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青木眞

Profile

1979年、弘前大学医学部卒業。沖縄県立中部病院で研修後、米国ケンタッキー大学等にて臨床研修。聖路加国際病院、国立国際医療センターを経て、2000年より感染症コンサルテーションを全国の病院で開始。米国感染症専門医。教育者としても評価が高く、全国から講演会のリクエストが絶えない。
【ブログ】「感染症診療の原則」
http://blog.goo.ne.jp/idconsult

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日本のエイズ診療を開拓。しかし・・・


――日本に戻ってきてからは、エイズの診療に携わられましたが、どのような経緯だったのですか?


青木眞氏: 旧厚生省からいまの国立国際医療研究センターに、国の基幹病院としてエイズ診療を始めろという話があったんですね。ところが最初に始めると大変だと思ってどなたも手を挙げなかったんです。で、「じゃあ青木、やらないか」みたいなことになりました。引き受ければ感染症のヘッドにするし、病棟もあげるということでした。僕も臨床の訓練を5年も受けてきたので、できるなと思って移ったんですよ。そうしたら若いからとか出身が・・・とか色々あったんだと思うんですけれども、その約束が全部守られませんでした。専門外来じゃなくて別の神経科か何かの外来の隣で借間なんです。プライバシーがすごく大事なのに、カーテン越しに声が筒抜けで非常に困りました。そこで外来の部長に、「ちょっとやりにくいんですけど」みたいに言ったら、「いや、あんたがやりたくて勝手に来たんだから」というような感じで全然対処してくださいませんでした。

診療は2、3年、ドクターとかナースの教育をして、少しずつ可能になってきたんですが、そうしたら上のほうの命令で、「あんたを感染症のヘッドにする予定だったけど、別の人を感染症のヘッドにすることにした」と。でもその人は感染症のことを全く知らないから、患者さんを見ながら、その方に感染症の指導もしながらやっていました。そしてそのころ、菅厚生大臣のもと薬害エイズ訴訟が和解しまして、国際医療センターにエイズセンターを作ることになりました。ところが、それにあたっては、薬害エイズの患者さんが希望する医者と看護婦で作ることになったので、エイズセンターが始まる24時間前に僕は明日どうなるのかわからないっていうような感じになってしまって、非常に困りまして、「ちょっとこれじゃあやってられないな」と思って辞めることにしたんですね。



それで、僕が信頼する高名な先生に相談に行ったら、「あなたには日本にいる場所はないからアメリカに帰れ」っていうアドバイスだったんです。そのころ、アメリカのある先生が、あまりに僕がひどい目に遭っているっていうのを人づてに聞いたらしくて、「家族5人と両親、7人分のグリーンカードを今すぐ用意できるから、ある州の大きな大学においで」って言ってくださったんですね。非常にうれしかったんですけれども、僕は長男なので70ぐらいの両親を連れてというのはなかなか難しくて、ダメっていうことになった。それで日本の外資系の製薬会社も考慮したのですけれども、僕は患者さんを診る訓練を受けて、それが好きで生きてきたのに、月曜日から金曜日までデスクワークをしなければならない。それしか日本にいる方法がないとしたら困るなと思っていましたね。

いまは、本当のことを自由に発言できる立場


――現在は「感染症コンサルタント」として医療機関へのコンサルティングをされていますが、日本では珍しい業態なのではないでしょうか?


青木眞氏: ある時に、アメリカ大使館関係者から講演の依頼を受けたんです。で、講演の中身は日本の感染症とアメリカの感染症、感染管理や院内感染対策についてで、ほかにその領域の大御所がいるのに、何で自分に声が掛かったのかなと思っていたのですが、実は欧米の保険会社が日本の健康保険制度が近い将来破たんして、彼らにチャンスが巡ってくると考えていたわけです。当時、15年ぐらい前ですがアジアで消費される医療費の8割ぐらいを日本で消費していたので、かなり大きなマーケットだったんですよね。

しかし欧米の会社が日本の様子を調べてみたら、日本の病院は査察制度がないということにびっくりしたんですね。つまり1回お医者さんが免許証を取ると一生そのままで、定期的な検査は一生ない。病院がちゃんとした診療をしているか、院内感染対策をやっているかもノーチェック。しかも出来高制度ですから、下手すると盲腸で入院してすぐ退院しちゃうよりも、こじれて院内感染を起こして肺炎とかになってくれると病院はもっともうかるわけですよね。だからそういったシステムの国で保険をやったら下手したら保険料を払いっぱなしじゃないですか。なので、この国はまず病院のクオリティーをチェックするようなシステムを作るほうが先だというディスカッションが始まっていたらしいんですね。アメリカではJCAHOという機関があるんですけれども、それの日本版みたいなやつがもし走り始めれば、今度は査察に合格するためのコンサルティング業務も発生するんですね。病院としては査察に合格しないと健康保険を払ってもらえないわけですから必死になって合格しようとするので、合格お手伝い業務というのが成り立つ。それを日本に作れないかと。

つまり日本に査察制度を作りつつ、一方でコンサルティングでも参入しようと色々な方向から日本でのマーケットをご覧になっている人たちがいたわけです。アメリカ大使館では、いま学術顧問をしているサクラグローバルホールディングスの松本謙一会長とも会ったんです。そこで「実はいま、新しい職場を探しているんです」と言ったら、彼が「じゃあうち来なさい。別にあんたは目利きの専門家でもないし、病理の専門家でもないから、会社のために働けっていうのではないけれども、あんたが大事だと思うことをやりなさい」と言われました。だからいまは、別に誰ににらまれても大丈夫なので、「こんな薬ダメだ」とか本当のことが言えています。日野原重明先生と松本謙一会長には一生頭があがりません。

著書一覧『 青木眞

この著者のタグ: 『価値観』 『医師』 『教育』 『留学』 『自由』 『感染症』 『医局』

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