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世界中の本好きのために

小浜逸郎

Profile

1947年、神奈川県生まれ。横浜国立大学工学部建築学科卒業。大学卒業後、母親が副収入のために経営していた塾を、兄とともに一家3人で経営するかたわら、同人誌『ておりあ』を主宰、評論活動を続ける。家族論、学校論、ジェンダー論を世に問い、著書などにおいては「批評家」の肩書きを用いることが多い。2008年から2012年度まで、横浜市教育委員を務めた。また、2001年から、知識人を講師として招く連続講座「人間学アカデミー」を主宰している。近著に『日本の七大思想家』(幻冬舎)、『生きることを考えるための24問』(洋泉社)、『人はひとりで生きていけるか』『新訳・歎異抄』(PHP研究所)など。

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文化は二層構造を持つ。紙だけ、電子だけでは成り立たない。



小浜逸郎さんは日本の評論家・日本を代表する論客として著名です。常に市民の目線で語る著作をあらわしています。また教える立場としても、教授として教壇に立ち、新しい世代の学生を啓発し続けています。そんな小浜さんに、本とのかかわり、本と電子はどうなっていくのかなど、ご意見を伺いました。

3つのテーマでブログを更新する


――早速ですが、近況を伺えますか?


小浜逸郎氏: 最近は、時代の流れに逆らえずブログを始めました。大きな3つのテーマに沿って書いています。1つは言語論で、これは前から書きためていたものを少しずつ小出しにしています。もう1つは倫理学ですが、少し硬いネタです。もう1つは、日々の生活の中で感じたことや政治経済関係のものを書いています。私の友人に美津島明さんという人がいるのですが、彼のやっているブログが非常に生き生きとして守備範囲も多岐にわたっています。そこにちょっと割り込んで投稿させてもらっています。

――今、ご興味があるテーマは政治経済寄りなのですか?


小浜逸郎氏: そちらの方へ軸足が来ています。でも、「どう生きていくか」ということも私にとっては大切ですので、そちらも残しておこうと思っています。

大陸から引き揚げ、横浜に移り住んだ


――幼少期と、読書体験についてお伺いできますか?


小浜逸郎氏: 私は横浜の野毛山動物園の近くで生まれ育ちました。大陸から引き揚げてきて、家は当時かなり貧しく、父の妹の隣家が空いていたのでそこに入らせてもらった。動物園がすぐ近くですから、幼いころから夕方になるとライオンの咆える声がよく聞こえました。幼いころはすごく体が弱くて、栄養失調で死にかけたこともあったようですが、小学生の時は元気で、友達と遊びまわっていました。もともと怠け者で勉強は嫌いで、当時は活字が面倒臭かったから、中学生、高校生の時にはあまり読書をしていません。勉強のほうは、中学校ではけっこう燃えていたようで、成績もそこそこ良かったです。

――横浜国立大学の付属中学に進まれたのですね。


小浜逸郎氏: はい。先生にも恵まれて、数学や理科がずっと好きでした。

――ご両親は教育熱心だったのですか?


小浜逸郎氏: 父は旧帝大を出ていますが、商社マンになって大陸へ行って、ぼろぼろになって引き揚げてきました。敗戦後のどさくさの中で良い就職先が得られなくて、私が14歳になったころ、がんでなくなりました。母はそこそこ教育熱心でしたが、父はまったく関心がありませんでしたね。その後、母が始めていた小さな私塾を続けて生計を立てまして、私が高校1年の時くらいには、大学生の兄と手伝って中学2年生を教えるなど、3人で力を合わせて家族経営をやったのです。授業料の回収から手書きのポスター作りまでやりました。

高校生のころから表現したいという欲求が芽生えた


――表現する、書くという面では同人誌『ておりあ』を主催されていましたね。


小浜逸郎氏: 言葉で表現していきたいという気持ちは、高校生くらいから芽生えてきました。母がちょっとした文学少女だったので、その影響があると思います。大学は工学系で建築科だったのですが、京都駅を作った原広司さんという建築家のところを訪ねていった時に「君は建築にいかれたことはないのか」と聞かれたんです。それで、「ありません」と答えたら、「だったら辞めた方がいいよ」と言われました。

――辛らつですね。


小浜逸郎氏: フランクに話している流れの中で、彼が言った言葉が心に残りました。そのうちに学園紛争が真っただ中に入って、それからどうやって生きていこうかと1、2年ぼんやりしていました。実家で塾講師をしているから、食べるのには困らなかったのですが、しばらく勉強しようかと、本気で本を読みました。

吉本隆明さんに認められて、『試行』に採用される



小浜逸郎氏: それからは塾をしながら同人雑誌に参加するという状態が続いて、81年に『太宰治の場所』という本を出しました。当時34歳くらいです。太宰治論を書いたのはそれよりも何年か前です。『群像』の評論部門に投稿したら、佳作になりました。文芸批評を本当はやりたかったのですが、私は気が散りやすい性質で、集中ができなくていろんなことを書いていました。当時は聖書にも関心があり、太宰治の次は旧約聖書のヨブ記についても書きました。その2つを吉本隆明さんが認めてくださって、『試行』という雑誌に掲載された。
その当時、80年代の初めくらいから学校での問題が社会現象化してきました。校内暴力、いじめ、校則の異常な細かさ、不登校といった現象が非常に目立ってきた。自分が塾をやっている関係で少し距離を置いた場所から生徒たちを見ていて、なんとなく見えるところがあったので、当時の教育評論に対して違和感を持ってきていました。少し乱暴な言い方をすれば、どれもこれもだめだと。

――それで85年の『学校の現象学のために』を書かれたのですね。


小浜逸郎氏: 私としてはラッキーなポジジョンにいたと思います。例えば教育学者になって、どこかの大学の教員に籍を置くと、きれいごとの議論に終わりがちですし、現場の教師をやっていたらとても忙しくて書くどころではない。本当は「マスメディアなんか勝手なこと言いやがって」という不満も先生方にはあるのだろうけれども、なかなか意見がまとまらないのでしょう。

書きながら手と頭の間で考える


――いろいろなことに興味を持たれて、ジェンダー論などを深く掘り下げていかれる訳ですが、執筆のために日々感じたことはメモなどされていたのでしょうか?


小浜逸郎氏: メモを取ったりしますが、日記はつけていません。私はまず、「人がこういうことをこういう風に言った」ということが気になって、放っておけなくなる。気になってしょうがないから妄想がそこから膨らむ。そういう経路があります。

――実際に執筆されている時は、どのように書いていきますか?


小浜逸郎氏: いろいろなケースがありますが、編集の方にテーマを提案されることが多いです。出すまでに時間が多少かかりますが、書き出すとそんなに遅くない。無名のころは、自分なりのノートを懸命に書いていた時期があります。特に、夢に興味があって、自分の見た夢を全部記録して、自分でフロイトのように解釈するということをやっていました。書くテーマについてはなんとなくという感じがあって、手を動かして書いてみないとわからない。手と頭の間で考えるという感じです。

――書くという作業を通して考えるんですね。


小浜逸郎氏: 書き出すまでの期間も長いと言いましたが、緻密に構想などを立てている訳ではありません。「書くためにはこれを読もう」、「これを勉強しよう」という最低限の線はありますが、あまり深く勉強すると知識に振り回されていつまで経っても書けなくなるから、「えいや」と書き始めるのが私のやり方です。書いている中で必要があれば再度資料にあたります。



編集者は執筆に欠かせない存在


――小浜さんが執筆において大事にしていることはございますか?


小浜逸郎氏: まず締め切りを守ることです。そして、テーマによって「誰が読んでくれるか」ということを考える。書き手にはわからない部分が多いので、その時にサポートしてくれるのが編集者です。編集者と話しているうちに、「読者は恐らくこういうことを望んでいるのだろう」ということがわかる。だから、編集者がいないと本を書くことができない。

――小浜さんにとって編集者としてあるべき像はどんなものだとお考えですか?


小浜逸郎氏: 1つは最後まできちんと付き合ってくれること。書いたものに対してきちんと意見を言ってくれて、「ここはこうした方が良いですよ」や「削った方が良いですよ」なども言ってほしいです。少し前に担当してくれた編集の方は、とてもよく伴走してくれました。「ちょっと書き過ぎだからこれくらいで削ってほしい」と、800枚以上書いた原稿を100枚くらい削ったこともあります。最初はせっかく書いたのにと思うのですが、出来上がってみると、絶対その方が良い。映画の完全版というのがありますが、あれはあまり面白くない。映画も編集ですから。それと本作りは何か似ています。

――編集作業をする人がいないと映画も本もできないと。


小浜逸郎氏: 編集者は書き手と読者の中間にいますからね。

電子化は時代の必然の流れ


――今日は電子書籍のお話もさせていただければと思います。電子書籍というものが登場しましたが、書き手としての思いを伺えますか?


小浜逸郎氏: 電子書籍は利用していないのですが、単に習慣の問題だと思います。私は、本を読む時書き込んだり線を引っぱったりする。今の電子書籍がそこまで対応しているのかと言うと、使っていないのでよくわからない。私の世代ですと、やはり紙の親しみや手触りが好きです。でも引っ越しで困るのは紙の本の処理です。捨てたくないし、ましてや売りたくない。

――読者が小浜さんの書籍を電子書籍化して読むことに関してはいかがでしょうか?


小浜逸郎氏: それは時代の流れで当然だと思います。私の本もちょくちょく電子契約の話は来ますが、日本の場合は出版事情が厳しいらしく、アメリカのようには普及しにくいと聞きます。発信していく側からしますと、ブログやネット社会がこれだけ一般化すると、ブログなどを通して発信していかざるをえないので、私も遅ればせながらブログを始めた。一方、出版社の方たちもその流れに何とかついていこうという風に少し焦っているようですが、そんなに動きが速くない感じがします。
紙と電子というのは、ある種の役割分担だと思います。今、世界は情報の洪水で交錯していて、何がより高い価値であるかということがわからなくなっている。その中でいろいろなものが淘汰されていって残る。それがやはり本だろうと私は思っています。

――電子書籍の未来については、どう思われますか?


小浜逸郎氏: 若い方と言っても、40代、30代、20代でまた全然違うのでしょうけれど、中堅の方で活躍している人たちを見ると、この時代のスピード感が好きじゃなくても、ついていかないといけないと考えているようですね。でも、どこかでゆっくり考える時間を欲しがっている。それは年を取っていても、若くてもあまり変わらないと思います。
私の期待なのですが、ただ流れに流されるということではなく、リズム、テンポの違った時間帯を確保していくことが大事だと思います。本にアナログ的に書き込んだり、あらぬ方に連想を膨らませたり、そういうことが大事だと思っています。表層部分と深層部分という言い方もありますが、その二重構造がちゃんとキープされていくことが、文化のあるべき姿です。

――どちらか一方だと育たないのですね。


心のあり方を若者も大切にしている



小浜逸郎氏: 多分、若い人たちもわかっていると思います。この間23歳で直木賞を受賞した朝井リョウさんの『何者』を読んだのですが、若者ながらに心のあり方を大切にするということが文章にちゃんと表れています。

――ITの便利さは駆使しつつも、向き合うべきところはゆっくりなテンポでということですね。


小浜逸郎氏: 文学ですからそういうところをきちんと掘り下げていこうという風になっています。

――電子書籍が台頭する出版界においても出版社の役割、仕事はどう変わっていくでしょうか?


小浜逸郎氏: 新しい流れに背を向けたらだめですし、どっぷり浸かってもだめ。バランスだと思います。「うちの社はこうしたものを出していきたいんだ」という意志や、個々の編集者が「私はこういう本を出したい」というポリシーをきちんと持つことが大事だと思います。それが優れた編集者とそうでもない編集者と分けていくポイントではないかと。昔は出版社のカラーがはっきりしていました。今はそういうメリハリがなくなってきていますね。

本の購入はAmazon。読書会5つに所属する日々


――最近経済の本も読まれるとおっしゃいましたけれど、本はどちらで買われますか?


小浜逸郎氏: もっぱらネットです。私の場合、親しい仲間と読書会をしています。仲間うちの口コミで「これは面白いよ」と情報をやり取りしていて、それが大きいです。

――一種のサロンのような感じですか?


小浜逸郎氏: そうですね。私が主催しているのが2つ、ほかに映画を楽しむ会など合計5つくらいやっていて、2週間に1度は回ってくる計算です。

――仕事以外のご趣味はどんなことをされていますか?


小浜逸郎氏: 読書以外で言うと、音楽が好きですし、最近は落語にはまっています。そういうことを楽しむと同時に勉強になるところもあります。人との雑談が好きで、一般の人々と意見交換していると、知識人て非常識なこと言うなあと感じることも多々あります。

――だからこそ、「生活人としての感覚」からの視点も生まれて来るのでしょうか?


小浜逸郎氏: もし私の書いたものにそれが反映しているとすれば、その影響が大きいと思います。もう骨肉になっていますから、それはよく自分ではわからない。

――執筆や活動のポリシーについて、お聞かせいただけますか?


小浜逸郎氏: 1つはあまり露出しないようにするということです。テレビというのは身体像的にとらえられて、あまり発言を聞いてもらえない。かといってこもりすぎもだめだと思います。

これからは日本語で「哲学」したい


――これからの展望をお伺いできますか?


小浜逸郎氏: 今やっている倫理学関係と言語論の問題をできるところまでやります。特に言語論に関しては日本語を少し勉強したい。日本語というのは欧米と文法の構造がかなり違います。日本語の言い回しの中でも、流通しているグローバルな英語では表現できない含みと言うか、日本人の国民性を表現したものがある。これは文学では多分表現されていると思いますが、もう少しその抽象レベルを上げて日本語で哲学をしていきたい。これはすごく難しいことです。自分で「こんなことできるかな」と考えているのですが、日本語で哲学することに残り時間を使いたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 小浜逸郎

この著者のタグ: 『大学教授』 『哲学』 『考え方』 『評論家』 『日本語』 『書き方』 『建築』 『テーマ』

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