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世界中の本好きのために

橋場義之

Profile

1947年生まれ。早稲田大学第一政治経済学部卒業後、毎日新聞に入社。東京本社社会部、地方部、西部本社報道部で記者・デスク業務に携わり、1998年4月より4年間、編集委員として同紙メディア面の編集を担当。2002年より上智大学文学部新聞学科教授。日本マス・コミュニケーション学会、情報ネットワーク法学会会員。主な著作に『新版 現場からみた新聞学』(共著、学文社)、『メディア・イノベーションの衝撃―爆発するパーソナル・コンテンツと溶解する新聞型ビジネス』(編著、日本評論社)など、翻訳に『記者クラブ―情報カルテル』(ローリー・A・フリーマン、緑風出版)がある。

Book Information

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答えを探す行為が軽くなった現代


――本の変化についてはどういう変化を感じていますか?


橋場義之氏: ものすごくざっくりとした傾向で言えば、ハウツーものと新書が増えたと思いますね。本を出版するには卸に出しますが、日本の流通ではそこでお金がまずもらえる、売れるか売れないかはその先の話。でもとりあえず、出せば出すほど運転資金だけは入ってくるから、とにかく出版点数を増やして転がしていく、つまり自転車操業的な経営になりがちなのは僕も新聞社にいたのでよく理解できます。売れないけど、とにかく出版点数を増やして、それも期末にバッと出して運転資金を取り込み、単年度でみれば数字はまあまあ良く見える。借金の先送りですよね(笑)。

――新聞の発行部数も日本では、あるいは世界的に見ると欧米諸国では減少傾向にあると思いますが、新聞を読む行為に読者側の訓練というか知識量、読書量は関係あると思われますか?


橋場義之氏: 関係あると思いますよ。読書量が本当に減っているかどうかは統計によって違うので置いておくとしても、学生たちと接する中で感じるのは、一冊の本として読んでいるのは少ないですね。本を部分的にとらえて、知識のつまみ食いだけしている感じというか。

社会への関心と自分自身との関わり。自分があって、自分がどんな社会に生きているんだろうとか、そういう関心がないと何か本を手にしようとは思わないでしょうし、そういう意味では社会に向けての関心がなくなっているのだろうし、なぜその関心がないのかというと自分への関心、自分を問わないというのか……。

――自分が何者であるか……。


橋場義之氏: 何者であるか良く分からない。もちろんみんな悩んでいる。どうしたら答えが見つけられるのだろうか。僕らの世代は本にその答えを求めたわけです。

今は答えを見つけようという行為が軽くなっている。逆に言うと、何でも手軽に答えが見つかるイメージを持ってしまっている。それはインターネットの登場に依るものが大きい。検索すれば何らかの答えは出てくるけれど、それは手軽な答えではあるけど、本当に自分が求めている答えにはなっていないと思う。答えを探す行為も、それに答えようと発信する側の行為をひっくるめて、知的な作業・行為が軽くなっている。とにかく今目の前にあるものを上手にこなすテクニック、ハウツー物みたいなのが多いのではないかなって。これは自分が歳を取ったからそう言うのかもしれないんだけども(笑)。

ジャーナリズムは「主張」に足る事実を論理的に


――長く新聞に携わってきて、新聞はどう変化したと感じられますか?


橋場義之氏: 読者が簡単に答えを求める傾向があって、何とかそういう答えを見つけて提供しようという風になるのはやむを得ないんだけど、社会そのものが昔と比べて圧倒的に複雑だから、答えなんかなかなか見つからない。世界中の政治家だって悩んじゃっているわけだから、今(笑)。

今、ジャーナリズムで新しく出始めた傾向は「主張」。これまで何十年、あるいは1世紀近く、なるべく客観的に、読者が判断できる材料を提供しようと、「客観」や「中立」を意識して世界中の新聞はやってきました。

しかし物事がこれだけ複雑になると、単に事実を出しただけでは物事の意味が伝わらないし、分からない。だから、十分に証拠を集めなくても安易に断定してしまう傾向になってきた。「こうだ」と。その方が読者に喜ばれる。これは新聞だけじゃなく、政治の世界でもそう。社会が複雑になって解決が難しくなればなるほど「えいやっ」ってやってくれる強いリーダーを求め始めるわけ。世の中の流れとして必然だと思うけど、日本のメディアは過去にそうした経験をし、失敗し、反省をしているのだから、簡単にそういう流れに再び戻ってはいけないとも思う。

だけど社会の流れ、うねりはなかなか抵抗しにくくて、分かりやすく主張してくれるものを読者は求め始めるし、記者自身もそうしたくなってしまう。「これってこうだろ」と短絡的に、あるいは忍耐強さがなくなっているのではないか。そうした気分がだんだん紙面に表れてきているのを少し心配しています。

議論もすごくアバウトになってきている。批判するにしても、論理的に物事を語っていくとか、緻密に証拠を提示していくとか、そういうような議論の前提となるやり方みたいなものがルーズになってきている。バッサバッサとやり始めたというか(笑)。それはすごく嫌な傾向だと最近思っています。

報道はどこへ行く


――そういった混沌とした世の流れの中で、ジャーナリズム、報道に携わるメディアとして新聞の果たすべき役割はどういうところにあると思われますか?


橋場義之氏: きちんと取材をして証拠となる事実を集めること、それから論理的であること。例えば、オスプレイの配置問題。政府がやったことは、安全だから配置してもいいでしょという論理。その安全性を「独自で確かめます」と日本は米国に行って調べてきた。それで「調べてきた結果安全でした、だから沖縄さん受け入れてね」とやっているわけでしょ、こんなのはもともと論理矛盾です。独自に日本が調べると言っているけれど、本当に自分たちが必要とするものを米国が全部提供してくれますかといったら、出してくれるわけないでしょ?

「独自性」と言うのなら、どこが独自かをジャーナリズムは追求し、チェックしなければだめなんです。チェックということは事実を取材する、どんなことがあったかを掘り出してくるということ。

「機体の性能に不備はなかった、だから安全」というのもおかしい。動かすのは人間なんだし、人間はミスを起こす。不可抗力的に起きるミスとか、ある特定の条件ではミスが起きやすいとか、ミスにはいろんなタイプがある。だから機体だけを調べたってだめ、ということは論理的に考えれば分かる話。だからメディアは、政府にそういう論理に応える調査をさせないといけない。じゃないと沖縄が納得するわけがないじゃないですか。

――それができていない?


橋場義之氏: そういう取材をして、それを政府に突きつけるような記事はどこを見てもない。そういうのが、今のジャーナリズムの弱いところ。あまり僕も偉そうなことは言えないけれど、記者としてはそんなに優秀じゃなかったからね(笑)。

TPPもそう。あれも交渉参加に反対か賛成か極端に分かれているでしょ。でもTPPって日本以外で今どういう調整をやっているのか全然分からないでしょ? だから、入るのと入らないのとどう違うのかもよく分からない。関税100%撤廃が原則と言っているけれど例外はないの? とか、日本が入る前に既にもう何年もTPPをやってきた国々の中で原則100%は徹底しているかといえば、そんなことないですよ。原則じゃないものがいっぱいあります。その例外を作らせるのが交渉なんじゃないの?

――そういった現状も見えないし、見せようとしてくれないと。




橋場義之氏: 交渉は妥協を探ることでもあるから、0か100か、あるいはプラスかマイナスかではない。間(あいだ)を探るわけですから。その間を探るには、今までのTPPの歴史ではどういう妥協があり得たのかも参考になる。米国が「そんなものはあり得ない」なんて言っても、交渉だから最初に強く言うのは当たり前。目に見える今の情報だけではなく、例えば過去はどうだったか、そういう歴史的な視点でほかと比較してみるとか、ジャーナリズムはそういう情報をいっぱい提供しなくてはいけない。それができていない。

政府提供の情報におんぶにだっこして、提供されてくるものを右から左へ移す「発表ジャーナリズム」ではだめですよ。これで十分かどうかをまずチェックしてみる。それをトータルで見た上で、自分のスタンスを決めて評価してみんなに伝えることをもっと意識しないとだめだと思う。

著書一覧『 橋場義之

この著者のタグ: 『大学教授』 『コミュニケーション』 『インターネット』 『新聞』 『メディア』 『ジャーナリズム』 『ニュース』 『独自』

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