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世界中の本好きのために

西出ひろ子

Profile

大妻女子大学文学部国文学科卒業。国会議員・政治経済ジャーナリストの秘書等を経てビジネスマナー講師として独立。 実体験に基づいたマナー研修や、お客様の心理を知り尽くした接客・電話応対や来客応対研修等のビジネスマナー研修を行う。 その活動はテレビや雑誌などでも紹介され、NHK大河ドラマや映画、書籍等でのマナー指導・監修なども行う。 作家としての執筆活動も行っており、近著に『できる大人の気くばりのルール』(KADOKAWA/中経出版)、『究極の「お客様満足」を実現する プロフェッショナル接客・接遇マナー』(日本実業出版社)、『マンガでわかる!社会人一年生のビジネスマナー』(ダイヤモンド社)などがある。

Book Information

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マナーとは、相手への思いやりを表現すること



企業・病院研修やビジネスマナー、マナーコンサルティング、マナー講師養成、マナーライフなどを行うHIROKO ROSE株式会社の代表取締役も務められる西出ひろ子先生。マナーコンサルタント、マナー講師として幅広くご活躍され、書籍の執筆の他、メディア出演も多く、また映画「るろうに剣心」のマナー指導などもされています。「マナー」とは何か、この仕事を志すようになったきっかけ、渡英のこと、なぜ笑顔を絶やさないのか、西出さんの人生に迫って伺ってきました。

マナーの心は、世界に通じる


――9月に新刊『できる大人の気くばりのルール』が発売されましたね。


西出ひろ子氏: 一年半ぶりの新著です。普段は企業に対するマナー全般のコンサルティングをしていて、店舗の空間作りから、マナーに則した制服作りなど、マナーを軸に活動しています。私の考えるマナーというのは、「相手の立場に立つこと」制服作りも相手の立場に立った時に、どこにポケットをつければいいか、色も重要です。

十人十色という言葉があるとおり、10の色があれば10の人がいる。その人=色なんです。同じ紺色でも微妙な違いがありますよね。それは人にも言えることで、それぞれ微妙な違いがある。講師として、マナーを伝える人として、そういった微妙な違いをきちんと見る、見抜けること。そのためにも色はとても大切なのです。

――色に着目するようになったのは。


西出ひろ子氏: 生徒さんから「どんな色のメイクをすれば良いか」とか「どんな色のリクルートスーツを着ていけばいいのか」という質問をされるようになった時に、「いい加減なことを言っちゃいけないな」と思って、28歳の頃から、色について勉強しはじめました。いざ色の勉強を始めると、本当に奥深いということがわかりました。それが、私の今のマナーの考え方にも通じています。

――西出さんのマナーを軸にした活動は日本だけではなく、世界でも広がっていますね。


西出ひろ子氏: マナーの心は世界共通なのです。例えば挨拶をする時、日本ではおじぎを、海外では握手をすることが多いなど、マナーの型や所作は国によって違いますが、なぜ「挨拶」をするかというその心、気持ちは世界共通、というのが私の考え方なのです。海外でお仕事をする時には、とにかく「心の部分はみんな一緒だよ」というところからスタートするので、ありがたいことに、受け入れてもらいやすいのです。



――西出さんのマナーに対する哲学は、どのように醸成されたのでしょうか。


西出ひろ子氏: 渡英経験でマナーについて考えさせられた事が大きなきっかけです。一番関心をもったのは、考え方。男女などの区分けではなく、とにかくみんな「人」だということ。自分と人、自分と動物、自分と自然、という感じ。男だからとか女だからとか、そういった考え方ではありません。

知らない男女が家をシェアして住むというのは、イギリスではよくあるのですが、そこで必要になってくるのは、「人としてきちんと相手と向き合う」ということ。とても勉強になりましたし、それまでの自分が変わったなと感じました。イギリスでの経験は今の仕事の出発点とも言えます。

父との約束を守って、東京へ


――自分が変わった、というのは。


西出ひろ子氏: 実は、どちらかというと人に向き合うどころか、結構暗い子だったんです。5つ離れた弟ができてからは、しっかりしなくちゃという気持ちになりましたし、小学校3年生の時に学級委員をさせられたことで豹変したんです(笑)。何か責任感のようなものが芽生えたのかもしれません。それ以来、強さが出てきて、中学生の時は、いじめっ子に詰め寄って謝らせたりしたこともありましたね(笑)。

――責任感が、西出さんの芯をつくっていったのですね。


西出ひろ子氏: 中学校の時はテニス部のキャプテンだったのですが、成績も学年で3位以内に入っていました。目立ってしまったのか2年生の時にひどいいじめにあったりもして、中学校では色々ありましたね。

――教育熱心だったのですね。


西出ひろ子氏: 3歳からピアノを習っていて、小さい頃の夢はピアノの先生だったほどなので、本当は音楽の高校へ行きたかったのですが、「音楽では将来、食べていけない」と親から反対されて、普通の高校へ行くことになったんです。反抗心から高校では勉強しなくなったのです。厳しい側面もある親でしたが、意外な事に「大学の4年間だけは日本の政治・経済・文化の中心である東京で生活をして、色々な物を見て触れて戻ってこい」という父の考えもあって、東京の大学へ進みました。当時、『源氏物語』が好きで、光源氏も好きだったので、国文学科へ進みました。

突然の両親の離婚。就職難民に


――マナーの世界を志すようになったのは。


西出ひろ子氏: 大学の4年間は、ということはつまり4年間だけで、卒業後は戻ってこいという事でした。ですので、正直に申し上げますと「戻ったら親の縁故で就職をして、誰かと普通に結婚して、普通の奥さんになるのかな」と、そんな世界を漠然と考えていました。

ところが大学4年生になった時、親から「その話はもうなくなったから。お父さんとお母さんは離婚するから、帰ってきても住む家がないし、就職はそっちで見つけて」と突然言われたのです。実家の方で決まっていた縁故採用の話も白紙になり、突然放り出された事で何をしていいか本当にわからなくなりました。

――思い描いていた世界から急展開を余儀なくされたんですね。


西出ひろ子氏: とにかく学生課に行き、どうすればいいかと聞いたんです。そうしたら、大学が主催する面接指導という特別講座があることがわかり、まずはそこに行ってみることにしました。

そしてそこに来た女性の先生に、「一目惚れ」をしたのです。その先生は本当に美しかった。容姿端麗で姿勢も良く、優しい。話を伺うと、53歳とおっしゃっていました。当時の私からすれば、50代というと、おばさんというイメージだったのですが、その先生はそうではありませんでした。「私もこの仕事に就けば、こんなに素敵な50代になれるんだ」と思ったんです。先生が女神のように見えました(笑)。

――ようやく目指す道が決まり一安心ですね。


西出ひろ子氏: それが全然(笑)。マナー講師の多くは客室乗務員としてつとめられていた方がほとんどで、先生も、元JALでした。それで航空会社を受けたのですが、全部落ちました。私は就職難民になり、みんなが卒業旅行に行っている時に、とらばーゆと履歴書を片手に持って、毎日歩き回って活動しました。当時はバブル絶頂期だったので、周囲は大手企業などの良い所にどんどん就職が決まっているのに、私だけが決まっていませんでした。そんな中、ありがたいことに私を拾ってくれる企業もあったのですが、「普通の企業に行っても、マナーの先生になれるかわからない」と、生意気にも思っていました。スチュワーデス学校にも通っていて、その時の校長先生が「あなたは国会議員の秘書として生きていきなさい」と言って、仕事を紹介してくださったのです。

――国会議員秘書という仕事はいかがでしたか。


西出ひろ子氏: 仕事はとてもありがたかったです。秘書と言っても、私は一番下っ端で、先生のお付きのかばん持ちなので、とにかく先生に付きっきりで行動していました。国会議員は休みが1日もないので、私も当然、休みはありませんでした。

その先生は東京の選挙区だったので、選挙の時は都内をずっと回りましたし、日曜日などはお昼からという時もありました。ある夏の日曜日に、友達から海へ誘われたのですが、その日も仕事だったので断りました。その時に初めて、「世間は日曜日で、みんな休日なんだ」と思いました。それが私の社会に出た1年目の思い出です。休みなんてないけれど、お給料はもらえる。それが社会なんだというのが、私の中に植え付けられました。何事も最初が肝心というのも、今、ビジネスマナーを伝える時にも、とても影響していると思います。

父の不幸。好きな人にもフラれて


――その後、独立されます。


西出ひろ子氏: はい、学生時代の急展開から、秘書をはじめ、マナー講師として独立したのは、27歳でした。「独立」といっても、すぐに仕事はなかったので、派遣社員として伊藤忠商事の本社で働いていました。簿記の資格を生かせる場所でしたし、自分がマナー講師として企業に行く時のために、大企業という場所がどんな場所で、どんな仕事の仕方をしているのかを見る必要があると考えたのです。

講師は無理でも、派遣だったら受け入れてもらえるかなと、大企業に行けるような派遣会社を選びました。振り返ると、いつも行動力だけで進んでいたのかもしれません(笑)。本にもいつも書いていますが、マイナスなことが起きたら、それを必ずプラスに変えようと常に考えています。

――派遣の仕事は、どのくらい続けられたのでしょうか。


西出ひろ子氏: 派遣の時代は2年間ありまして、29歳の時に完全に独立を果たしました。そうしたら29歳の時に、父が自ら命を絶ちました。悲しむまもなく、29、30歳で父の持つ会社の後始末など、色々なことを経験しました。そして、追い打ちをかけるように、31歳の2月14日に好意を抱いていた人にフラれて、「もう日本にいるのはいやだ!」と、イギリスへ行くことを決めました。その行動力は、自分でも驚きました(笑)。帰ってくる家もなく、全てをなくして、1ヶ月半後の3月30日にはイギリスに発ちました。

――マイナスの連続を、プラスに変えるために……(涙)。イギリスを選んだ理由は。


西出ひろ子氏: アメリカのボストンとイギリスのオックスフォードがふと頭に浮かんだんです。落ち着いていて浮ついていない、煌びやかではないという感じが、当時の私の心理が求めていたのかもしれませんね。どっちに行こうかと選択する時、マナーといえばイギリスだと思ったので(笑)、オックスフォードに決めました。私の英語力は中学生レベルだったのですが、先のことは何も考えず、とにかくもう押し出されるかのように、とりあえず行こうと。

常に相手の立場に立つ姿勢


――イギリスでは、どのように過ごされていたのですか。


西出ひろ子氏: 語学学校には行っていました。最初はホームステイをしていたので、久しぶりに、お父さんとお母さんがいるという場所に身を置きました。「こういう環境は久しぶりだな」と思いましたし、朝、目覚まし時計ではなく鳥のさえずりで起きるという日々で、すごく心も落ち着きました。私はイギリスではマナーの学校などに行きませんでした。マナーが、イギリスの生活のあらゆるところにありましたね。

父と母が離婚する時、2人はお互いに自分の立場でしかものを言っていませんでした。その姿を見た時に、なんて醜いんだろうと思ったのです。では美しさとはなんなのかと考えた時に、相手の立場に立てる、相手の気持ちを理解しようとするその姿勢、そういう気持ちの美しさになっていくのではないか、ということを、21歳の時からずっと考えながら生きています。

――常に相手の立場に立つというというのは、難しいことですね。


西出ひろ子氏: けれども、私が過ごしたイギリスでは、もちろん例外はあるでしょうけれど、随所にその精神が見受けられました。バスに乗るために並んでいる時、知らない人同士でも、普通にgood morning と挨拶をし、運転手さんにも必ず挨拶を言って乗ります。降りる時にはThank you と言ってみんなが降りていきます。そうするとバスの運転手さんもThank you と返してくれる。これが本当のマナーだということを体感して、これを日本に伝えなきゃと、強く思いました。

日本の当時のマナーとは、「こういう時にはこうしなさい」という、堅苦しい礼儀作法になっていました。でも本来のマナーというのは、型重視ではなくて、気持ちを形で表現すること。その気持ちというのは何かというと、相手に対する思いやりの気持ちなのです。

いい型をして自分がほめてもらいたいというのは、自分中心です。でも本当のマナーというのは、相手のことを思いやって、相手が喜んでくれることで、自分もうれしくなるというもの。お互いのプラスやハッピーを生み出すもの、そしてスムースに人間関係を成り立たせていくものです。そういったことのためにマナーがあるのです。

私の両親は、自分のことしか考えていないものの言い方をしていたから、スムースな関係が築けずに、お互いがマイナスになってしまった。でもそこで少しでも相手の立場に立って、相手を思いやったものの考え方、言い方ができていれば、離婚後もお互いがハッピーになれたのではないかとさえ私は思うのです。その全て自分の経験からくるものを軸として、現在、マナーを伝えていっているのです。



マナコミ、でお互いに良好な関係を


――ビジネスの中においても、マナーの利点はたくさんありますね。


西出ひろ子氏: お互いに気持ちよく仕事ができるのではないかと思います。マナーのないコミュニケーションは意味がない。私はマナーコミュニケーションという言葉を作って、マナコミと言っています。お互いに良い関係、気持ち良いスムースな関係にするためのコミュニケーションなのに、そこにマナーがなければ気持ちよくなりません。なんのためにコミュニケーションするのか、というように、そういった「なぜ」を明確にすることは大事です。今まで当たり前と思って見過ごされてきたものにも意味があったり、逆に意味がなかったりということが、わかってくるのです。

――本日は余すところ無く西出さんお話を伺っていますが、決して順風満帆とは言えないエピソードにもかかわらず、とても笑顔の印象が強いのですが。


西出ひろ子氏: 人間、どん底に落ちると笑うしかないのです(笑)。例えば、私が若い頃は、周りには親が離婚をする人はあまりいませんでした。だから、当時の私は、「私はこれで結婚ができない、自分にはそういうハンデがある。良く思ってもらうために、いい表情を常にしていないといけない」と、自然と思うようになりました。

もうひとつポジティブな理由として笑う事を心がけるようになったのは、やはりイギリスでの出来事からでした。病院で、ボランティアをさせてもらったのですが、そこには顔の筋肉が全く動かない病気の女の子がいました。当初病気の事を知らなかった私は、彼女と話をしても、全然笑ってくれないから嫌われているんだと思っていました。

心は笑顔なんだけど、病気のせいでそれを表現することができないということを知って、自分が本当に恥ずかしく思いました。世界中に同じような子がたくさんいます。私の顔の筋肉は動くんだから、そういう表情ができない人たちのためにも、私はいつも笑顔でいようと、強く心に刻みました。

――笑顔というのは、人の気持ちを好転させる力がある気がします。


西出ひろ子氏: そうですね。相手が発する表情で、自分の気持ちも変わりますよね。ムッとされていると、「私、何かしたかしら」と思って萎縮したり、自分が良い表情ではなくなってしまったりするので、表情って本当に大事だと思います。これも相手の立場に立つ事の一つだと思います。

読者の幸せへ繋がる本を


――そんな想いは、数々の本に記されています。


西出ひろ子氏: 私は、編集者に限らず、お仕事でご一緒させていただく方は、常に一心同体の関係でないとイヤだという考えがあるので、同じ気持ちで動いてくれる人と仕事をしたいと思っています。想いの共有ができていない事で、過去には本の世界を信じられなくなる事もありました。ところが、4冊目の『完全ビジネスマナー』の担当の方は、私の気持ちを汲んでくれた素晴らしい編集者でした。初鹿野剛さんとの出会いで、「こんな人もいるし、やっぱり本は良いものだ。これからも書いていきたい」と思いました。

――本で伝えたいこととは。


西出ひろ子氏: 読者の方に幸せになってもらいたい、それに尽きます。本が、読んだ人の人生を幸せにできる存在であってほしいと思います。ビジネスマナー系の本であれば、お仕事でみなさんが成功して、そして「成功=幸せ」につなげてほしい。自分自身、幸せになりたいという思いがすごく強かったんです。実は弟も、4年前に父と同じ亡くなり方をしました。同じ親の元で育ちましたが、弟の場合は、マイナスに行ってしまいました。その人のものの考え方で、人生は変わっていくということ。それを身近な家族で体験しているので、同じような環境の方にマイナスにはなってほしくないという思いがとても強いです。

落ち込むような、どん底の経験をしてもいい。若い時はどんどん泣けとみんなによく言っていますが、後々それを、プラスに転じていってほしいですね。その気持ちをいつも本のどこかで伝えようとしています。

――日本を超えて中国でも、出版されています。


西出ひろ子氏: その『一周快楽礼儀』は上海ブックフェアで売り出して、全体の売り上げ3位になり、メディアからの取材がすごかったです。セミナーも3日間連続でさせてもらい、小さなお子様から、お年を召した方まで、幅広いジャンルの方にお越しいただきました。ある学生が、インタビューで、「大学でもマナーの授業があるけれど、型ばっかり。西出さんの言っているマナーはそうではなく、気持ちからのものだったから、理解もしやすく納得ができた」とおっしゃってくれました。「心、気持ちは、どの国の人も同じなんだ」と思いました。しかも中国の方からもそうやっておっしゃっていただけたことは、本当にうれしかったです。今ニュースで中国などを語る時、一方的な見方のものも見受けられますが、そういった決めつけ方、考え方はしないでほしいなと思います。どの国にも様々な考え方や色んな人がいるのですから……。

道しるべになってくれる本を


――西出さんにとって、本とはどのような存在ですか。


西出ひろ子氏: 自分の道しるべというか、どういう方向に生きていけばいいのかということを教えてくれるきっかけとなっています。特に20代での経験と、20代で読んだ本が、その後の人生を作り上げているので、大事に思っています。私は当時からすごく男性的で、『成功の扉』という翻訳本が大好きでした。当時は、独立して成功したいという気持ちがありました。あと、加藤諦三先生の本はほぼ持っていると思います。親のことや、職場での人間関係、恋愛など、悩みがとても多かったので、加藤先生の本は強く心に響きました。私にすごく影響を与えたのは、前原滋子先生の漫画です。『杏&影 結婚日記』などが、私を作り上げている、という感じです(笑)。

――電子書籍も使われているんですね。


西出ひろ子氏: はい。iPadなどは、いつでもどこへでも持っていけて、使えますよね。電子書籍だったら、紙の本とは違い、何十冊、何百冊持ち歩けるというところでも、とても便利だと思います。あと、持ち歩くことで安心感があるんじゃないかなと思うのです。「あれってなんだったっけ?」、「あそこに何が書いてあったっけ?」と思った時に、すぐその場で調べられるのが、とてもいいと思います。

でも、紙の本にも良さがあります。何事もそれぞれに利点があり、それぞれにマイナスがあるので、どちらかというのではなく、やはりいい物、いいことをどんどん、伸ばしていけばいいと思いますし、どちらも好きなように使えばいい。上手な使い分けも大事なことですよね。

お互いを思いやる事=マナーを広め続ける


――何事にも両面がある、使い方次第ということですね。執筆に限らず、今後マナーを伝えることによって、世の中をどのように変えていきたいなと思われていますか。


西出ひろ子氏: マナーというのは、恥をかかないために覚えておかなきゃ、というような自分自身を満足させるためのものではありません。マナーは全てのことにつながると思います。マナーを伝えることは、トラブルのない社会を作るということ。世界中、お互いがお互いを思いやって生きていれば、トラブルは絶対に起きないと思うのです。それをマナーで伝えていくことが、私の使命だと思っています。生きているということは、何かしらの使命があるということ。だから私は、必ずしも表面上のマイナスがマイナスではないと私は思います。

このKOOちゃんは、本を書く時も一緒にいます。9歳のラブラドールもいます。今はなるべくこの子たちと一緒にいる時間を作ろうと思っているんです。癒やされますし、落ち着きますね。実は、KOOちゃんの右手は肉球がありません。ドッグシッターに預けていた時に骨折させられて、結果、断脚になってしまいました。右手の肉球がないので、義足でお散歩しています。専門家に預けていたのに大けがをしてしまったので、仕事に対する責任感をみなさんに持ってほしいですね。命を預かる仕事をしている人たちに対しては、特にそう思います。そういうことも今後は伝えていきたいと思っています。

それから、離婚や自殺などの社会的な問題を抱えている方々に、「私も同じ。気持ち1つで人生は変わるから、がんばろうよ」と伝えたいです。また、政治家、教師、ドッグトレーナーなど、そういう先生と呼ばれている人たちのマナーを強化したいとも思っています。そのために、マナー教育推進協会という社団法人を作りました。例えば医師の言い方一つで、患者さんがあがったり、傷ついたりということもありますよね。上から目線は良くない。相手の立場に立ったものの言い方や、表情、態度など、先生と呼ばれる人たちが見本を示すことができれば……この日本はきっと良くなっていきます。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 西出ひろ子

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