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世界中の本好きのために

浅倉ユキ

Profile

肉、魚、卵、乳製品、砂糖、みりん、酒、だしを一切使わないベジタブル料理(ゆるベジ料理)の教室「another~kitchen」を主催。同教室では「主婦のための手帳術」や「セルフカウンセリング術」も教えている。通称「あな吉さん」。料理教室は常に予約待ち。その他に、出張料理教室で全国を回り、助産院や保育園での講演、医療機従事者専門のセミナー講師も務める。 著書に『あな吉さんのゆるベジ 野菜1種の5品献立て』(e-MOOK)、『あな吉さんのゆるベジ いちばんかんたんな、野菜フリージングの本』(河出書房新社)、『モヤモヤをキラキラに変える! あな吉さんのハッピーコラージュ手帳術』(日本能率協会マネジメントセンター)、『あな吉さんの 自分deカウンセリングBOOK』(主婦と生活社)など。

Book Information

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家庭のゴールは「楽しい」こと



料理をはじめ、「女性のストレス値を下げる」ことをテーマに日々研究されているゆるベジ(ゆるいベジライフ)料理研究家の浅倉さん。助産院で子どもを出産した時に菜食を勧められたことから野菜の魅力にはまり、肉、魚、卵、乳製品、砂糖、みりん、酒、だしを一切使わないベジタブル料理の教室「another~kitchen」を主催。「野菜だけなのに甘い!」「お肉大好きの夫や子供も納得の味!」「すごく簡単!」と口コミで評判が広がり、料理教室は常に予約待ちで全国各地から生徒が通ってくるほど。著書には『あな吉さんのゆるベジ料理教室』などがあり、2013年には『いちばんかんたんな、野菜フリージングの本』『あな吉さんのゆる家事レッスン ラクしてハッピー!』『あな吉さんのハッピーコラージュ手帳術』などを刊行し、活躍の場をさらに広げていらっしゃいます。今回は、浅倉さんと料理との出会い、料理教室を始めるきっかけ、そして家庭におけるゴールについて、語っていただきました。

主婦にとっては、子ども連れ不可はネックだった


――another~kitchen(アナザーキッチン)を始めようと思われたのは、どのようなことがきっかけだったのでしょうか?


浅倉ユキ氏: another~kitchen自体は何度も移転して、今、3軒目になります。私が子どもを産んだ15年前には、料理教室をはじめ子連れで行ける場所がすごく少なくて、今みたいにインターネットも一般には普及していませんでした。私は友達よりも少し早く子どもを産んだので、子育て情報が友人から手に入らなかったのです。兄弟もいないし、引っ越して来たばかりで近所に友達もおらず、親に相談をしても、何しろ20年も前の話だから感覚も条件も違うし、情報があやふやだったんです。本屋で調べようとすると、今度は真面目過ぎて内容についていけない。それで「子どもがいる人同士は、どこで情報交換したらいいんだろう」と悩んでいました。子どもを産んでからは、体に良いものに興味が出てきて、自分も母乳のために良いものを食べたいと思い、料理教室に行こうと思いたったんです。近所の公民館などで開催されている料理の勉強会などを探してみたところ、どの場所も子連れ不可だったんです。その時、「子供連れでもできる料理教室があれば」と強く思ったのが、一番のきっかけになっているんじゃないかなと思います。

――子連れでは参加ができないことが多かったのは、なぜだったのでしょうか?


浅倉ユキ氏: 包丁を使うので、どこの料理教室も「子どもは預けてきてください」と書いてありました。でも、子どもを預けて教室に通うのは、主婦にとってはすごくハードルが高いんです。保育園などはフルタイムで働いている人のためのもので、一時保育をしている施設も今よりもっと少なかったんです。収入がないのに時給1000円以上払ってまで、500円の料理教室のために行けるかといえば、やっぱりそれは難しい。今は違うかもしれませんが、当時は子連れ不可が主流だったので、「それならば自分が作ろう!」と自宅で子連れオーケーの料理教室を始めたんです。自分も料理が得意だったし、友達が「料理教室を自分でしたらいいじゃない。ゆきちゃんから教わりたいな」と、背中をおしてくれました。私が作ったものを食べてもらって、レシピを配って口頭で説明するという、昼間にお母さんたちが子どもを連れて来られるものにしたら、口コミで多くのお客さんが来たので驚きました。それが大きくなって移転し、最初は自宅の一角だったのが、今はここの阿佐ヶ谷の1軒屋をスタジオにして、連日講座を開催しています。

――開催されている講座は、子連れオーケーのものが多いのですか?


浅倉ユキ氏: 基本的に一部の長時間に及ぶ講座以外は、全て子連れオーケーにしています。子どものいるお母さんたちが学べるような空間となっており、10人集まれば2人位は子ども連れでいらっしゃっているような状態です。私はサークルではなくて、全国から有名な講師をお呼びして、赤ちゃんを抱っこしたまま受講できるというものを目指したかったのです。今は畳の部屋があるので、そこで赤ちゃんを寝かしておけるというスタイルにしました。

――浅倉さんの料理教室はすごく人気がおありですが、「ゆるベジ」というのはどのようなコンセプトなのでしょうか?


浅倉ユキ氏: 少し変わったことがしたいなという思いがあって、肉、魚、卵、乳製品は一切使わないというものにしました。お母さんたちの話を聞いてみると、「肉やチーズなどは子供も大人も食べるけれど、野菜を食べてくれないから心配」という人が多くいました。そういった声を聞いて、私はベジタリアンではないのですが、「野菜を野菜の味だけで美味しく食べる」というのを目指すことにしました。ゆるベジは、研究色が強いかもしれません。千切りのニンジンをそのまま食べると、セリ科の臭いが苦手だと感じる方もいると思いますが、ニンジンを6分炒めるとものすごく甘くて、チーズのような味になるんです。時間を何度も計って試した結果、2分ではなく6分炒めればいい、ということが判明し、その発見が楽しいのです。昨年『いちばんかんたんな、野菜フリージングの本』という冷凍野菜の本を出しました。その本のために片っ端から野菜を冷凍してみましたが、全部だめになっていくんです。でも、すりおろしてから冷凍すれば大丈夫な野菜があったり、ピーマンは冷凍したらえぐみが減るなど、美味しくなる鋭角の点といったものを発見するのが、私自身もすごく面白いので、納得するまで徹底的に繰り返し試します。

――仕事をする上で、何かこだわりはありますか?


浅倉ユキ氏: 私は自分のできること、自分にしかできない仕事を淡々とつきつめていきたいと思っています。人の役に立つ、そういった手ごたえがある時が1番うれしいです。

昔から感じていた、料理の面白さ


――昔からお料理はお好きだったのでしょうか?


浅倉ユキ氏: 母があまり料理好きではなかったんです。ですから、高校生の時は毎日自分でお弁当を作っていて、受験の日も自分でお弁当を作りました(笑)。

――料理は独学なのでしょうか?


浅倉ユキ氏: そうです。料理が得意な人の中には、母親があまり料理をしないという人も結構多いようです。母は料理が苦手だから私の料理に口出しをしませんし、「料理に使う」と言えばオーブンレンジも買ってくれました。その頃、実家は生協の宅配を利用していたのですが、カタログごと渡してくれて「好きなものを好きなだけ頼んでいいよ」と言われていました。料理本を見てどんどん材料を注文して買い過ぎたりしても、台所を散らかして放っておいても、まず文句は言われませんでした。「それで料理好きになるんだったら」と母は許してくれていたのだと思います。だから料理に関しては面白いという感覚をずっと持ち続けることができたんだと思います。

――料理を作った時のご家族の反応はいかがでしたか?


浅倉ユキ氏: 親も「天才だ」などと褒めてくれましたし、学校にお弁当を持っていくと友達からも好評で「ちょうだい!」とよく言われていました。それがうれしくて、皆の分までお弁当を作っていた時期もありました。大学生になって「東京で一人暮らしをする」と伝えると、実家が千葉だったので「東京まで通えるから出なくていい」と親には言われました。でも「仕送りは要らないから」と言って、一人暮らしを始めました。

――敢えて家から出ようと思ったのはなぜだったのでしょうか?


浅倉ユキ氏: 自立心が強かったんです。仕送りがないので、当時は1週間の食費が500円~1000円位。お風呂も電話もないアパートで生活をしていて、野菜しか買えませんでした。お肉を500円分買っても1食、2食分で終わってしまうけれど、野菜ならば、キャベツ丸々1個と大根1本が同じ値段で買えます。だから当時は野菜ばかり食べていましたね(笑)。

――そういった生活から学んだことはありますか?


浅倉ユキ氏: グラタンや餃子が食べたくなったら大根を代用してみたりして、その時あるもので作るということを考えるようになったかもしれません。必要なものは自分で作る、というのは今の仕事とつながっているようにも思います。
当時は、小麦粉を1キロ買ってうどん、パン、すいとん、お焼きなども全部自分で作っていました。そのうちに段々と凝るようになり、パンも天然酵母で作るようになりました。野菜や果物をはちみつと一緒に漬けこんで発酵したものを利用すると、パンが膨らむようになると本で読んだのですが、私は同じく糖分を含むジャガイモの皮を利用しました。皮を水につけて1週間位ふたを開けては混ぜてという作業を続けていると、ぶくぶくいってくるんです。それを小麦粉に混ぜて発酵させると、イーストだと1時間位のところ、発酵力が弱いために膨らませるのに4日もかかりました。そのパンをぱりっと焼くために魚焼きグリルで焼いてみたのですが、当時私が使っていたグリルは上火しかなかったので、片面だけしか焼けませんでした。そこで、公園で拾った石を煮沸消毒してグリルに敷き詰め、先に石をオーブンで焼き、火を弱めてからパン生地を入れて両面に火を通す、などとアイディアを出して遊んでいました。

面白いと思っている限り、不幸はない


――浅倉さんはバッグパッカーとして、世界中を回られていたこともあるそうですね。


浅倉ユキ氏: アフリカやインドなどにも1人で行くタイプだったので、たくましくなったのかもしれませんね。そういったサバイバル精神が大学時代の貧乏生活にも生きたのかな、という気もします(笑)。どんな状況でも面白がっている限りは不幸ではないですよね。だから当時はすごく楽しかったです。

――なぜアフリカを選ばれたのでしょうか?


浅倉ユキ氏: 韓国やタイやインド、東南アジアやヨーロッパ、それからアメリカにも行ったのですが、友達になったインド人の女の子から、「親戚がアフリカにいる」と紹介されたんです。その子が文通で「アフリカに遊びに来てね」と言ってくれたので、マラリアの注射などを打って、すぐに飛んで行きました。そのご家庭にホームステイさせてもらって、2、3週間過ごしたんです。その後、その子が「結婚式に参列してくれ」と言ってくれて、その子のインド式の結婚式が2回目のアフリカ訪問となりました。アフリカでは、「明るい道だし、人も通ってるし、大丈夫かな」と歩いていたら、後ろからホールドされて荷物を全部持っていかれた体験があり、今考えるとちょっと危なかったなと思います。怖いもの知らずでしたね。

――かなり危険な体験をされましたね。


浅倉ユキ氏: 「仕方ないな」という気持ちと、どこか面白がっている気持ちとが、半分半分でしたね。タイに行った時も、ホテルのフロントにある鍵のかかる金庫のようなところに財布を預けたら、減っていたんです。あまりにも話をはぐらかされてカチンときたので、その場でタイの警察を呼んだんです。「ホテルじゃ話にならないから、向かいの喫茶店でじっくり話を聞きます」ということになって警察の人と話をしていたら、いつの間にか次の日その警察の人とバイクでツーリングをしようという計画に話が変わっていました。でも、ツーリングの行き先が彼の実家だということが分かったので、途中で帰りました(笑)。

本はみんなの作品


――本を書くきっかけとなったのは、どのようなことだったのでしょうか。料理教室の口コミがきっかけとなったりしたのでしょうか?


浅倉ユキ氏: ちょうどヘルシーブームが始まった頃でもあったので、場所も移転してどんどん規模も大きくなり、途中から本の話なども同時期に何社からかお声をかけていだだくこともありました。私は出版に関してはあまり乗り気ではなかったのですが、すごく熱心にお話をしてくださった人がいて、「この方となら一緒にお仕事をしてみたいな」と思ったのが出版のきっかけとなりました。本作りにおいては、本当に編集者さんありきです。出版のお話を下さった河出書房新社さんは、最初に私の料理教室を見に来た時に、「3冊本を出しましょう」とまで言ってくださいました。1冊目を撮り終わると「次の企画はこれにしましょう」といった感じでどんどん繋がって、そのうち他の出版社からも話をいただくようになり、トータルで料理本が16冊になりました。

――料理本を作られる時は、どのくらいの人数で作り上げていかれるのでしょうか?


浅倉ユキ氏: 料理本に関してはスタッフが多いです。カメラマンさんやデザイナーさん、スタイリストさんと編集者さん。それから、出版社さん。色々な方たちとチームで作っていくものですので、本は皆で作品として仕上げて行くもの。著者の意をくんでくれる方や、何が書いてあるか、どういう外観にするかというデザイン的な部分に力を入れる方。それから、家で自分で作ってみて「このレシピ通りに作ったらこういう風になっちゃったんだけど、何か言葉が足りないのではないでしょうか?」などとディレクションしてくださる編集者もいます。優れた編集者の力によって、著者の持っている力以上の本になることもあると感じています。著者は自分の頭の中のものを形にするので、どうしても独りよがりな部分も出てきてしまいます。それを客観的に見て、分かりにくい部分に関しては分かりにくいとダメだしをしてくれるし、時には取材してくださって、内容をさらに引き出してくれたりもします。そういう風にぶつかりながら仕事ができる方と組めると幸せです。

料理本のジレンマからの解放


――電子書籍において、編集者の役割は重要だと思われますか?


浅倉ユキ氏: 編集者が入らない電子書籍は、ブログとの差異が難しいですよね。編集者の手が入るか入らないかでは、製品としての完成度が違うような気が私はします。電子書籍では動画を入れたりできるので、料理本としてはすごく魅力があります。材料はどこで買えるのかといった質問がきたりもしますので、リンクを貼って外部サイトで購入できるようになると、読者としては便利だと思います。

――料理本は実生活と密接に繋がっているので、リンクできるのは便利ですね。


浅倉ユキ氏: 本当は全行程を見せたいなと思う料理があっても、レシピ本の場合は4カット位までというような決まりがあるんです。でも電子書籍なら、動画にしたりコマ送りにしたりできるので、そういった縛りがなくなりますよね。あと、たくさん写真を載せたいけれどその結果1枚1枚の写真が小さな写真ばかりになってしまうと、参考にならないというジレンマがあります。電子書籍の場合は写真を拡大できるので、小さな写真になることは気にしなくてもいいから良いですよね。

――書き手として、本の魅力とはどのようなところにあると思われますか?


浅倉ユキ氏: 私は本に期待するのは「浅く広く」という部分なんです。自分が一生懸命考えたアイディアをたくさんの人たちにお伝えしたいと考えても、料理教室で1度に教えられる人数は限られています。例えば1回の人数が50人で、週休2日で教えても月に1000人位。直に教えるのは「狭く深く」の世界ですが、書籍の場合は、深くは教えられないですが、アイディアとしては、ある程度はきちんと伝えることができる。1度に10000人などという、多くの人と接点を持てるというのは、やっぱりすごいことだと思います。

重要なのはゴールを最初に決めること


――本を作る際に、気を付けていることはありますか?


浅倉ユキ氏: 去年は家事やセルフカウンセリングの本を出させていただきましたが、言っていることは全部同じなのかなと自分の中では思っているんです。共通するのは、ゴール意識。まずは、「家庭料理のゴールはどこなのか」というところを決めなければいけないと私は思っています。私の準備しているゴールは、「ヘルシーで、家族がきちんと食べて、簡単である」ということ。家庭料理はこの3つが揃っていれば別に料理のレパートリーが多くなくてもいいのです。その3つが揃っていて、かつ皆が作ろうと思えるような工程や材料であるレシピを私は考え続けています。目指しているゴールによって必要な本も変わってくると思うので、先にゴールを決めないと本も選びようがないですよね。

――手帳術に関しての本も出版されていますね。


浅倉ユキ氏: 手帳術に関しても同様で「どうなったら自分は最高にハッピーになるのか」ということの答えがない人は、目の前のことを一生懸命やっても幸せにならないのだと私は思っています。必死で走って顔を上げたらゴールとは全然違うところにいる可能性もあるので、今日のゴール、今月のゴールというものを定めて、それに至る道を付箋で繋げていって、剥がしていけば終わる。「全てを自分の意図した通りに進めるために手帳がある」という風に考えると本当に楽なんです。料理も手帳も家事も、理想形は何かということを問うところから全部始まっているコンテンツなのです。

――まず大事なのは、ゴール意識なんですね。


浅倉ユキ氏: 主婦業は、毎日朝起きてから夜寝るまで走り続けているという感じだと思うんです。男性と比べて女性の主婦業などは、ゴール意識があまり叩きこまれてないというか、プロジェクトに終わりがないんです。ご飯作りはエンドレスですし、子育ても20歳で本当に終わるわけでもありません。それに「手をかけて育てれば良い子になる」といったセオリー通りにいくわけでもありません。だからゴールを見失いやすい部分があると思うんです。仕事はゴールにおいてのみ言えば、分かりやすい節目があって、1個1個終わったら解放感、達成感が得やすいものですよね。それに対して生活においてはゴールがはっきりしていない。だからこそ、料理だったらこういうのがゴールとか、夫婦関係だったらこういうのがゴールといったように、1つ1つ決めていったほうがいいと私は思うのです。

――今年はどのようなことに力を入れたいと思われていますか?


浅倉ユキ氏: 書籍に限らず、生活がちょっとでも楽しくなる方法を、もっと色々な形で届けていきたいと思っています。去年の年末から今年の初めにかけては、手帳術をビジネス向けに展開することをすごく意識していました。でも、今までやってきた女性に対する支援に関して、もっとやれることがあるなという風にも思っているので、そちらの方にも改めて力を入れていきたいですね。あと、手帳術のインストラクターを各県に1人位配置できたら良いなということも考えています。
家族が楽しめているというのが私にとっては唯一無二のゴールなので、頑張っているということはあまり関係がないんです。家事ができてなくても「ごめん、できてない」と笑って済ますことのできる環境があれば頑張る必要もない。その辺を男性、女性共に見失ってしまいがちです。うちの父には「出世しなくてもいいから残業を一切しない」というポリシーがあって、いつも早く家に帰ってきていました。本人さえ幸せなら、外からの評価なんて関係ないんです。家庭に関しては「楽しい」ということが根本的なものなのだということを、思い出してほしいと私は願っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 浅倉ユキ

この著者のタグ: 『アイディア』 『海外』 『ノウハウ』 『研究』 『子ども』 『料理』

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