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小野善康

Profile

1951年、東京都生まれ。東京工業大学工学部社会工学科卒、東京大学大学院経済学研究科修了。経済学博士。マクロ動学、国際経済学、産業組織を専門とする。内閣府の経済社会総合研究所長を歴任。菅直人元首相の経済政策のブレーンを務めた。 著書に『エネルギー転換の経済効果』『成熟社会の経済学 長期不況をどう克服するか』(岩波書店)、『不況のメカニズム ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ』(中公新書)等。 共著・編著には『金融緩和の罠』(集英社)、『不況の経済理論』(岩波書店)等がある。 新聞・雑誌等にも多く寄稿している。

Book Information

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ロジックで勝負する



東京工業大学教授、ロンドン大学、プリンストン大学、ブリティッシュ・コロンビア大学、世界銀行などの客員研究員・教授を経て、内閣府の経済社会総合研究所長を歴任されてきた小野さんは、菅直人元首相の経済政策のブレーンとして活躍され、現在は大阪大学教授を務められています。著書の『国際企業戦略と経済政策』では日経経済図書文化賞を受賞されています。お仕事において大切にされていること、また、執筆に対する思いをお聞きしました。

計算式は言葉


――研究についてお聞かせください。


小野善康氏: 僕は今、長期不況の研究をしています。日本は20年も続く不況に直面しているし、ヨーロッパでもリーマンショック以降不況が続いています。それなのに、世界中の経済学には長期不況の理論というものはないんです。あるのは全部短期不況の数年景気が悪いのをどうやって早く回復させるかといった理論だけ。長期不況の理論とは構造が全然違います。長期不況を理論的に説明するのはとても難しいのですが、僕は今まで取り入れて無かった「お金への欲望」を入れて作り出したんです。例えば50万の所得があるとして、その50万を1銭も使いたくないと思って全部貯めたとします。そうすると、どんどん貯まっていって、金持ちになりますよね。ところが、日本中がそれをやったとしても、日本中がお金持ちにはならない。お金の全体量は変わらないまま、何も売れなくなって、みんな失業してしまう。そうしてますます不況に陥るといったメカニズムなんです。口頭で説明すると簡単に聞こえるんですが、それを論証するには膨大な数学が必要になります。計算式は非常に厳密な言葉なんです。

――小さい頃はどのようなお子さんだったのですか?


小野善康氏: 僕は早生まれですから、クラスの中で体も小さいし走るのも遅いし、小さい頃は全く自信のない子どもでした。特に小学校低学年の頃はコンプレックスのかたまりでした。子どもの頃の1 年の差は大きかったのですが、だんだん成長すると差がなくなっていった気がします。学年が上がるにつれ、数学や理科が得意になり、特に数学は大好きでした。でも国語は全然ダメ。国語の問題では、作者の意図を問われることがよくありますが、それが全く分からなかったんです。文章の解釈の仕方によっては答えも違ってくると思うからです。もちろん国語にもロジックはあるんでしょうが、僕にはついていけませんでした。

数学は“ゲーム”だった


――数学が好きになったきっかけはありますか?


小野善康氏: 数学は最初からロジックが完璧で、丸暗記ではないでしょう?僕は歴史の年号のような丸暗記が必要な教科が全くダメだったんです。「それを暗記してなんの役に立つの?」と感じていました。でも、ロジックで説明できる数学は面白いと思えたんです。率先して「はいはい!」と手を挙げる子はたくさんいましたが、僕は自信がなくて前に出ることはできませんでした。ところが、知能検査で「この子はIQがものすごく高い」と言われて、先生の僕に対する態度がコロッと変わったんです(笑)。それからなんとなく「僕は頭が悪くないんだ」と自信を持てるようになりました。中学に上がってからも、数学がますます好きになりました。みんなで旅行に行って汽車に乗っても、ずっと数学の問題を解いていました。方程式を解いたりすることが楽しくて、どんどん先に進んで高校の微積分をやったりしていました。僕にとって数学は、面白くてしょうがないゲームだったんです。数学の問題を解いていると、時間を忘れてしまい、よく没頭していました。

他の大学にはないことを勉強したかった


――その後、東京工業大学へ進まれていますが、選ばれた理由はなんだったのでしょうか?


小野善康氏: 物理と数学をやろうと考えていたら、昭和44年の東大闘争で入試がなくなってしまった。それで東工大に行きましたから、今は経済学をやっていますが、頭の作りは完全に理系なのだと思います。僕には子どもが2人いますが、2人とも完全に理系で、周囲には「理系家族だね」と言われています(笑)。

――受験がなくなった時はどのような気持ちでしたか?


小野善康氏: 「学生運動をするやつらは身勝手だ」と思いました。中核や革マルなどが大暴れする大学解体の時代だったのですが、大学解体と言いながら、その大学の肩書きを背負って就職活動しているんです。学生運動で全ての教室がロックアウトされて、大学に入っても半年間は全く授業がなかった。それで同期の仲間の多くは「学生運動はけしからん」と思っていました。「おいしいところだけを持っていくなんて、ちょっと酷いんじゃないの」というのが正直なところでした。

――どのような学生生活を送られていたのですか?


小野善康氏: 勉強がしたいとも思っていましたが、車を乗り回して遊び回っていましたね(笑)。前述にもあったように、当初は東工大に行こうとは思っていなかったのですが、実はその選択が、その後の経済学研究の道へとつながるんです。大学に行ったら、工学部だと機械系や電子工学、理学部だと物理か数学をやりたいと思っていました。ところが東工大に進んだので、他の大学にはないことをやろうと思い、社会工学に進んだんです。「“理系のセンスで社会を考える”というのは、まだ聞いたことがないな」と思ったんです。今は、筑波大学にも社会工学はあるのですが、この分野は東工大が最初に作ったもので、僕は3、4期目で入りました。「人間の行動がロジックで説明できたら面白いんじゃないかな」と思ったのがきっかけなんです。

――実際に社会工学科に入っていかがでしたか?


小野善康氏: “人間は面白い”と思いました。社会工学というのは都市工学もあって、建築や土木もやるし、社会学、それから経済学といったように、学んでいくこと全てが社会に関係するんです。あとオペレーションリサーチといった数学的なものもあって、その中でどれかを選びます。その中で一番ロジカルだったのが経済学だったんです。常にロジックの有無で物事を見ているところがあって、逆を言えば、それじゃないと自分は勝負できないと考えていました。それで、とことんやってみようと思って始めたんです。その当時から今まで、僕が常に大事にしていたのは、ロジックです。経済学では貧しい人を救うといった優しさや倫理みたいなものが重要と思われるかもしれませんが、僕の場合は“人間はこういう行動をして、その結果がどうなったか”というのを数学的に表現したい、というところから入っているんです。

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この著者のタグ: 『大学教授』 『経済』 『研究』 『理系』

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