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世界中の本好きのために

春井久志

Profile

1945年、兵庫県生まれ。関西学院大学経済学部卒業、関西学院大学大学院博士課程満期退学。名古屋学院大学経済学部専任講師、助教授、教授を経て、現職。博士(経済学)。専門は金融論、国際金融論、中央銀行論。 著書に『中央銀行の経済分析: セントラル・バンキングの歴史・理論・政策』(東洋経済新報社)、『金本位制度の経済学―イギリス金本位制度の理論と歴史・政策』(ミネルヴァ書房)、近著に『揺れ動くユーロ――通貨・財政安定化への道』『カンリフ委員会審議記録(1918-19)』(蒼天社出版)、『ケインズ全集』、〈第17巻〉(東洋経済新報社)、『富の創造』(すぐ書房)など。

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国民の成熟化につながるものを発信する



関西学院大学経済学部卒業後、名古屋学院大学経済学部教授などを経て、1995年から関西学院大学経済学部の教授として勤められています。金融論、国際金融論、中央銀行論を専門として研究されている春井さんは、1998年の新日本銀行法の施行と同時に、日本金融学会の専門部会として「中央銀行研究部会(Central Banking Study Group)」を創設し、現在も同部会の事務局を担当されていらっしゃいます。また、パーソナルファイナンス学会の常任理事も務められており、著書では『中央銀行の経済分析――セントラル・バンキングの歴史・理論・政策』なども執筆されています。今回は、中央銀行についての研究、執筆、それからマスコミのあり方についてのお考えをお聞きしました。

グローバル人材の育成


――大学の教育者としてのお仕事について、お聞かせ下さい。


春井久志氏: 大学院を出て昨年で40年目となりました。現在務めている関西学院大学は私の母校なので、今は「弟子を育てる」立場にあります。授業科目としては、金融論や金融政策論、国際金融論、中央銀行論、グローバル人材のための英語などの講義科目と、ゼミを担当しています。日本銀行の白川前総裁が理事を辞めて2006年に京都大学へ行かれ、日本で初めて(?)中央銀行論という科目の講義を開設されたのを受けてですが1年後に私も経済学部に「中央銀行論」開講しました。他方、1989年の新日銀法施行と同時に日本金融学会に3番目の専門部会として「中央銀行研究部会」の創設にかかわり、現在も同部会の事務局を担当しています。
今日の日本のマスコミは、ほとんど「金太郎飴」のように視点が同じか、似通った報道しかありません。これからグローバルに仕事をする学生を育てるためには、これまでとは違ったものの見方を学生たちに伝えなければいけないと思いました。そこで国際ビジネスパーソンのための英語という形で、イギリスの『エコノミスト』誌を教材にしてビジネス英語を教えています。これは、(1)経済の知識と(2)英語の能力、それから、(3)正しい日本語に翻訳をするために必要なコミュニケートする国語力。その3つをバランスよく身に着けてもらうという目的で始めました。今年からは「グローバル人材のための英語」という風に講義名を変えて教えています。日本のことを知るための日本経済に関する教材の、そして日本と違った見方をしている英語の記事を受講生に提供して、学生は事前にその教材を日本語に翻訳して、教室で発表する。学生が分からないところは私が解説し、また補足説明を加えるというやり方で教えています。



――具体的には、どのような授業なんでしょうか?


春井久志氏: 2週間くらい前に出力した英文資料を受講生に渡して「聞いて分かる日本語に翻訳をして、それをプリントアウトしたものを持って来なさい」と伝えます。そして授業では、学生が手を挙げて事前に翻訳したものを発表します。それに対して、一定のポイントを与えます。例えば最少点が5点だとすると、発表内容によって6~9点と加点し、1回の報告でポイントを稼げるようにしているんです。だから、学生は競って手を挙げます。それで翻訳してもらって、まずいところや良いところなどを全部指摘します。90分の講義中に、最低1回は手を挙げてくださいと学生には求めています。

高校時代にパルモア学院(神戸)に通う


――英語に関してはいつ頃から勉強をされていたのでしょうか?


春井久志氏: 私は関西学院の高等部に通っていたんです。この関西学院は、アメリカの宣教師が約125年前に神戸の地に創立した大学なんです。中国で牧師として活動していた宣教師が、「もう少しクリスチャンが増えやすい国を探そう」ということで日本に来ました。中国で生まれたその牧師の息子が、宣教師として最初に来たのが神戸で、そこに作った教会が神戸栄光教会です。彼が神戸市灘区の「原田の森」に3年後に作ったのが関西学院です。最初は、若い日本人を教会に集めるために「ただで英語を教えますよ」という「読書室」の形をとり、その昼間部が関西学院に発展しました。その夜間部がずっと続いて現在のパルモア学院という英語学校になりました。私の頃は3学期制で4年制の学校でした。毎学期試験があって、その試験に受からないと次の学期へ上がれない。だから、合計12回試験をパスしないと4年間で卒業できなかったんです。私は高校生の時に、夜間の大人の英語クラスに通っていました。

――大人のための英語学校に行こうと思われたのはなぜでしょうか?


春井久志氏: 遊ぶ時間を確保するというか、少ない労力で良い成績をとるにはどうしたら良いかということを、子どもなりに考えました。「英国数を頑張れば良いのかな、それなら皆があまりやらないものをやろう」と思い、英語を集中的に勉強することに決めました。高等部は5時くらいに終わるのですが、西宮の高等部から電車で1時間弱くらいかけて三宮まで行って、パルモア学院へ通っていました。

――パルモア学院での勉強はどのようなものだったんでしょうか?


春井久志氏: パルモア学院は週5日制で、1日に2科目ずつ英語を勉強しました。だから英語の先生も10人いましたが、全部のクラスが英語関連です。10科目それぞれ違う内容で、作文、リーディングあり、文法あり、会話もありという多様かつ豊富な授業内容でした。しかし、高等部も3学期制だから試験日が2つとも大体同じ時期なのです。そうすると予習はできていても、復習とか試験勉強はできない。その中で自由な時間を確保するにはどうすればいいかということを考えた時に、授業時間内に全て頭に入れてしまおうと思ったんです。集中して話を聞いて、終わったら遊ぶこととか、次はどの本を読もうかということを考えていたようです。

本で色々な世界を覗いていた


――読書がお好きだったんですか?


春井久志氏: 関西学院の高等部はすごく良い学校で、当時は春や夏の休みに宿題が全くありませんでした。私は本を読むのが好きで、まずは『シャーロック・ホームズ』を全巻読んで、次に『アルセーヌ・ルパン』を読みました。私にとって「遊ぶ」というのは本を読むこと。つまり、自由な時間に好きなことをするのが私の遊びでした。小学校の教員をしている私の叔父が、家へ来る時のお土産は必ず本だったんです。しかも歴史物が多くで、荒木又右衛門などの有名な剣士や英雄伝などの本を持ってきてくれました。それで読む習慣が身についたのかもしれません。私の時代には、近所に貸本屋さんというのがありました。そこに行くと色々なジャンルの本が、床から天井まで本棚にぎっしり入っていました。私は歴史物を1冊借りて一晩で読んで、次の日にまた新たな本を借りてくるということを繰り返していました。それで近所では「春井さん家の子は、この棚の本を全部読んだ」と噂になったこともありました(笑)。

――読書のどのようなところに魅力を感じていらっしゃいますか?


春井久志氏: 本というのは、知らない世界が展開しているから、当時学生だった私にとっては、大人になった今以上に本が面白くてしょうがなかった訳です。だから毎日1冊読みました。今思えば、本によって私の世界が広がったのかもしれません。神戸は港街で、家から自転車で南の方へ行くと海。外国の船などが港に入っていて、「海は世界に繋がっている。いつか世界に行きたい」という思いをいつしか抱くようになりました。でも実際にはまだ行けない状況だったので、本を通して色々な世界を覗いていたのかもしれませんね。

著書一覧『 春井久志

この著者のタグ: 『大学教授』 『英語』 『経済』 『海外』 『教育』 『経済学』 『グローバル』

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