれって活字が好きな人が読む訳で、今私が教えている学生達なんかはそもそも新聞を読まないし、新聞の書評欄なんて見たこともないんじゃないかな。

さらに、それが毎週日曜日に出ていて、私たちが必死に書いているなんて想像だにしていないと思いますよ。新聞の書評よりも、ネットのブログなどから本の情報を得ているんです。決して本を読んでいない訳ではないんですけど、どんな本を読むかということについての情報源はだいぶ変わってきていますね。

人生のロールモデルになったのは、ファーブルとドリトル先生


――次に人生の転機となった本というのもお伺いしたいと思います。今までで一番印象に残っている本はなんですか。


福岡伸一氏: それはやっぱり、子供のころに読んだ本だと思いますね。1つはジャン・アンリ・ファーブルの『ファーブル昆虫記』。もう1つは童話でヒュー・ロフティングの『ドリトル先生』シリーズです。ドリトル先生は博物学者で、生物のことを研究している先生なんですが、彼は一応動物の言葉がわかるという設定があって、いろんなことを学んでるんですよね。でも、どちらかというと脱力系の人で、世捨て人みたいな感じで世界中を旅しながら、珍しい生物を研究していくんです。それを読んで、子供心に「私もこんな風になりたいな」と思いました。いま思うと、ドリトル先生が私のロールモデルみたいなものだったのかもしれません。

――福岡さんが本を書こうと思うきっかけはなんでしたか。


福岡伸一氏: 自分で文章を書くようになったのは、比較的最近です。以前は、生物学の研究者だったので、「自分が書くもの」というのは基本的に学術論文ばかりでした。

学術論文というのは、普通の本とは違って、ある程度フォーマットが決まっているものなんです。まず、実験をしてデータを出して、そのデータを基に「だからこれはこういうことなんじゃないか?」と書き連ねていく。それに文体も、非常にシンプルなんです。

でも、あるとき、アメリカの本の翻訳をするチャンスがあったんですね。それは、僕がアメリカで見つけた非常に面白い本があって、「これを日本で翻訳したらどうだろう」と出版社の人に提案してみたんです。そのときは、まさか自分で翻訳するなんて考えてもいなかったのですが、出版社の人から「そんなにこの本が面白いのなら、福岡さんが訳しませんか?」と言われて。正直、私は英語を日常的に使うことは多かったけれども、翻訳の正規教育を受けた訳でもないから、その話がきたときはできるかどうかちょっと不安でした。でも科学関係の本だったので、時間をかけてでもやってみようかな、と思ったんです。いまになると、学術論文だけでは自分は飽き足らなかったんじゃないかな、とは思っていますけどね。

翻訳でなにより求められるのは読解力。そして、言葉に対するクリエイティビティ


――翻訳はスムーズに進みましたか?




福岡伸一氏: いえ、全然(笑)。その話を引き受けたら途端に後悔することになりました。翻訳の作業というのは単に英語を訳す労力は20%ぐらい。残りの80%ぐらいは、原文をどれだけわかりやすくて的確な日本語に置き換えられるかが重要なんです。その作業が、とてつもなく労力がかかるわけです。翻訳はある意味で究極の精読。究極の読書ですよ(笑)。ですから、それで読書力がすごく鍛えられたと思いますね。しかし、これまた内実を言うと翻訳は、本当に労多くして益が少ないもので……。翻訳者の印税は4%なんです。

――ご自身で書かれた場合は10%ですよね。それと比べると、やはり差がありますね。


福岡伸一氏: アメリカの原著者には10%。しかも、多くの場合はアドバンスと言って、前取りされるんです。つまり、著作権料や翻訳権料をもらう時に、事前にもう支払ってしまわなければならない。「この本は、日本で翻訳すれば多分5万部は売れるでしょう」と予測したら、原著者のエージェントに5万部の印税を前払いするんですよ。それが、この作品の著作権を買ったということになる訳なんです。でも、それは売れなくても取られちゃうんです。

また、売れたら売れたで、その分に応じてまた印税が支払われます。でも翻訳者は一般的には英語のものを日本語に訳しただけすよね?今は自動翻訳ソフトもありますし。程度にしか思われていないんです。売れっ子の翻訳者でもたぶん6%ぐらいでしょうね。

ただ、すごく勉強にはなって、何冊か翻訳をした後には、だいぶ鍛えられえて、文章修業にもなったと思いますよ。そして、その後、私が翻訳したものを読んでくれた編集者がいて、『翻訳した本も面白いけれども、あなたも面白そうだから何か書いてみませんか?』とオファーをいただいたんです。それから自分の文章を少しずつ書くようになったのですが、それがこういった著書に繋がっていったということですね。

――翻訳書にも翻訳者の個性が表れますよね。


福岡伸一氏: そうですね。翻訳には、いろいろな解釈がありますから。『This is a pen』を『これはペンです』と翻訳することもできるけど、別の訳し方をすることもできる。また英語と日本語とが一対一に対応していないときが山ほどあるんです。たとえば、英語は関係代名詞などでつながって、一文が長いことが多いんです。でもそれを日本語で一文にして書くと、くねくねと係り結びが多くなってしまって、非常に読みづらくなるんです。

読みやすい日本語にするなら切ったほうがいい。でも、原文が一文なのに日本語で4つの文に切ってしまうと、それは間違いだと指摘される可能性もありますが、「あえてそういう風に訳しました」という思い切りも必要なんですよ。要は、すべて翻訳者の力量にかかってくるわけですよね。本当に私なんかはプロの翻訳者ではないのであまり偉そうなことは言えませんけれども、翻訳は非常にクリエイティブな仕事だと思うんですよね。

その作品に使われた日本語のスタイルが、登場人物のイメージも決めてしまいます。だから文学作品の名作でも、新訳が出たり、村上春樹さんが訳したりするとガラッと雰囲気が変わったりしますからね。

本で一番大事なのは「テキスト」です


――では電子書籍関連のご質問をさせて頂きます。プライベートも含め、現在電子書籍はご利用されていますか。


福岡伸一氏: そうですね。一応iPadを持っていまして、何冊か買いました。でも、今のところ英語で買うケースのほうが多いかな。古い小説で版権が切れてしまったものが自由に読める「青空文庫」とかは、多少読むこともありますね。

――電子書籍の利用シーンとしては移動の時などですか。


福岡伸一氏: そうですね。英語の本は分厚くて重い本が多いので、電子書籍だと軽くて便利ですね。あとは、本の中にわからない単語があると、辞書を使わないといけないと思うんですが、電子化されてると自分ですぐに検索できるので、こうした苦労が一切ないんですよね。

もちろん、紙の本に愛着はあるんです。でも、私の場合、仕事柄、かなり大量の本を必要とするし、常に色んなものを読まなくちゃいけない。しかも自分の蔵書の本棚って図書館の日本十進分類みたいにきれいに整理されている訳じゃないから、「あの本、どこにあったっけ?」などと探していくのが本当に手間がかかるんですよ。

また文章中で引用しなきゃいけないみたいな時は、やっぱり原文が探し当てられないといけないし、ときには、「この言葉は誰のどれだったっけ?」とうろ覚えだったりすると、ものすごい時間をかけて本を探さないといけないんですよね。

だから、書籍のテキストデータが電子化されていれば、一言、単語や言い回しとかを入力すれば、その文章がすぐに出てきてくれますよね。あるいは、わからない単語があれば、すぐに辞書が引けて、英語でも日本語でも意味がわかる。こうした利便性は、やっぱり電子書籍の圧倒的な強みだと思います。だから、iPadでもKindleでも、一台の電子書籍端末の中に、自分の蔵書が丸ごと入っているなんて、そんな便利なことはないと思いますけどね。

あとは、本はとてもかさばるし重い。私自身、アメリカに行ったり来たりと、引っ越しを何度もしているんですが、その都度、本と格闘していますよ。本棚に入っている時はいいんですけれど、段ボールに詰めると何箱にもなってしまって、非常に重たくなってしまう。また、その本を新しい本棚に入れようとすると、うまく納まらなかったりするんですよ(笑)。

すると、また一から配列をやり直さなくちゃいけないので、いざ本が必要なときに「あの本はどこだったっけ?」と、一冊ずつ端から探さないといけなくなってしまう。本は好きなんですが、それはちょっと勘弁してもらいたいですね。

――あとは、電子書籍の場合、本を置く場所が取られないですね。


福岡伸一氏: そうですよ。本はずっと増えて行きますし、なかなか捨てられないですしね。本のためにより広いマンションに住み替えている人を知っていますが、大変だと思います。そういう方は本当に蔵書家だから、電子化に反対の方が多いようですが。それはそれでいいんですけども、本はやはりテキストが大事だから、検索や調査の利便性という観点からみると、電子化された書籍も有用だと私は思っていますけどね。

電子書籍は、紙の本を「映画」に生まれ変わらせるかもしれない


――今後電子書籍がもっと普及していって、読み手、書き手はどういったことが変わると思いますか。


福岡伸一氏: 今は大学で教えていると、紙の辞書持っている生徒は1人もいません。昔、私たちの時代は分厚い研究社の英和辞典などを一生懸命引いていましたけれども、今はみんな電子辞書で、パーっと検索してしまいます(笑)。それはそれで味気ないなとも思うのですが、それが彼ら彼女らにとっては生まれた時に目の前にあった辞書な訳ですよね。

今後たぶんiPadやiPhone、GALAXY、Kindleなどが生まれながらにある人にとっては、それがもうネイティブランゲージなんですね。自分が最初に出会う本がそういう形態ならば、その中で育っていくのは必然です。今、我々旧世代が持っているみたいな愛着はどんどん失われていくと思うし、きれいな装丁の本も文化財や伝統芸能のような立ち位置になるかもしれませんね。

でも、電子化されたことによってこれまでの本の楽しみ方が失われても、今度は電子版だからこそのいろんな新しい楽しみ方や面白がり方が生まれてくるんじゃないかと思います。

――本の読み方や立ち位置は変わるかもしれませんが、本自体の面白さは失われない…ということでしょうか。


福岡伸一氏: 先日、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで、『宮沢賢治が伝えること』という朗読劇があったんです。ラジオドラマみたいな劇仕立てになっていて、『注文の多い料理店』だったら二人の猟師と地の文を読む人に分かれて読み進めていく。しかも彼らの後ろに、マリンバを演奏する人がいて、ドラマが盛り上がってくると「ジャジャジャジャ~ン」と効果音がつく。つまり、狂言回しの役割をしてくれるんですよね。

言葉って、活字だと黙読するイメージが強いのですが、言葉は本来しゃべられるものですよね。本来は「語られるもの」としてあった訳だし、文学作品の多くも、「音」として伝えられていることも多いんです。言葉というものは、「文字」として視覚から入るものでもありますが、話し言葉として音でもやり取りできるんですよね。

ちなみに、私が観に行った回は小泉今日子さんが出演者の1人として朗読されていたのですが、すごくよかったです。電子書籍なら、自分が好きな女優さんが物語を読んでくれていたら聞きたいと思うだろうし、エッチな本だったら誰かがエッチに読んでくれた方がいいと思うし(笑)。単に本だったら本のままでしかなかったものを色んな形でコンテンツに転換できるようになってきているんじゃないかな、と感じていますね。

さらに、調べるとか検索するというのはもちろん、赤線を引いたり、抜き書きしたりも、電子書籍で今は簡単にできるようになっています。好きな言いまわしがある人は、ネット上で同じ本を読んだ人たちと意見交換したりもできる。もしくは、朗読や音楽を付けたり、場合によっては映像をつけられますよね。

こうした現象を見ると、紙の本が単にテキストファイルになって、EPUB形式になって電子化されたというだけではない、可変的なメディアの多様性という可能性を秘めていると思うんですよね。最終的には、もっと映画に近い娯楽になるんじゃないでしょうか。

――電子書籍はさまざまなものにリンクしているので、より多くのものと繋がっていけますね。


福岡伸一氏: 私がレーウェンフックを調べていたら、フェルメールに行きついたということは、結局これまで離れ離れだった関係を、繋いだということですよね。これは読書の楽しみでもあるので、そこに色んなリンクのオプションがあれば、自分で好きなものを繋いでいけばいいと思うんですよね。そのなかでこそ、自分のなかでの再発見がいろいろな形でおこるんじゃないでしょうか。

――福岡さんにとって本とはどういったものですか。


福岡伸一氏: 基本的には、私にとって、「本=先生」だと思います。ドリトル先生と同じように、人生にとって必要なことは、全部本が教えてくれたと思います。本当の学校の先生以上に、いろんなところに連れて行ってくれたし、色んな時間、色んな時代に連れて行ってくれた。そういう意味では、本当に言葉通りの意味での「先生」です。先に生きて、私を導いてくれた存在でしょうね。

――最後に、今後どんなことに取り組んでいきたいと思われますか。


福岡伸一氏: さきほどお話をしたように、フェルメール作品だけの美術館を作ったんですけれども、ここでは「絵には色んな楽しみ方があります」ということを実証しているんです。

『真珠の耳飾りの少女』という有名な絵が今、上野の東京都美術館に来日していますが、こうした本物を拝みに行くような見方ももちろんいいとは思うんです。でも、もっと自由に、楽しんでもらえる仕掛けをたくさんつくりたいと思ってます。たとえば、葛飾北斎で波と富士山が描かれた有名な絵がありますが、あの波が本当に動いてしまう…とか。そういうちょっととんでもないことをやって美術でも科学でも文学でも、楽しめるようにしたいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

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