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世界中の本好きのために

渡辺パコ

Profile

1960年東京生まれ。都立西高卒(31期)。学習院大学哲学科卒。コピーライターとして広告、企画立案などを担当、88年に独立。98年からグロービス・マネジメント・スクール講師。コミュニケーション、リーダーシップ、論理思考などを担当。企業研修講師として多くの企業に講座を提供している。2008年からビジネスパースンのための教養と戦略を学ぶ講座<おとなの社会科>を開始。「リベラル・アーツ」の分野を広めている。環境問題、歴史、政治、科学など、多方面にわたる言論活動・著作を展開中。

Book Information

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翻訳者の立ち位置で「分からないものを、分かりやすく」



学習院大学哲学科卒業後、コピーライターとして広告、会社案内の制作、 PR戦略の企画立案などを担当し、88年に独立。98年からコンサルティング業務開始。97年より、ビジネスパースン向けの総合情報メディア&コミュニティ「知恵市場」を主宰。個人事務所である有限会社水族館文庫で、受講者へのインプットに加えて、受講者同士の意見交換や交流をふやす、<おとなの社会科>セミナーを主宰するなど、コンサルタントの傍ら、ビジネススクールの講師や執筆活動と多方面で活躍されています。人を惹きつける不思議な魅力の持ち主、渡辺パコさんにインタビューしました。

「ちょっと遊びにこない?」で、ビジネススクールの講師に


――多方面にわたりご活躍されていますが、近況をご紹介いただければと思います。


渡辺パコ氏: 何をやって食っているんですかとよく聞かれますが、仕事的な部分で言うと企業研修の講師が多いですね。主にロジカルシンキング系のもの。最近はもう1つ「おとなの社会科」っていうセミナーを主宰しています。

――渡辺パコというのはペンネームでらっしゃいますか?


渡辺パコ氏: そうです。もう20年くらい使ってますかね。僕は理屈っぽいので、名前を付けようと思ったときに、理屈を使わないで付けようって理屈で(笑)。カタカナ2文字って考えたんですよ。覚えやすいっていうのと、1文字じゃ名前にならないので。そこからあとは縦列組み合わせですよね。アイ、アウ、アエ、みたいな。片っ端から考えて、ちょっと面白そうなのいくつか挙げて決めましたね。

――もともとはコピーライターとして就職されたんですよね。


渡辺パコ氏: 企業広告を作っていました。色んな会社へ行って会社全体を研究して、会社案内、入社案内、採用広告などを作っていました。大手企業のパンフレットだと30~60ページの広告になるので、雑誌1冊作る感じですね。企画してコンペで取って、取材して文章にしてデザイナーを動かして完成させて納品する。個人でやる案件もあれば、間に代理店や別のプロダクションが入る場合もありましたが、そんな仕事を15年ほどやっていました。



色んな会社を見て、色んな仕事を学べるので、それを使って本を書きませんかということで業界本を書いたり、生命保険の本やビジネス書系も結構書きました。すると、「本を書いたのでしゃべってくれませんか」と依頼が来るようになって、「やってみましょうか」っていうことに。最初はもう全然ダメだったんですが、慣れるもんですよね。ひざはガクガク声は震えて、「これは向かないわ」って思ったんですが、なぜかリピートいただいたりして。そうした講演を始めたころでしたね、ビジネスリーダーを育成する「グロービス」のマネージャーに出会ったんです。

――どうやって知り合ったのですか?


渡辺パコ氏: ニフティサーブのフォーラムでたまたま知り合って「ちょっと遊びに来ない?」って(笑)。「いいよ」って話してたら「講師やらない?」って言われて調子に乗せられて。

――すごい話ですね。その方とはどんなやり取りされていたんですか?


渡辺パコ氏: 結構ビジネスネタが多かったですね。僕も色んな会社を見てきたので、こういうのは面白いとか、こういうことはしちゃダメとか、好き放題言っていました。それが面白いと思われたんだと思います。あと、そのころ僕は『LANの本質』っていう本を書いていたんですが、グロービスのマネージャーも別の本を書いていて、テーマが近かったんです。彼の本と僕の本が同時期に出たので、「こんなやり方もあるんだなぁ」っていって読んでくれていたようです。そんな縁もあって、興味を持ったんでしょう。そんないきさつで「グロービス」で教えるようになりました。これも最初は「無理ですよ」とか言いながらでしたね。教える相手は自分より年上が多かったので、そんな人に、ロクに会社も行ったことのない様な僕が何を教えるんだろうって思いながらやっていました。

書く仕事をしてみたかった


――人生の節目ふしめで良い出会いがあったと思いますが、チャンスを引き寄せるのはパコさんの人柄が影響しているような気がします。最初にコピーライターという職を選んだのはどうしてですか?


渡辺パコ氏: 書く仕事がしたかったんです。僕は哲学の勉強をしようと思って大学に行ったので、哲学者になろうかとも思いましたが、もろもろあってならなかった。ただ、書く仕事はしたいなと思ったんです。でも、小説家やエッセイストになるといっても、どうやってなればいいのか分からない。でもコピーライターなら募集があるので、応募すればなれそうなものをやってみようと思ったんです。何社か探して、採用になったところでコピーライターになったのが始まり。だから、広告をやりたくてなったわけではないんですよ。

――純粋に、書く仕事をしたかったんですね。


渡辺パコ氏: そうですね。広告には全然興味無かったので(笑)。物を売るの嫌だな、みたいな感じだった。幸い僕が入った会社は企業広告が主で、派手なものを売るわけではなかったんです。それで、やってみたら結構面白かったという感じですね。広告の仕事をやってみると、若い人たちが多いわけですよ。先輩って言っても35歳くらいまで。40歳過ぎて同じ仕事してる人はほぼいない。となると、自分もこの仕事は10年しかできないな、じゃあ10年後何をしようかなっていうのを、考え始める様になりました。

――それで、実際に独立したのは28歳のときだったんですね。


渡辺パコ氏: 3年半ほど小さいプロダクションで制作の仕事をしました。そのまま同じ仕事で、別の会社から仕事をもらう様に話をつけて辞めたんです。

――そこはきちんと見通しを立てて独立されたんですね。


渡辺パコ氏: ずっと会社員をやるつもりもなかったので、どこかで辞めようと思っていました。コピーライターで独立することはできると思いましたが、どこから仕事をもらうかという問題があるので。当時、リクルート系の仕事を主にやっていたんです。リクルートのNO.2っていう会社があって、クオリティーの高い仕事をしていたんです。独立するならそういう仕事をやりたいと思って、その会社の中途採用の説明会に行きました。

出されたアンケートに、社員になりたいかフリーでやりたいか選ぶ項目があって。フリーに丸を付けて何の気なしに出したら、翌日「少し話を聞かせてくれませんか」って電話が掛かってきてたんですよ。説明会には100人くらい来ていたと思うんですけどね。「作品と企画書を持って来てください」って言われてたので持って行った。僕は企画書を本当に自己流で作っていたんですが、それをしげしげと見て「うーん、こういう作り方もあるよね」と言われて、「仕事する?」って聞かれたから「やります」って。でも、やるとなると会社を辞めなきゃいけないから、「辞めるとなると年間500万くらいもらわないと独立出来ないです」って言ったら、「うーん、あるんじゃない」って言われて。

――価格交渉までやっちゃったんですね。


渡辺パコ氏: 結局、1か月で退職届を出して、辞めたんです。辞める前の有給消化で新しい方の仕事を既に始めていましたから、会社辞めた時点ではもう次の仕事をしていましたね。で、約束通り結構きちんと仕事をもらえたので、それを糧に独立出来た。人生、どこでどうなるか分かりませんが、その時々を一生懸命やることは大切だと思います。

著書一覧『 渡辺パコ

この著者のタグ: 『考え方』 『働き方』 『コピーライター』 『古本屋』 『きっかけ』 『結婚』 『資本』 『TPP』

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