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世界中の本好きのために

山田修

Profile

1949年生まれ。学習院大学・修士卒。サンダーバードMBA。法政大学経営学博士課程満了。20年以上に渡り外資4社及び日系2社で社長を歴任。不調業績をすべて回復させるなどして「再建請負経営者」と評された。戦略立案を指導する「経営者ブートキャンプ」を主宰。著書に『本当に使える経営戦略・使えない経営戦略』『「雇われ社長」のプロの仕事術』(ぱる出版)、『6社を再生させたプロ経営者が教える〈超実践的〉経営戦略メソッド』(日本実業出版社)などに加え、3月28日発売の最新刊に『本当に使える戦略の立て方 5つのステップ「戦略カード」で立案・発表・実践が思いのままに』(ぱる出版)。

Book Information

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「戦略」を、より多くの方に知ってもらいたい



20年以上に渡り外資4社及び日系2社で社長を歴任。業態・規模に関わらず、不調業績をすべて回復させるなどして「再生請負経営者」と評され、2008年からは有限会社MBA経営の代表取締役を務めていらっしゃいます。独自の「戦略カードTMとシナリオ・ライティング」により経営戦略の立案と実践に関して、分かりやすく解説し指導されており、「経営者ブートキャンプ」も主宰されています。留学体験を記した初著書『アメリカン・ビジネス・スクール決算記』がベストセラーとなり、90年代にかけてのMBA留学ブームを巻き起こしました。20冊に及ぶ著書のうち3冊がAmazonでベストセラー総合1位を獲得、中でも『タフ・ネゴシエーターの人を見抜く技術』はビジネス書において、5週連続1位を記録されました。今回は山田さんに、お仕事に対する想い、本、執筆についてお聞きしました。

「執筆は排出」?


――現在の取り組みなどの、近況をお聞かせ下さい。


山田修氏: 今の肩書きは経営コンサルタントです。現在64歳ですが、5年前に実業引退しまして、会社の指導、及び公開セミナー、それから経営者を指導するプログラムなどをやっています。執筆に関しては、1985年に最初の本が出版されて、そこから足掛け30年で、今20冊になりました。1年に1冊は出している感じで、この5年の間にも5冊位は出してるんじゃないかと思います。

――1年に1冊というとペースが速いように感じますが、その源となっているものは?


山田修氏: 言葉としては汚いんですが、私の場合は排出欲なんです。自分で書きたいことが溜まってくると、「これは吐き出しとかなきゃいけないな」という感覚になる訳です。出版社の方から企画がきて、「こういうトピックで書いてください」と言われることもあるのですが、どちらかというと、自分で書いた方がスムーズに筆を運ぶことができるんです。私の場合は、アウトプットとインプットの繰り返しでした。若い時から色々な学校に行ったのですが、それがビジネスにも役に立っています。インとアウトが交互にやってきて、それが相互に助けてくれるというサイクルの著述活動だったと思います。

――今の山田さんがどのようにしてでき上がったのか、という歩みをお聞かせ下さい。


山田修氏: 埼玉県の深谷市生まれなのですが、小学校4年になる時に東京に引っ越して来たので、東京っ子という感じです。小さい頃は文学少年でした。私は子供をみるとき、野球少年、ラジオ少年、漫画少年と、大体3つに分けるんです。「野球少年」はスポーツマンなどを目指す。「ラジオ少年」は技術者の卵。私は文系の「漫画少年」でした。最初は漫画でしたが、次第に小説が好きになり、小学校5年生くらいから中学校にかけてたくさん読み込みました。

――最初に本を手にとったきっかけとは?


山田修氏: まだ戦後の時代だったのであまり本はありませんでした。小学校3年まで深谷市に住んでいて、漫画も親が近くの本屋さんで買ってくれて、それに影響を受けました。よく覚えているのは講談社から出ている全55巻の『少年少女世界文学全集』。小学校2年生位の時は、毎月1編出ていたんです。それがすごく楽しみでした。小学校の図書室に入り浸っていました。私が一番図書室の本を読んでいたんじゃないかと思います。

ビジネスマンになろうとも思っていなかった


――当時の夢はどのようなものでしたか?


山田修氏: 夢はまだ無かったかな。私はどちらかというと衝動的に生きている感じで、あまりそういった組み立てはありませんでしたね。日本を代表する経営者になる、といったことは今に至るまで全く考えていませんでした。37歳から社長になったのですが、「社長になろう」「経営者になろう」と思ったことは、それまでは1度もなかったです。

――漠然と「社長になりたい」ということではなく、目の前のことを一生懸命にやっていた結果という感じでしょうか?


山田修氏: そうですね。私は「3年計画説」という、3年間のことだったらマネージできるという主張をしているんです。3年間あれば、どんな学校に行って、どんな知識を習得するか。そうすると今のキャリアの次のこと位はなんとかできますと。人生にもビジネスにも運命があるから、5年先、10年先のことを言ったってしょうがない。「とりあえず3年間で今のビジネスをきちっとできるようにしましょう」ということなんです。

――ビジネスマンということは、視野にあったのでしょうか?


山田修氏: そもそも、ビジネスマンになるつもりもありませんでした。私は、学習院の文学部国文科だったんですが、専攻は伊勢物語で、古文の学者になるつもりでした。高校2、3年の時に、大学はどこに進学しようかと考えて、「本が好きだから国文で良いかな」と思って決めました。そのまま進んでいたら、今とは全く別の人生を歩んでいたと思います。

変化がある方が面白い


――なぜ研究者ではなく、ビジネス、実業の世界に進まれたのでしょうか?


山田修氏: 国文は大学院まで卒業したのですが、なんとなく嫌になってしまった。専攻の伊勢物語は書かれてからもう1000年位経っている訳ですから、隅から隅まで研究し尽くされている。だから、伊勢物語について私が一生研究をしても大したことは積み上げられないし、1000年前に書かれているから、対象が固定されちゃってつまらない。だから転向することにしたんです。

――先人たちの成果の上から新たに塗っていくということよりも、新しいものを目指されたんでしょうか。


山田修氏: そうです。対象が常に変動する経済やビジネスの方が、「変化があって面白いな」と思い、就職をしました。

――衝動的に物事を決める方だとおっしゃっていましたが、その時はどのような感じだったんですか?


山田修氏: 当時、私はスキーの公認パトロールや正指導員の資格を持っていて、レベルの高いスキーヤーだったんです。レジャー系のところへ行って「御社のスキー場で、正社員として働きたいです」と言えば、どこも「入ってくれ」と歓迎してくれました。結局、太平洋クラブという、当時スキーを3つ持っていたゴルフ会社に入りました。「ゆくゆくはスキー場の支配人かな」などと思っていたのですが、会社は私をスキー場に配属してくれなかったんです。要するに「違うことをやってみろ」という会社だったんです。それで、海外部というところに配属されました。ずっと古文を研究していたから、英語なんて私の人生には絶対現れないだろうと思っていたし、全くやる気がなかったのですが、就職をきっかけに英語を始めることになりました。海外に行ったのも28の時の香港への出張が初めてで、飛行機に乗ったのもそれが初めてでした。

就職を機に英語の勉強を始め、32歳の時に留学



山田修氏: それからは「英語を使うビジネスで生きるしかない」と思って、英語を一生懸命に勉強しました。トミーという今のタカラ・トミー社ですが、おもちゃ屋さんで貿易の仕事をやって、それから今度は外資に行こうと思い、アメリカの外資では大手で名門のコーニングを受けました。コーニングジャパンの社長さんは日本人だったのですが、アメリカでMBAを取っていて、外人扱いをされていました。家に招かれて行ってみると、すごくいい暮らしをしていたので、「理不尽だな」と思っていました(笑)。結局、MBAを持ってないと中間管理職以上のグラスシーリングというガラスの天井の上には行けないなということが分かって、32歳の時にやっと留学しました。

――その時には不安などはありませんでしたか?


山田修氏: 出たとこ勝負の成り行き人生というか、私は非常に無鉄砲な男なんです。だから、こういう珍しいキャリアパスになったのかもしれません。社長であった6社も含めて、私の転職歴は10以上もあるんです。それも全部、まともな会社というか、名前を聞けば聞いたことがあるようなちゃんとした会社。多分、転職の数で言えば日本一の数じゃないかな。

――その原動力はどこから生まれるのでしょうか。


山田修氏: エネルギーですよね。私はエネルギーに溢れているんですよ。だから、嫌だったら嫌で辞めちゃうけど、好きなことはとことん突き詰めてやり遂げるエネルギーがあるし、次に向けてちゃんと準備するエネルギーもある。そういう風にやってきたんです。

――どういう思いでそれぞれのお仕事と向き合ってこられたのでしょうか?


山田修氏: 「他の誰かがやるよりも、私がやる方がまし」という位に仕上げよう、というのが私の信条。だから、そのために色々と勉強をしたり工夫をしたりします。転職の回数も多かったのですが、その度に専門学校に行きました。英語や貿易の学校にも行きましたし、コーニングの時は、日本電子専門学校に行って電気について学びましたし、ITの学校にも行ったこともあります。ポント・データ・ジャパンではお客さんが証券会社なので、その時は証券の株の学校にも行ったりしました。マネジメントの学校には嫌というほど行きましたね。

――1つ1つが別業種ですが、それをやりたいと思ったのはなぜだったのでしょうか?


山田修氏: 好奇心でしょうか。別のことをやった方が、変化があって面白いんです。1つのポジションで3年もやると飽きというか、それだけ誰にも負けない仕事をするというか、一生懸命仕事をして燃えつきてしまうという部分もあるんでしょう。疲れはしないので、飽きるという方がやっぱり合っているかもしれません。転職する時は、基本的には次の仕事が面白そうだと思ってするので、不安はありませんでした。

留学体験記がベストセラーに。MBA留学ブームを巻き起こす


――執筆に関しては、どのようなきっかけがあったのでしょうか?


山田修氏: 最初に出したのは1985年の、『アメリカン・ビジネス・スクール決算記』という本です。これは新潮社から出た私のMBA留学記で、正に排出欲の最たるもの。留学して体験したことの顛末をぜひ知ってもらいたいと書き始め、半分くらい書いたところで、出版社に持ち込みました。そうしたら、松本清張の編集者だった鍋谷契子さんという編集者がきて「預かります」と言われました。後から電話で、「読んでみたいから、その残り書いてくれませんか?」と言われて、私は「出してくれるんだったら書きます」と答えました。すると鍋谷さんは少し言葉を切って「出しますから、書いてください」と言ってくれました。おかげ様でその本は、3万部強売れました。1990年代に、MBA留学ブームが起きたのですが、そのきっかけになったと言われている本なんです。その後、私は色々な人を面接する立場になりましたが、「山田さんの本を読んで留学しました」というエグゼクティブが、2000年代には多くいるんです。

――もともと原稿が面白かったということもあると思いますが、それを見極め、2つ返事で出版した編集者の目利きもすごいですね。


山田修氏: どうやって留学を志すことに至ったか、突き動かされたかという課程が書いてあって、帰ってきてからは次のキャリアをどうやって構築し始めたか、ということも書いてありました。「すべてがスムーズに行った訳ではなく、その前後の滑った転んだといった部分も書いてある。それが面白い」と彼女は褒めてくれました。

――執筆することにおいて、何か思いというのはございますか?


山田修氏: 思いは特にないような気がします。私がやるのは構成と文章です。最初はカードを使います。書きたいテーマもあるし、色々な体験もあるから、1つのカードにこういうことを書きたいと全て文章で書き出すんです。そうやっていくとカードは100枚から120枚位なって、それを机の上に並べて、同じようなものを寄せていって6、7つの山を作る訳です。それを並べ替えると、それが第1章、第2章となって、タイトルのカードもその上にもってくる。それを刈り込んだり繋げたりして、カードを整理するとそれが項目になる。だから最初に、章立てというか、構成をするんです。論文を書く時もこの技法でやっていました。最初に構成を考えて章立てをして、話の展開もきちんと作って、どこに伏線を、ということも事前に計算しておかないとだめですね。



大事なのは、構成とバランス


――ブログにも書かれていたと思いますが、書きながら編集者とやり取りするというスタイルではないのですね。


山田修氏: そうなんです。構成やバランスを考えるのが一番大変。書きたいことをカードで網羅して、バランスを取るということを最初にやっておくと、どこから書いても良いんです。1行目を書くのにかなり時間を掛けて真剣にやるという人もいるようですが、私のやり方だと筆の赴くままに書き始めることができます。全部書き終わったところで、今度は繋がるように原稿を手直しするというような執筆作法です。だから1年に1冊というペースで出版できているのかもしれません。思いつきで書き進めると尻切れトンボになったり、曲がったりして着地点が分からないというような本はたくさんある。だから私は最初からきちんと作るようにしているんです。

――文章を書く上で気をつけていることはありますか?


山田修氏: 文章を書く時に心掛けているのは、分かりやすさです。分かりやすくするためには文章を短く書くことが大事。1つの文章が、3、4行に渡ってしまうともうだめ。そういった場合は、3つに分けて間に接続詞を入れるようにしています。

――難しいことを分かりやすく書くという作業は、やはり大変でしょうか?


山田修氏: 難しいよね。学生の頃に、毎週レポートを提出させる授業があったんです。その時の経験が文章を書く上で今でも役に立っていると思います。吉岡曠さんという源氏物語の先生のゼミで、「400詰めで5枚きっかりとレポートを書く。5枚以上書いてはいけません」というものでした。そのレポートのおかげで、字数の感覚ができたんです。例えば224ページの本を書くとすると、1章あたり30ページで、その中で6項目を書くと1つあたり5ページ。テキストとしては何行書ける、という具合に、大体見当をつけてメカニカルに書いていけるんです。

――編集者とのやり取りはどういった感じでしょうか。


山田修氏: 私の本はほとんど完成原稿ということで、いつもすごく評価が高いです。締め切りを落としたこともないです。だから私との組み合わせにおいては、構成とレイアウトが大事。レイアウトに関しては、プロである編集者さんにある程度お任せしています。

書き手としても、検索機能は重要


――電子書籍の登場で、出版の垣根が低くなっていると思うんですが、電子書籍の可能性についてはどのようにお考えでしょうか?


山田修氏: 電子書籍は手軽に手に入る、という所がいいですよね。私も古い世代の作家だから紙の本は好きです。紙の本の良いところというのは、右のページをめくっている時に左の、或いはもっと先のページも見られるという一覧性。電子書籍の場合は、基本的には頭から読んでいかないといけない。でも検索機能などは良いと思います。でもやっぱり「紙をめくる楽しみ」というのはありますよね。

――論文なども、最近は電子化されているという話も聞きます。


山田修氏: データベース、といった点では大変良いですね。昔、華僑の経営に関する本を出した時に、資料を探しに行ったんです。八重洲ブックセンターに行ったのですが、あそこは1階にコンシェルジュがいるので、「こういうテーマで本を書くんだ」と伝えたら、キーワード検索で300冊位のタイトルリストを出してくれたんです。その中からマーカーを使って60冊くらいを選んだんですが、店頭在庫がないものもたくさんあって。2回位、段ボールで持ってきてくれました。文献を集めるというような研究者にとって面倒臭い作業でも、電子だと、文献の検索自体も容易ですね。クレジットカードなどで買ってしまえば、それですぐに読める。ハーバードの論文などは立派なデータベースがあって、検索もできる。本を書く時には、そういう点ではとても便利ですね。

――書き手としても活用されているのですね。


山田修氏: もちろんそうです。きちんとしたものを書こうとすると、最後に参考文献を書かなきゃいけないように著作法で決まっているんです。まずは参考文献を読まなきゃいけないから、探さなきゃいけない。テーマ名で検索して、翌日には届くからAmazonは便利です。ただ、研究文献レベルだとAmazonでは買えないので、種々のデータベースは非常に便利です。

――書き手としての仕事の仕方も変わっていっていると感じますか?


山田修氏: それは間違いないです。研究文献だけじゃなくて本だって全部電子化されてしまえば、それを参考にして知識を膨らませた上で、書き進めることができる。そういう意味では知識、知能はものすごく広がる可能性があるよね。

文化の進歩が加速する


――多くの知識を手に入れることができるようになったという世界において、差を生むもの、重要なこととはなんでしょうか。


山田修氏: 単にそこにあるのは情報、つまりピース・オブ・インフォメーションで、それだけでは価値が出てきません。そこに価値を見つけることによって、もとは同じものでも知識に格上げされるという、評価の問題です。読み手や使い手が知識と知識を組み合わせると、新しい知識を作り出すことができる。今までは単位制の知識があってそれを発掘するという作業でしたが、知識と知識を組み合わせると新しい知見や意見が出てきて、それは今までになかったものです。新しい知識が統合されるので、進歩になる訳です。また、その作業の効率はさらに良くなる可能性があるから、そういう意味では文化の進歩が加速されるというか、1つ上のレベルになる時代に突入したと言えるのかもしれません。

――山田さんのミッション、使命とは?


山田修氏: 成り行き人生というか、そういう覚悟があるわけでもないような気がします。要するに私は、楽しい人生を送りたい。でも、経営者をずっとやってきて、今は経営者を育てるプロジェクトをやっていますので、これが私の今後のミッションなのかなとは思っています。経営者ブートキャンプというのをやっているのですが、「できるだけ皆が上手く会社を回せるようになってもらいたい」とか、「幸せになるように」ということを思うようになりました。これから5年~10年位はその気持ちを持って進みたいと思っています。上から目線になるかもしれませんが、自分はある程度幸せだから、皆さんにもぜひ幸せになってほしいと思っています。

――今後の展望をお聞かせください。


山田修氏: 執筆に関しては、『本当に使える戦略の立て方 5つのステップ「戦略カード」で立案・発表・実践が思いのままに』という本が3月28日に発売されます。今までの経営戦略に関する本は、戦略を立てる時にはこういうことに気をつけろという本ばかりで、具体的に立てる手順を示している本はなかったんです。ここ4年間位教えてきましたが、戦略カードという、情報カードと全く同じ大きさのツールを使って戦略を作るというものを紹介しています。

――図解にすることによって、より分かりやすいものになったという感じですか?


山田修氏: そうですね。戦略を立てる能力というのは、社長さんだけじゃなくて実は部門責任者にも必要なものだったりするんです。「部門戦略を作ってちゃんと率いてほしい」というのも、経営者の望みの1つで、部門長はそういったプレッシャーを受けている訳ですよね。でも「戦略の立て方なんて誰も教えてくれないし、教えてくれる本もない」と困っていた。私の本は非常に易しい図解の本となっているし、文例も全部あります。書き写していって、同じプロセスをたどっていけば「自分の戦略」ができあがります。それからパワーポイントの発表用のファイルもあるので、そうやって書き写していけば8割はできます。そこまで完成している本なので、極めて実践的というか、読んですぐ使える実用書となっています。だから、今回の本を全ての経営者の方と部門部長さんに読んでいただき、役立てて欲しいなと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 山田修

この著者のタグ: 『コンサルタント』 『チャレンジ』 『海外』 『コンサルティング』 『考え方』 『生き方』 『原動力』 『ビジネス』 『留学』 『MBA』

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