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世界中の本好きのために

幕内秀夫

Profile

1953年茨城県生まれ。東京農業大学栄養学科卒業。管理栄養士。 専門学校で栄養教育に携わるが、欧米模倣の教育に疑問をもち退職。以後、伝統食と健康に関わる研究をおこなう。現在、フーズ&ヘルス研究所代表。学校給食と子どもの健康を考える会代表。プロスポーツ選手の個人指導、社員食堂の改革、保育園、幼稚園の給食改善のアドバイスなどを行う。主な著書に『粗食のすすめ』(東洋経済新報社)、『ごはんの力が子どもを救う』(主婦の友社)、『変な給食』(ブックマン社)、『なぜ、子どもはピーマンが嫌いなのか?』(バジリコ)など多数。http://www8.ocn.ne.jp/~f-and-h/

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食べる快楽が一番安いし努力も、教養も要らない。でも食に偏り過ぎている今の日本は危ない



管理栄養士であり、フーズ・アンド・ヘルス研究所代表でいらっしゃる幕内秀夫さんは、『粗食のすすめ』(新潮文庫)など、数々の食に関する執筆活動や研究をされています。そんな幕内さんに、食について、読書のすすめについて、また電子書籍について思う事などを伺いました。

食と健康に関わる仕事を30年。今は健康ブームで仕事が増えているが?


――早速ですが、最近の活動などについて簡単にご紹介していただけますか?


幕内秀夫氏: 何と言えばいいんでしょう。「食と健康に関わる仕事」を始めて約30年です。とにかく新聞を読んでもニュースを見ても、一方ではグルメ、一方で食と健康についての情報。もうこれが百花繚乱という感じですね。30年前は食と健康に関する本は書店さんに行くと売り場がどこにあるのかよく分からなかったんですよ。昔、渋谷の大盛堂という書店へ行くと、「脱領域」というコーナーがあった(笑)。そういう場所に、私が書いているような本があったんですね。その棚へ行って、私は仕事上関心のある本を見つけていたんです。まさに30年前の事です。考えてみればわずか半世紀前は「病気になったらうまいもの食べて寝てなさい」という時代だった。その頃の日本人はやっと食えるか食えなかったという感じだったのに、今は食べすぎな訳ですよね。テレビで連日グルメ情報ばっかりやっているし、食べる快楽に突っ走っている。その一方グルコサミンだのヒアルロン酸だの健康食品がはやっているし、健康への関心もものすごい。このような流れの中で、私の仕事も忙しくなっています。あまりいい現象ではないように思いますね。

――今のお仕事に進まれるきっかけを教えていただけますか?


幕内秀夫氏: もともとは35年前位に、鹿児島から北海道まで3000キロを徒歩で歩き通した事があるんです。その頃、学校の授業がつまらなかった。「栄養士って一体何をやるんだろう」と。学校の授業はカロリー計算とか算数の勉強をしているような感じだったんです。それで「将来自分は何をやっていけばいいんだ」と悩んで、大学に入って半年目に学校へ行く気もなくなって、夜は水商売のアルバイトとかをしていたんです。大学1年の時には、渋谷パルコにあったステーキとハンバーグとサラダの店へ行って皿洗いとかコック見習いをやっていましたね。それ位授業に興味がなくて「それでどうするんだ」っていうので、じっくりで歩いて考えてみようと思ったんです。108日で歩きましたけど。

――歩いて北海道までいかれたというのは、とても大変な事ですね。


幕内秀夫氏: 当時、私が二十歳の頃は旅行といえば、泊まるのは野宿とユースホステルと駅前旅館でしたね。駅前旅館が1,000円ちょっと。ユースホステルが1,000円弱位。高校3年生の時、鹿児島県の指宿のユースホステルに行った時に、「北海道からここまで歩いて来た人がいる」という話を聞いたんです。その人は後で考えるとどうも有名な冒険家の植村直己さんだったみたいですが、だけどその時は信じられなかったですよね。「えーっ」と思った。その時の話を大学3年から4年になる時に思い出して「自分も歩いてゆっくり考えてみたいな」と思った訳です。そういうのもいいんじゃないかと。大学を休学して1年も歩けばそのうち着くだろうと。そんな訳で、てくてく歩き出したんです。しかしそのうち、お金がかかり過ぎる事に気がついて、ある程度スピードを上げた(笑)。ただ、歩いた事で人生が何か変わった訳ではないです。

長寿の里、棡原で伝統食に出会い天職に目覚める


――大学を卒業されてからは、どうされたのですか?


幕内秀夫氏: その後に専門学校に就職して、とりあえず生計を立てていたんですが、それから2年後に山梨県の棡原という長寿で有名な町を知りまして、古守先生という甲府の開業医の先生と知り合ったんです。そこで私は棡原の伝統食に興味を持った。欧米崇拝の自分が学校で勉強した教育に疑問を持って、専門学校を退職するという事になったんです。その時に、ふと大学時代に歩いた3000キロの旅を思い出して、旅の途中で色々なものを食べた訳ですが「地方によって食はちがうよな・・・」と感じた事が、棡原の伝統食とつながった訳です。だからその3000キロを歩いて、地方の食を経験していたがゆえに確信を持って学校を辞められたという事ですよね。もし、歩いてなかったら専門学校を退職するほどの決断ができたのか疑問ですね。

――Foodが風土という主張ですね


幕内秀夫氏: そうですね。それで今に至るという事でしょうか。約30年間あるからその間も色々ありましたけれど。

――子供の頃は、どんなお子さんでしたか?


幕内秀夫氏: 普通ですよね。成績普通、まじめ度普通、何もかも普通と。深く世の中考える事もなくただボーっと過ごしていました。ただ、親や兄弟、親戚からは変わり者と言われることが多かったです。自分だけが「普通」だと思っていたのかもしれません(笑)若い頃は、本もあまり読まなかったですね。20代中盤から山ほど読むようになりましたけど。大概の人は若い頃しっかり読んでますよ。自分でもそれはもったいなかったし、うらやましいと思いますね。



――幕内さんご自身が今でも影響を感じている、印象深い本は何かございますか?


幕内秀夫氏: 古守先生の書いた『長生きの研究』の本とかでしょうか。内容としては、棡原は元気なおじいちゃんおばあちゃんがたくさんいると。それで「日本の栄養教育はいいのか」というような内容ですね。その後、民俗学に関心が行って、そこで宮本常一という民俗学者の本に出会いました。『忘れられた日本人』(岩波文庫)とか『塩の道』(講談社学術文庫)とか、そういう本に出会って、ビタミンCとかカルシウムがという化学論に疑問を持ったんですね。それまで栄養教育、食生活の学問は、欧米崇拝で要素還元主義だった訳です。食品の分析をして、それで食生活がすべてわかるものだと錯覚してきたわけです。その化学論に疑問を持った。それには、外国の物理学者の本の影響も大きかったように思いますね。フリッチョフ・カプラとか、アーサー・ケストラーなどですね。梅原猛さんの書いた『哲学の復興』という本の影響も大きかった。それと、柴谷篤弘さんの『反科学論』、この二つですね。梅原猛さんの著書の中で、1つ目が「外国の思想によりかかるな」、2つ目が「分業主義をやめよ」それと「行動的な態度でものを考えよ」、「権力に対する批判を忘れるな」、「優しい言葉で語れ」というのがあって、その通りだと思いましたね。

著書一覧『 幕内秀夫

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