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村上陽一郎

Profile

1936年、東京都生まれ。東京大学人文系大学院博士課程修了。東京大学教養学部、同先端科学技術研究センター、国際基督教大学などの教授を経て、2014年3月まで東洋英和女学院大学学長。専門は科学史・科学哲学。 『エリートたちの読書会』(毎日新聞社)、『私のお気に入り─観る・聴く・探す』(集英社)、『知るを学ぶ あらためて学問のすすめ』(河出書房新社)など、著書多数。

Book Information

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読者との喜びの共有



科学史科学哲学の魅力を私たちに伝えてくれる東京大学、国際基督教大学の名誉教授である村上陽一郎さん。「読者とともに喜びたい」と語る村上さんに、幼少期からの読書体験、科学史科学哲学とそれにまつわる人々との出会い、執筆に込められた想いを伺ってきました。

豊かな読書体験


――(村上さんのご自宅にて)ここが『私のお気に入り ─観る・聴く・探す』に書かれていた場所なんですね。


村上陽一郎氏: 父親と、それから母の兄弟が、この周辺に居を構えていました。今から76年か77年ぐらい前の話だと思います。当時は、母の一番上の兄と、母の次の妹の家族と、三家族だけが、この辺に住んでいたようです。祖母は結婚が早かったらしく、子どもが多かったみたいです。私が知っている限りでは、母方の兄弟は七人ぐらいだと思います。祖母は芝居が好きで、まだ私たちがわからないうちから、連れていってくれました。

――お父様は医者だったと聞いています。


村上陽一郎氏: はい。父は医者で病理学者でした。戦前の医学というのは、完全にドイツ語でずっとドイツ語を勉強してきたはずですから、少なくとも読み書きは十分な素養があったと思います。まさに大正教養主義の真っただ中で、父は中学校、高等学校の時代を過ごしました。当時、岩波文庫の原形になった、ドイツ語のレクラムという文庫があって、中学でドイツ語を習い始めると、そのレクラム文庫を原書で読み始め、高校に入ると哲学ばかりではなく、文学や歴史、思想関係のものも、レクラムを読んで勉強していたようです。例えばロシア文学のドストエフスキーやギリシャの哲学であるプラトンの本なども、レクラムで読んでいました。

――そんな父親からは、どのような影響を受けられましたか。


村上陽一郎氏: 私が四つぐらいの時、寝る前の三十分ぐらいに、父がレクラムの『岩窟王』を訳しながら、読んでくれたことを覚えています。父親は、あらゆる書物の原点を、レクラムにおいていたようです。ただ、日本語の書物もたくさんありました。漱石全集は全部そろっていましたね。読ませたくないものは、どこかへ隠していたのかもしれませんが、父親の書棚から本を勝手に持ち出すことについては、一切、文句は言われませんでした。

父親の読み聞かせの影響からか、小学校に入る前から字を覚えていて、姉の買ってくる吉屋信子や、久米正雄などの少女小説も読んでいました。読むことで、字を学んでいたのだと思います。姉が習字をやっているのをいつも見ていましたので、漢字の勉強もよくできていました。当時の本には、ほとんどルビが振ってありましたから、読めない漢字もルビによって、理解していました。ですから、小学校一年生の時に、「五月雨」というのを誰も読めず、私は、そういう時に率先して手を挙げるのは嫌な人間だったので(笑)、黙っていたのですが、当てられたので、「さみだれ」と答えました。その時に、「なんで手を挙げないの」と、先生に怒られた覚えがあります。

――本を読み進めながら、字を覚えていったのですね。


村上陽一郎氏: 野球選手の御園生(みそのお)など、特殊な読み方の人名なども知っていました(笑)。字を覚えることに対する苦労は、全くなかったような気がします。姉がいたこと、親が本をどんどん読ませていたことが、その理由だと思います。小学校時代、一番読んだのは漱石全集と、それからおふくろの強い薦めがあって読んでいた、宮沢賢治の本。童話としては、坪田譲治さんが編集した『グスコーブドリの伝記』とか『風の又三郎』とか。表題作だけではなくて、大体十編から十二編ぐらいの童話が、一冊になってまとまっている著作集を持っていました。例えば『飢餓陣営』や、『どんぐりと山猫』とかいうようなものが入ったのも含めて、子どもが読むべきものは、ほとんど手元にありましたね。

――自由で豊富な読書環境に囲まれていたのですね。


村上陽一郎氏: アルツイバーシェフというロシアの青春作家の『サーニン』という小説もありました。それは、やや性愛的な話が出てくるもので、そういった部分は伏せ字になっていました。当時私は小学校高学年でしたが、そういうものを読んでも、特に怒られることはありませんでした。それから戦後まもなく、新潮社から世界文学全集が出た時には、ローレンスの『』や、ジュール・ロマンの『プシケ』などを、小学校の終わりか、中学に入る頃ぐらいに、親父が買ってくると、すぐ読みました。『プシケ』なんて、セックス描写が豊かなんですよね。トーマス・マンの『選ばれし人』も、センセーショナルな記述の多い小説ですが、平気で私に読ませていましたから、そういう意味では、早熟だったかもしれませんね。

子どもの頃は、賢治の童話から、直接的に宗教的なものは感じなかったかもしれませんね。ただ父親は、聖書をいつも読んでいました。我々に強制することはありませんでしたが、キリスト教に対しては、子どもの時から比較的開かれていたかもしれません。小学校の先生の一人が、内村鑑三先生の最後の直弟子と言われていて、大変熱心なクリスチャンで、ご自分でも日曜学校のようなものを開いていらっしゃいました。その集会には、戦後すぐに参加するようになりました。自覚した宗教体験としては、そこがスタートだったのではないかと思います。

著書一覧『 村上陽一郎

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