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宮沢章夫

Profile

1956年、静岡県生まれ。 多摩美術大学美術学部建築科中退後、24歳で様々な種類の執筆業を始める。 80年代半ばには、竹中直人、いとうせいこうらとともに、ギャグユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を開始、その作演出をすべて手掛けた。 1990年より劇団「遊園地再生事業団」を主宰しており、その第二回公演『ヒネミ』で岸田戯曲賞を受賞した。 2000年より京都造形芸術大学で、2005年から2012年まで早稲田大学で専任教員として教鞭に立つ。 近著に『素晴らしきテクの世界』(筑摩書房)、『演劇は道具だ』(イースト・プレス)など。

Book Information

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変化の時代こそ、多面的な「批評の目」を



宮沢章夫さんは、劇作家・演出家として、岸田國士戯曲賞受賞作『ヒネミ』など、既成の演劇の概念にとらわれない数々の作品を発表。小説家としても高い評価をうけています。また、さまざまな日常の事象を独自の視点で描き出すエッセイも人気です。宮沢さんの創作の根底にあるのは、多くの人が見過ごす物事に足を止め、面白がること。その好奇心を増幅し、また満足させる読書の魅力を含め、宮沢さんの活動の原動力に迫りました。

目的がないから、とりあえず見る


――このほど、エッセイ集『彼岸からの言葉』が復刊されたそうですね。


宮沢章夫氏: 『彼岸からの言葉』は、最初90年に刊行されました。その後93年ぐらいに文庫になったんですが、単行本も文庫も絶版になっていました。「復刊ドットコム」でもかなり票が集まったんですけどね。なかなか復刊されなくて、懇意にしている新潮社の編集者がいましたので、新潮文庫から出そうということになりました。

――20年以上前の作品が、復刊によって新たな読者を得ることは意義深いことですね。


宮沢章夫氏: とてもうれしいです。『牛への道』も、新潮から出たのが93、4年で、今度また文庫が増刷されるんですけど、何刷り目になるか忘れましたが、過去のものが現在も読まれているようなこと、時間に耐えられているってことはやはりうれしい。もちろん、例えば固定電話の話とか、今読むとちょっとわかりづらいところがあるかもしれないけど、『牛への道』の序文の、自動販売機の話などは今でも通用すると思っています。

――自動販売機で、缶コーヒーを買おうとしたら、スポーツドリンクが出てくる話ですね。あのエピソードは何度読んでも笑ってしまいます。


宮沢章夫氏: あれは鉄板なんです(笑)。どこで読んでも絶対うけるので、このあいだも、上野で読書のフェアがあって、野外ステージで朗読しました。あれは自動販売機というものが消滅するまで通用するかもしれない(笑)。

――宮沢さんのエッセイは、ほかの人の目に留まらない日常のできごとに着目するものが多いですね。


宮沢章夫氏: 全然記憶にないのですが、僕は小学校1年くらいのころから、学校からの帰り道、ちょっと歩いては立ち止まって、路上のなにかを発見してしばらく立ち止まるということをしていたらしいです。しばらくすると歩き出すんだけど、なにか発見してまた立ち止まる。全然帰ってこなくて、それを遠くから見ていた父親が、ウチの息子はどうなっているんだろうと言っていたらしい。それは今もそうだなと思っています。これはエッセイにも書いた話ですが、軽井沢にワークショップに行った時に、A班とB班に分けてフィールドワークをしたんです。A班は最初からしっかり目的地を決めて歩き出した。B班はなにも考えないダメなチームなんですね。だけど、フィールドワークの結果として、それをもとに簡単な芝居を作ったら、B班の方が素晴らしかった。A班は最初から目的地を決めているから途中が見えないんですよ。発見が少ない。B班は目的がないからとりあえず全部見る。途中の軽井沢商店街で「振れば振るほどおいしくなる牛乳」っていう謎のものを見つけた(笑)。大発見です(笑)。で、自分たちも振ってみたら、人よりももっと振りたくなるということを発見した。だめだったからこそ発見できたんです。

「今ここにいること」を意識する


――いわゆるビジネス書は、目的に最短距離で到達する方法を解説するものが多いですね。


宮沢章夫氏: 確かに、目的地があれば合理的だと思います。仕事をやる時には計画をたてて、そこに達成するためにはどうするかということも必要条件だけれど、そうではないものもあります。目的はわからないけど、過程でなにかを発見する作業。その最たるものが読書だと思います。たとえば、百科事典だってそうでしょう。今でこそGoogleで検索って簡単にできますけど、百科事典の面白さは、調べるとその横に書いてある、まったく関係のないことが気になって読んでしまうことですよね。ものを読む面白さはそういうところにもありますね。
僕たちは、常にあるところにいて、その先はわからない。でも「ここにいること」を、常に意識することが面白いんだと思っています。先が見えていると面白くない。ただ、全員がそのようにばくち打ちのような生き方をしたら社会が崩壊するだろうな(笑)。例えば日本銀行総裁がそんな感じだったら、経済がどうなるのか知れたものじゃないですから(笑)。

――大学では建築を学ばれたそうですが、それはなぜだったのでしょうか?


宮沢章夫氏: 実家は大工で、父は棟梁です。家を継げっていうのが子どものころから言われていたことで、建築関係しか選択肢がなかったです。「文学部に行きたい」なんて言ったら、おやじに殴られそうな感じでした(笑)。まったく受験勉強をしていなかった高校3年の秋に、多摩美術大学に建築科があるということを友達に教えてもらったんです。芸大は試験の教科が5教科で、多摩美は3教科だった。5教科は無理だろうと(笑)。しかも芸大のデッサンの試験は8時間です。受験勉強をまったくしてないし、デッサンもやったこともない者がそんな受験に耐えられるわけないじゃないですか(笑)。しかも、試験科目に平面構成というデザインもあったけどやったことがない。持っていかなきゃいけない画材だけ調べて試験に行きました。試験は上野毛でやるのですが、駅に着いたら、どうやら受験する人たちが、変な格好をした得体の知れないヤツばっかりで、なんてところに来ちゃったんだろうと思いました。でも運がいいとしか言いようがないんですが、なぜか入学しました。

――大学では、どのような学生でしたか?


宮沢章夫氏: むしろ、入ってから苦労しました。そもそもデッサンの描き方を知らないんですから。みんなうまいんですよ。浪人を重ねて、美術の予備校で徹底してデッサンやってますからね。ただ、僕は仕事でも、なにかを与えられるとそれが面白くなる。だから建築をやり始めると、それはそれで面白かった。当時、『都市住宅』っていう雑誌がありまして、この本がすごくよかった。雑誌そのもののデザインにも惹かれたし、住宅建築の魅力を『都市住宅』に教えられましたね。あるいは、『SD』という雑誌からは、建築のコンセプチャルな面白さを教えられたんだと思います。

著書一覧『 宮沢章夫

この著者のタグ: 『原動力』 『劇作家』 『エッセイ』 『創作』 『演出家』 『見方』

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