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世界中の本好きのために

吉岡友治

Profile

VOCABOW小論術校長。仙台市生まれ。東京大学文学部社会学科卒。シカゴ大学大学院人文学科修了。専攻は演劇と文学理論。代々木ゼミナールで20年以上、国語および小論文の講師をつとめ、日本語における小論文メソッド、アカデミック・ライティングの方法を確立し、WEB, REALの両面で小論文指導を続ける一方、各地の学校・企業などで講演・研修活動を行う。また、上記メソッドを応用して、社会論・芸術論・身体論などの言説分析など、幅広く活動している。最新刊『いい文章には型がある』(PHP新書)など著書多数。現在バリ島でプチ・ノマド生活も実験中。
【HP】http://www.vocabow.com
【ブログ】http://yujivocabow.blogspot.jp

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文章をシャワーのように浴びた少年時代


――吉岡さんが今のキャリアを築き上げるまでのお話をお聞きします。まず、小さなころはどのようなお子さんでしたか?


吉岡友治氏: 僕は、今でこそ体が大きいんですが、子どものころはそんなに大きくなくて、野外で遊ぶ子どもではなかったんです。岩手の農村で育ったので、外で遊ぶこともきらいではないないんですけど、それより本を読むことがとても好きで、何かというと本を読んでる子どもでした。両親は本をいっぱい読ませようということで、少年少女文学全集とか、世界文学全集、日本文学全集とかが、一通りそろえたようです。覚えていないんですけど、最初は読み聞かせとかしてくれたらしいです。そうするとそのうちに子どもは勝手に読み始める。あれこれ読んでは、面白いとか、面白くないとか生意気にも言っていました。それこそ内容は何でもよかった。新聞の三面記事でも良いし、広告の文章を読んでも良いし、シャワーみたいに文章を読んでいたという記憶が小学校時代にはあります。
でも、文章を書くのは大嫌い。作文はほとんどは親に書いてもらっていました。母親が優等生で、作文も上手だったらしい。だから、子どもが困ってるのを見ると、「私が書いてあげる」といって徹夜で書いちゃったりする。それが、県の作文コンクールで優勝とか。教育上良いものやら、悪いものやらわかりませんが(笑)。



――幼少時からさまざまな文章に触れたことが今につながっていると感じられますか?


吉岡友治氏: つながってるんだと思います。でも、うちの父親は大学で物理を教えていて、母親は高校の化学の教師、両方理科系の人間だったので、僕には理科系に進んでほしかった。父親は、息子と一緒に研究ができたら良いと本気で思っていたらしくて、最初は理学部を受けろと言われていた。嫌だなと思いながら受けるので勉強にも身が入らない。当然のように落っこちました。「もうお前は文学部でいいよ」と引導を渡されて、心底ホッとしました。
僕がいたころの高校はいわゆる学園紛争のさなかで、一年生の時なんか授業自体がない。その癖がついて、ほとんど学校には行ってないんです。学校の授業が「正常化」しても、1時間目の出席だけ取るとそのままいなくなる。街の映画館に行って、映画を見まくっていた。毎日映画館に入り浸ってたから、正月になったら映画館から感謝状と共に招待券が20枚位贈られてくるという状態。
大学では念願の文学部に入って、ヘーゲルなど哲学書を読みまくりました。そのうちに、社会科学に興味を持って、小室直樹先生の社会学のゼミに入ったんです。僕は数学がやや得意だったから、橋爪大三郎さんに誘われて行ってみたら、これが面白かった。小室先生も黒猫と一緒に学生寮に住んでいて、社会学の研究をしているとか、むちゃくちゃキャラが立った人でした。でもそのうち行かなくなったんです。小室先生は素晴らしい人だし、橋爪さんも素晴らしい先輩なんですけど、学問やってどうなるのかなという気持ちもあって、芝居の方に行きました。

英語論文のスタイルを取り入れ、メソッドが完成


――お芝居はどのようなきっかけで始められたのでしょうか?


吉岡友治氏: もともと映画が好きで、後にNHKに入った女の子から誘われて大学祭で芝居をやったのがきっかけ。劇団に入って、本格的にやってみようと思いました。当時、社会学科の中で流行っていた竹内敏晴さんの演劇教室に行って、そのまま7年位いたんです。役者志望の人が多いんですけど、僕はあんまりそっちをやりたくなかったんで、演出助手をずっとやっていました。その後、竹内さんから「そろそろ自分でやれよ」とうながされて、劇団Fuらっぷ斜というのを立ち上げて、30本位演出をやりましたね。ただ芝居は全然食えないですから、いろいろ助成金もらっても追いつかなくて、30歳前くらいから塾の講師を始めました。ちょうどそのころ、塾が全盛期で、2、3年するうちに代々木ゼミナールを受けてみないと誘われて、それから20数年ずっと代ゼミにいたんです。

――演劇はずっと続けられていましたか?


吉岡友治氏: 芝居は続けていました。だから僕は、自分のことを「パートタイム予備校講師」とか「アマチュア講師」って言っていたんです。ほかの人は一生懸命お金のためにやってたんですけど、僕はあまりお金に興味がなくて、クビにならなきゃいいやと思ってました。そしたら3年目位の時に、突然、「小論文をやってくれ」って言われた。引き受けたは良いものの、何をどう教えたら良いのか、代ゼミはまったく教えてくれないし、カリキュラムもない。とにかく一学期全12回やらなければならないので脂汗を流しながらという感じでした。

――今につながる小論文のメソッドはどのように考えたのでしょう?


吉岡友治氏: そのとき、いろいろ小論文の参考書を見てみたんですが、全く参考にならないんですよ。「こうやった方が良い」と書いてあるんですけど、何でこんなところに赤が入るんだろうとか、どこがいいのかとか、とにかく仕組みや構造がよくわからない。解説で書いてあることは句読点の付け方など分かりきったことばかりで、まじめに読むような内容ではない。そんなのばっかりでどうするんだと思ったんですが、とにかくやるしかないので、毎回生徒たちの添削をしながら全体を統括する原理はないだろうかと考えて、自分なりにメモを取っていきました。
その後、シカゴ大学の修士課程にも行って、英語の論文の書き方を習ったんです。私は英語が専門じゃないので、最初はうまくいかなくて、ずっとCプラスだとかBマイナスで、「英語の間違いがひどい」と言われたりもしたんですけど、文献もいろいろ読むうちに、コツがわかってきたんです。シカゴで習ったことと、自分が考えていたことと符合したのには感激しましたね。小論文ってこういう仕組みなのでは、とずっと考えてたんだけど、そこにシカゴスタイルっていうアメリカの論文メソッドが合って、僕が考えてたことは間違いなかったんだと感じて、本を書こうと思ったんです。

著書一覧『 吉岡友治

この著者のタグ: 『インターネット』 『可能性』 『劇』 『小論文』 『著作権』 『対話』

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