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井上寿一

Profile

1956年、東京都生まれ。 一橋大学社会学部卒業、同大学院法学研究科修士課程修了、同博士課程単位取得退学。法学博士。一橋大学法学部助手、学習院大学法学部教授等を経て、現在に至る。専門は近現代日本政治外交史。 著書『危機のなかの協調外交』(山川出版社)で第25回吉田茂賞を受賞した。 そのほか、近著に『第一次世界大戦と日本』『戦前昭和の国家構想』(講談社)、『理想だらけの戦時下日本』(筑摩書房)、『政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか』(中央公論新社)などがある。

Book Information

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過去とのつながりを紐解いて



学習院大学学長を務める井上寿一さん。昭和戦前期の日本外交を一次史料に即して実証研究し、その成果は様々な著作で読むことが出来ます。「人ひとりの人生の中では全部経験できないようなことが、歴史の中には凝縮されている」と語る井上先生に、ゼミの様子、歩み、執筆にかける想い、今後の展望などを伺ってきました。

学びの場を活性化する


――今年から、学長を務められています。


井上寿一氏: 大学行政を通じて、人を育てるという環境づくりに携わることが出来るのは、新たな取り組みもあり大変ですが、なかなかやりがいがあるものです。大学の場合、ゼミでもそうですが、学生と一緒になって自分も成長するという部分があるので、日々面白いですね。私は政治学科で教えていますが、大教室での講義も、ゼミのような少人数のクラスでもそれは同じです。

――先生のゼミはどんな感じですか。


井上寿一氏: 私は、「バザール型のゼミ」をしています。あるテーマについて、学生が意見を短いレポートに毎週まとめます。私がその中から、視点が異なる学生を4人選び、各チームに分散させます。この中で、グループ討論するわけですね。最初の4人は、固定席ですが残りのチームの人間は、4回入れ替わります。そうすると、入れ替わった学生も質問を変えますが、この固定席の4人も、色々な人から質疑応答を受けて自分の考えを修正したりします。

それが全部終わったあと、ホワイトボードに向かって、特に印象的だった言葉とか自分にとってどれが説得的であったのかというのを書いて、議論のまとめに変えるというような事をやっています。二学期は、それを元にして関連する施設の見学やインタビューをさせてもらったりしています。

――「バザール型のゼミ」とは、意見を持ち寄るということなのですね。


井上寿一氏: 全体の中で発表者に「質問しなさい」と言っても、なかなかやりづらい。少人数の中でやれば、自由で思いがけないユニークな発想が出てきたり……私自身もこういった所から学んでいきます。私も最初のうちは、コの字型の席に学生を座らせ「意見を述べよ」という伝統的な手法をとっていましたが、全く活性化しなかったのです。そこで、自分が学生の立場であれば……と考えたのです。

コメントも一人一人に残しています。「よくできました」という反応があるとやっぱり嬉しいですし、そうやって教える側も学生も、お互いが情熱をぶつけ合えるようにできれば良いと思っています。総じて今の大学生は凄く真面目で。きちんと生活しているし、礼儀正しいと感じますよ。学生の方が私たち大人を見て、「ああなっちゃいけない」と思っているのかもしれませんけど(笑)。むしろ期待しています。



マンガとプラモデルに熱中した少年時代


――学生から、熱気を感じるのですね。先生はどうでしたか。


井上寿一氏: 話はさかのぼりますが、私が小学生の頃は、勉強が嫌いでマンガばかり読んでいました(笑)。『少年サンデー』と『少年マガジン』を、発売日が1日でも早い本屋さんを調べて、いち早く読むことに夢中でしたね。『少年キング』も読んでいました。両親は仕事で忙しく何も言われませんでしたが、通信簿は5段階評価でほとんど「3」。図工だけ「5」で、この成績では中学にいけないかもしれないと思い込むようになっていました。

――「中学に行けない」というのは私立に、ということですか。


井上寿一氏: いえ、義務教育のシステムが分かっていなかったのです(笑)。中学受験をする人を見て「中学って入試があるんだ、試験を受けないと進めないんだ」と真剣に悩んでいました。幸い、試験などないことがわかりホッとしましたが、その時の危機感で、「中学に入ったらマンガはやめよう、プラモデルはやめよう」と決心しました(笑)。

小学校最後の年に、「生涯で作る最後のプラモデルなのだ」と自分に言い聞かせ、親にもそうねだり、『ランボルギーニ・カウンタック』というスーパーカーを買ってもらいました。細かくて部品点数が多くて作るのは大変でしたが、最後なので自分にとっては高価なものを、と思ったのです(笑)。

――マンガとプラモデルに決別したあとは……。


井上寿一氏: 中学に入り、小学生の頃勉強していなかった僕が、唯一みんなと同じスタートラインにたてた科目が、英語。成績が良くなり「豚もおだてりゃ木に登る」のような気になって、他の成績も上がってきました。戸山高校に進みましたが、生徒の自主性を極端に重んじた学校で、入学式も卒業式も生徒主体。高校3年時には夏休みを全部つぶして、秋の文化祭に向けて燃えていました。文化祭は、1年の時は展示で、2年の時は演劇、3年の時は8mm映画。文化祭の前は、準備のために学校に泊まり込んだりしていました。

自由闊達な雰囲気の中で


――大学生のような自由を、一足先に謳歌しているように感じます。


井上寿一氏: 色々なことをやっていましたね。文芸部のようなサークルで、小説も書いていました。『学生公論』という雑誌の編集もしていたのですが、原稿が予定通り集まらず「お前何か書いていいよ」と言われ、思いつきで適当に小説を書いていました。ジョルジュ・スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」という絵があるのですが、その中に自分が入って行くという話です。自分にとって何か哲学的なことを投影するというか、ある種のティーンエイジャーの青春の孤独のような感じを書こうとしたのだと思います。

――のちに社会学部に進む片鱗がうかがえます。


井上寿一氏: 小説も人の心を扱いますが、1人の人間の内面だけではなくて、社会とのつながりの中で人間を考えるという方向に興味があったのかもしれません。社会心理学を学びました。
もうお亡くなりになっていますが、細谷千博先生という法学部で国際関係論をやっていた方が恩師です。一橋大学は規模の小さい大学なので、他の学部の授業も簡単に受けられましたし、他学部の科目を1つは受講しないと卒業できませんでした。社会学部の人間だと、商・経・法から最低1科目です。僕は商学部の銀行論など、それぞれとりました。中でも細谷千博先生の日本外交史と国際関係論はなかなか性に合って、法学部のゼミにも混ぜてもらえて面白かったですね。

――そのまま院に進もうと思われたのですか。


井上寿一氏: 当初は、大学院に行く気があまりありませんでした。他の学生と同じように、普通に会社訪問をしていました。銀行に訪問した際、卒論の話になり夢中で語っているうちに、「君、大学院に行ったほうがいいんじゃないの」と言われました。そういう「お断り」を真に受けて「そうかも知れない」と大学院へ進むことを決めました(笑)。

ただ大学院へ進んでからも、まだ将来の道は明確に決めていませんでした。修士課程のとき、中国の渤海で石油を掘る会社で、日中石油開発という半官半民の会社から、「来ないか」と直接求人がきたのです。渤海の石油採掘ステーションを1つ任される仕事でしたが、自分には向かないと消去法で博士課程に進みました。

将来の手がかりとしての歴史書


――その成果は最初、学位論文を公刊した著書『危機のなかの協調外交』として出版されました。


井上寿一氏: 学位論文のままだと内輪の人間にしか読まれないので、なんらかの形で公にしたいと思っていました。おかげさまで賞も頂き、初めて社会に認知されたと感じました。この本のタイトルは編集者が考えてくれたものですが、全体の内容をピタリと言い当てているものでした。

「ここは足りないのでは」、「ここは削った方がいい」、「ここはもう少し分かりやすい言葉で」、といったアドバイスを受けながら書いたのですが、そういう編集者のアドバイスがなければ、本というのはできないと思います。大学のテキストである『日本外交史講義』(岩波書店)という本も、編集者と一緒に作りました。

基本、大学で使用される教科書というのは全然面白くないと不評ですが、アメリカの大学で使われる経済学の教科書は、事例が面白くベストセラーになっています。『日本外交史講義』もそうした想いのもと、編集者とのやり取りの中で作られていきました。

――どんな想いで書かれていますか。


井上寿一氏: 私は基本的に歴史書を書きますが、どういう風に読まれるのかを考えて書いてます。過去とのつながりの中で自分の存在を確認しつつ、将来どうしたらいいのか。そういう観点で、戦前昭和の人たちの生きざまを考えると、例えば戦前が単純に戦争とファシズムで、戦後が平和と民主主義ではないのです。戦前にも、好き好んで戦争になったわけではなくて、平和を求めていて戦争になったり、希望を持ちながらも絶望という状況になったりもするわけです。そういう人ひとり人生の中では全部経験できないようなことが、歴史の中には凝縮されています。

編集者からも「今生きている読者が2014年に戦前昭和を読むことの意味をきちんと書いてもらわないと困る」と再三言われています。読者は、それを追体験する中で将来の手がかりが得られる……だから、研究者が歴史研究として書くというよりは、今を生きている人にとって手がかりになるようなものを書きたいと心がけています。また読みやすいように文体も心がけながら書いています。

スティーブン・キングがくれた文体のヒント


――井上先生の本は、「歯切れの良さ」を感じます。


井上寿一氏: 私が学んだのはスティーブン・キングの『小説作法』です。文庫本にもなっていますが、原著のほかに単行本と文庫はそれぞれ別の人の翻訳なのです。私にとってバイブル的存在で、三つをいつも読み比べていますが、池央耿さんの翻訳から強い影響を受けました。家に2冊、大学にも2冊おいていて、海外出張の際も、持っていくことにしています。

――どんなきっかけで、『小説作法』を手に取られたのですか。


井上寿一氏: ある時から、独りよがりではなく読者に届く文章を工夫したいと思い始めました。それで、その手の本を色々読んだ中に、野口悠紀雄さんの『「超」文章法』という本があって、巻末の参考文献リストの最初に、スティーブン・キングの『小説作法』と書いてありました。スティーブン・キングについてはホラー小説の人というくらいしか知らなくて、文章作法とは関係のない人だと思っていました。ですが、「これほど有益な示唆を詰め込んだ文章を見たことがない、読むだけで文体が大きく変わる」と書いてありました。それが凄く気になって読んだら、その通り。驚きました。

私は『小説作法』から、文章を書く3ヶ条を作りました。一つ目は、「文章は能動態で書け。」二つ目は、「長い文章は二つに分けろ。」電報のような細切れの文章にする努力をしています。三つ目は「副詞はできるだけ削れ。」‘驚くべきことに’のような副詞は文章を弱めると書いてあります。行き詰まった時は、常にこの基本に立ち返っています。またスティーブン・キングは、毎日決まった時間、規則正しい生活の中で作品を書いています。

――規則的な生活からクリエイティブなものが生まれているのですね。


井上寿一氏: 私も彼にあやかるために執筆のスタイルを真似しようと想い、原稿は朝食前くらいまで書いていますが、なかなか本のようには実行できません(笑)。それでも、以前に比べてだいぶ書けるようになりました。毎日一定の枚数はかないませんが、コンスタントに著作も書くことが出来るようになりました。

昭和の全体史をまとめる



井上寿一氏: このほど「昭和天皇実録」が、各新聞社より発表されました。全61巻もあるので、普通に紙で読んでいたら大変なことになりますが、資料的なものの電子化は本当に助かりますね。検索ができるので、調べたいキーワードを入れると、だいたい目星がついて短時間に読めます。だから、1次資料的なものは電子化されていると、凄くありがたいと思います。

――研究や執筆の上でも、大いに役立つものになりそうですね。


井上寿一氏: はい。今、書きたいテーマも「昭和」です。単に年号だけで限られた昭和というだけではなく、ある種の群像劇のような形で、天皇陛下から無名の庶民に至るまで、政治や外交、経済や文化そして社会も全部含めた昭和の全体史を書きたいと思っています。単に年表上で昭和が1926年から1989年まで続いたということだけではない、世界と同時進行的なひとまとまりの時代を含めた全体史を書きたいと思っています。その前提作業として、戦後70年を来年まとめ、それをさらに戦前とあわせて全体像となるものを、数年以内に書きたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 井上寿一

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